脳の機能に障害があるのに、見た目ではわかってもらえない。本人や家族には、こんな悩みもあります。
●失語症に何ができるの?
家を買った翌年の2001年、夫(59)は脳動脈瘤(りゅう)をクリップでとめる手術を受け、直後に脳梗塞(こうそく)になりました。意識が戻るのに1カ月かかり、失語症が残りました。
私は家のローンと、高1、中2、小4の子どもの学費の工面に奔走することになりました。
「仕事に戻りたい」と夫はリハビリを頑張りました。しかし、見た目が健常者の夫は周囲から障害者とみなされず、リハビリ中にも「失語症に何ができるの?」といわれ、ずいぶんと悔しい思いをしてきました。
それでも私は会社と話し合いを重ね、発症から1年9カ月後に職場復帰がかないました。病気を理解してくれた会社には、言葉で言い尽くせないほど感謝しています。
同僚も、言葉が出ない夫に「君の仕事は会社に来ることだ。それだけで多くの社員が心強く思う。絶対に自分から辞めるとは言ってはいけない」と励ましてくれました。
仕事人間だった夫が失語症になり、逆に子どもたちとの会話が増えました。神さまが、夫に障害を与え、子どもたちのところに連れ戻してくれたのだと思っております。(茨城県 赤嶺愛子 65歳)
●交通事故で脳に大けが
7年前、夫(69歳)は交通事故で頭に大けがを負いました。医師からは「良くても植物状態でしょう」といわれました。
それが奇跡的に回復しました。体に不自由もなく見た目はふつう。しかし高次脳機能障害が残りました。
「遂行機能障害、記憶障害、注意障害、社会的行動障害」。難しい名前の症状が列挙され、精神障害2級、要介護2と認定されています。
問題は、暴言がひどくて、外出先などでけんかになることです。いくつもの介護施設からも断られ、そのたびに家族は心身ともに落ち込みます。「怒っているな」とわかったら、家族が別の部屋に移動する。これが最近の対処法です。(東京都 山口智恵子 60歳)
6 「やる気」が最大の武器
「リハビリの推進力は、やる気」。「読者編」最終回は、成果が見えない中、前向きに努力している方々の声です。
●出来たことをよろこぶ
強いめまいのあと山並みや水平線が大きく揺らぎ、吐き気がのどを突き上げた――。2年前、脳梗塞(こうそく)に見舞われ、全身まひ状態になりました。
リハビリは、救急病棟入院4日目から始まりました。しかしベッドに座ることもできず、嚥下(えんげ)・言語・視覚にも強い後遺症がありました。
「元のようには治らぬが、良くはなる」。医師のこの告知は衝撃でした。「それでも治りたい! 良くなりたい」の一心で、リハビリ病院では、メニューのほかに「早朝自主トレ」も続けました。
退院してからも、デイサービスでストレッチや柔軟体操などの自主メニューをこなし、つえを片手に1日1万歩を目標に歩きました。
平衡感覚の悪さや左半身のまひ、目の障害などは改善されません。でも、成果が見えないのはこの病の特徴。最大の武器は「やる気」です。
「出来ぬことを嘆くより、出来たことをよろこびたい」。患者仲間の合言葉です。(千葉県 片山二郎 68歳)
●生きていることの大切さ
9年前、急性骨髄性白血病と診断され、骨髄移植を受けました。移植までは抗がん剤治療を4回受け、はき気や脱毛などの副作用に悩みました。
つらかったのは、移植直前の全身の放射線照射。抗がん剤の比ではありません。移植から1週間ほどたつと、GVH病(移植片対宿主病)が始まりました。口内炎がひどく、ゼリーすらのどを通りませんでした。
退院後も日常生活は大変でした。生ものは食べず、外出時はマスク着用。高価な薬を大量にのむことになりました。
注意していたのに帯状疱疹(ほうしん)になり、神経痛が後遺症として残り、頭が痛風のように痛みます。唾液(だえき)や涙の出が悪く、薬による白内障などの後遺症に悩んでいます。
そんな状態ですが、生かされた命を大切にしています。生きていれば、いつかきっと良いことがあると思うのです。(埼玉県 玉之内光男 51歳)