こんにちは![]()
子育てお疲れ様です!
念の為お伝えしておきます。
私のブログのテーマは、
【どんなに無理だ…と思ってても、論理的な思考で自分の考えを整理し、自愛で各々の美しく尊い感性を使い自分を癒すこと】です。
不登校の子どもを持つママは、多くの場合とっても疲れていますよね。行き場のない思いを抱えている、と思います。
でも、今笑わないでいつ笑うの?
とも思うのです。
いやいや、笑える状況じゃないから…
え?ほんとに?
じゃあ、いつ笑うの?
学校行ったから笑う?
社会に出たら笑う?
それまで深刻になり続けるの?
・・・
そりゃ子どもたち、酷だわ…
そんなんだからsns見ちゃうんですわ…
ていうことを私自身も経験して、13年前に戻ってやり直したいくらいでした。
あの頃は他人に迎合する他人軸でしたし、自分大嫌いでしたから、他人言ってることが正しい、自分には存在価値がない、他人が羨ましくて仕方ありませんでした。
そうやって比較しては、自分の粗探しをして、どれだけ不幸かを毎日数えてました。
過去を悔やみ、未来を心配し、今を恨みすべてをおろそかにする。いつも能面のような顔して、隠れるように地味に過ごしてました。
でも、「なんかその不幸自慢、、、意味あるの?」って一喝されたかったですね。
そもそも子育て自体が疲れるものですが、学校に行かない子どもを持つ親というのは、他の人と共有しにくい悩みを抱えていることが多いので、かなり心労がかかってると思います。
その心労は、残念ながら
①自分でしか癒せません…
だーれも
自分の代わりに
癒すことができないのです。
このことを知ったとき
膝から崩れ落ちました。
私は随分長い間、
人生を遠回りして
挙げ句誤解していたのだな…と。
加えて、親としての信念が他の人とは異なることがしばしばあるので、余計に孤立感を感じやすいと、痛感しています。
(私だけですかね?当時は自分嫌いだったので自信もなくて感受性が強いのもあるかもしれませんが…)
この②孤立感が途方もなくえらく長いトンネルを一人で歩いているような気にさせるのです。その孤立感を他人に拭ってもらおうと期待しないで、自分で受け取る!と覚悟する。
①心労は自分でしか癒せない
②孤立感は自分で受け入れる
酷ですが、これは子どもが抱えてるこころの重さですよね。抱えてる重さとしては、子どもの方が負担が大きいことを忘れないように。だからこそお母さんの余裕=リラックスが必要です。
こんなふうに私が書く不登校親向けのブログも、全ての内容があなたに合うわけではないと思います。でもそれでいいのです。みんな違うから。
自分に合う部分だけを抜き取ってもらえればと思います。なぜなら、
[信念の違いは時に戦争さえ引き起こすほど強いもの]だからです。(信念を否定するから争いが起きてるわけですよね)
🔸1.常識を疑い、思い込みを超えること
多くの人が「常識は守るべきもの」と信じている中で、私は『常識は守らなくてもいい、疑問を持つことが大切だ』と考えています😅
「既成概念にとらわれないで」と言い切るのは、日常は思い込みで作られている!と気づいたからです。
私たちは自分が信じていることと、他の人が信じていることには大きな隔たりがあることが多いのです。
ですが、脳のサボり癖のせいで記憶したことを一般化してしまうため、あなたも【同じように信じているよね?】という前提で会話を進めていくため、少しずつズレが生じ誤解に発展するケースも少なくありません。
特に職場やPTAはありがちです。そこで時と場合によっては、身を守らなければならないこともありますね。
相手の信念を否定する必要はありません。むしろ、私たちはお互いを尊重すべきですからね。ですので同じ志向の者同士の職場や、集まりの場がいいのです。そうでないなら、一刻も早くそこから離れることです。
じゃあ学校行事のあれこれも、PTAもどうするんだ??→やることはやります。でも他人と分けて、キッパリ関わらないことです。どう思われてもいい、自分の精神は自分でしか守れませんから。
13年前、中学では私はなんかの行事の担当になり、キャンドル制作のイベントの主催者をやったですが、業者を手配するまではやり、あとのことは担任に一任して、離脱しました。
息子が学校行ってないのに、なぜ他人に気を遣って最後までやろうとしてるんだ?それ誰のため?と、ハッとしたのです。
常識とかどうでもよくて、誰のためか?と考えたら、自分や我が子のためならやれるけど、責任や世間体のためならやらなくていいよね、と結論づいたのです。
信念とは、特に家族においても考え方の違いは、重要な意味を持ちませんか?パートナーとも、子どもとも、それぞれが違う意見を持っているからといって、それを敵にしてはならないのですが、、、
たとえば、私自身も13年前に学校に行かない息子を見て「誰に似たんだ?」と責めてしまったことがあります。元夫への感情が絡み合い、息子を責めてしまったのですね。
🔸2.自分を責めることで得た苦しみ
私は、整理整頓が得意で、息子にも前日に準備を終わらせるように教えてきました。しかし、息子は物を出しっぱなしにしたり、宿題に苦戦していました。それを見て、私は元夫に似たのだと思い込み、憎しみの感情をぶつけてしまったのです。
息子が学校に行かなくなった理由は、単純な「準備ができない」ことだけではありませんでしたよ。彼のクラスでは、宿題の量が他のクラスよりも多く、やらなければ胸ぐらを掴まれ怒号が飛びます。(←田舎ですから好き放題なんですよ…やめてくれと丁重にお願いしたけど、顕示欲なんでしょうね、哀れです)
ですから頭が混乱していたのです。結局、彼はその環境の重圧に耐えきれず、私からの叱責にも疲れ果て精神的に崩壊してしまいました。
それは、動作性が思考とは著しくかけ離れていたためと、後になってわかったのです。ウィスクの検査ですね。
その日から、私たちの時間は止まりました。私は、最悪なことをしてしまった・・・と自分を責め続け、担任教師にも恨みを抱きました。
お前のせいだ…
という思いを、自分の不甲斐なさから逃れるために、担任を憎むことで、自分への批判を軽減していたのだと、今ではわかります。
🔸ハッとする瞬間
私たちはしばしば、何か大きなことが起きて初めて、「ハッ!」とすることがありますよね。私の場合もそうでしたから。
息子が倒れたことで、私自身の信念や行動が見直されることになったのです。
親が信じていること、そしてそれを子どもに押し付けてしまうことが、どれほど子どもに影響を与えるかを深く身をもって理解しました。
私自身も母親から宗教の強要やら理不尽なことを押し付けられ苦しかったのだから、我が子には絶対しない!と決めてこれまで育ててきたのに。ある日突然人生にUターンさせられたようです。
こうでもならなければ、私は改心できなかったのです。改心というのも人それぞれ異なりますが。今もし自分で思い当たることが脳裏をよぎったのなら、それが、そうなんです。
でも私たちの脳は、都合いいダメンズクズオのように、自分に都合の悪い思いは、一瞬で掻き消してしまうのです。ですから意識して、「自分今何考えてた?」と問いかけることが重要なのです。
息子は私の知らない間に、自己対話を通じて過去の出来事を昇華し、担任を恨むことも手放したと聞きました。あんなクズ担任許せてるの?神かよ?と思いました…。
現代社会の好きな彼は、高校教科書から心理的な抑圧が邪魔だったことなど、参考になるセクションを見つけて教科書に没頭して解放できたと言うのです。
私も、自分の信念や行動を見直すプロセスを通じて、自分を思いや感情を大切にすることを覚えて、過去の自分を許し、再び歩み出すことができました。これは、私の知らない間に、息子にも同時に起きていたことなのです。
息子は自愛をしようなんてミクロも思っていません。そもそもそんな言葉知りませんからね。
ですから、母親の私の人生に起きていることですから、自分が変われば周りも子どもも変わる、と断言しているのです。
どうしてそうなるのか?・・・
自分しか存在していないからです。
(このくだりを“スピリチュアル”枠なの?とまとめてしまうと、非常にもったいないので、単に『この世界には自分しかいない』とひとまず思ってみてほしいです。のちに面白いことが起きるから。)
🔸自分を受け入れることが親子の信頼を築く
親自身がまず、どういう自分をも受け入れることが大切です。自分の信念が常に正しいとは限らないことに気づく柔軟さを持つことが、親としての心の成長に繋がります。成長と言いますか、視野を広くするという意味です。
人生は修行ではないので成長なんで本当のところありません。ただ便宜上そう言ってているだけですからね。
物事の捉え方が、良いと悪いとふたつしたないよりも、144面体ほどの多角的な捉え方をした方が、人生は疲れないのです。
自分の思い込みや我の強い[エゴ]を手放すことで、子どもに対する不必要な期待やプレッシャーを軽減し、親子の信頼関係がより強固になります。
私たちは、どうしてもまだ、物質的な成功や他人の評価に囚われがちですよね。心の器を表現する「度量」を見せることが大切だと考えがちですが、最近ではそれすらも3次元的な物質主義だと思うようになりました。
もちろんここは3次元であるという認識があるのは分かっています。ですがもう、物いらなくない?お金そんなに必要?貯める必要ある?成功って何?と思うのです。
今生きてるだけで十分じゃないですか?
子どもが家にいてくれて、さらわれたり、いじめられたり、痴漢されることもなく、事故に遭うこともなく、安心じゃないですか?
よくあろう、もっとよくなりたい、もっと裕福になりたい、もっといいことしたい、将来有望になりたい、、もっともっと!と欲望は終わりがありませんが、欲求は満たされたら完結します。
欲望が親子関係を曲げている、と今なら言えます。親子関係において本当に大切なのは、安心欲求の【お互いの違いを認め合い、尊重すること】で、終わりたいものです。
私のブログが、あなたの思考を整理し、自愛を育む助けになることを願っています。
今日も読んでいただきありがとうございました😊






