読売新聞ヨミドクターの10月4日掲載記事より抜粋

 虚血性心疾患(4)「もらった命」で復帰公演

 「心配をおかけしました」

 退院後、都内で開いた復帰記者会見。心臓のカテーテル手術を受けたことを明らかにした上で、術後の順調ぶりをアピールした。

 体重は、入院前の90キロから79キロに落ちていた。俳優デビュー当時に近い数字で、妻でタレントの榊原郁恵さんは「既製品の服が着られる」と喜んでくれた。

 これまでに様々なダイエットに取り組んできた。しかし、「5キロ痩せる」など目標を達成すると、気が緩んでリバウンド。その繰り返しだった。これからは、暴飲暴食を避けることを心に決めている。

 12月には主役を務める復帰公演が控えている。豚小屋の番人の生涯を描く「ハーベスト」。19歳から105歳までを演じるハードな役柄だ。体力を取り戻そうと、先月から専属トレーナーの指導を受けている。

 今はもらった命のような気がしている。一歩間違えば、二度と舞台に立てない体になっていたかもしれないからだ。「舞台降板で多くの人に迷惑をかけた。復帰公演ではおわびの気持ちを込めて演技したい」

 すぐに息切れしていた頃がウソのように、なんでそんなに速く歩くのと家族に言われるようになった。

 「今なら、走り回る、『太陽にほえろ!』のラガー刑事役もできますよ」(文・加納昭彦、写真・横山就平)

 5 見えない障害に苦しむ

 脳の機能に障害があるのに、見た目ではわかってもらえない。本人や家族には、こんな悩みもあります。

 ●失語症に何ができるの?

 家を買った翌年の2001年、夫(59)は脳動脈瘤(りゅう)をクリップでとめる手術を受け、直後に脳梗塞(こうそく)になりました。意識が戻るのに1カ月かかり、失語症が残りました。

 私は家のローンと、高1、中2、小4の子どもの学費の工面に奔走することになりました。

 「仕事に戻りたい」と夫はリハビリを頑張りました。しかし、見た目が健常者の夫は周囲から障害者とみなされず、リハビリ中にも「失語症に何ができるの?」といわれ、ずいぶんと悔しい思いをしてきました。

 それでも私は会社と話し合いを重ね、発症から1年9カ月後に職場復帰がかないました。病気を理解してくれた会社には、言葉で言い尽くせないほど感謝しています。

 同僚も、言葉が出ない夫に「君の仕事は会社に来ることだ。それだけで多くの社員が心強く思う。絶対に自分から辞めるとは言ってはいけない」と励ましてくれました。

 仕事人間だった夫が失語症になり、逆に子どもたちとの会話が増えました。神さまが、夫に障害を与え、子どもたちのところに連れ戻してくれたのだと思っております。(茨城県 赤嶺愛子 65歳)

 ●交通事故で脳に大けが

 7年前、夫(69歳)は交通事故で頭に大けがを負いました。医師からは「良くても植物状態でしょう」といわれました。

 それが奇跡的に回復しました。体に不自由もなく見た目はふつう。しかし高次脳機能障害が残りました。

 「遂行機能障害、記憶障害、注意障害、社会的行動障害」。難しい名前の症状が列挙され、精神障害2級、要介護2と認定されています。

 問題は、暴言がひどくて、外出先などでけんかになることです。いくつもの介護施設からも断られ、そのたびに家族は心身ともに落ち込みます。「怒っているな」とわかったら、家族が別の部屋に移動する。これが最近の対処法です。(東京都 山口智恵子 60歳)

 6 「やる気」が最大の武器

 「リハビリの推進力は、やる気」。「読者編」最終回は、成果が見えない中、前向きに努力している方々の声です。

 ●出来たことをよろこぶ

 強いめまいのあと山並みや水平線が大きく揺らぎ、吐き気がのどを突き上げた――。2年前、脳梗塞(こうそく)に見舞われ、全身まひ状態になりました。

 リハビリは、救急病棟入院4日目から始まりました。しかしベッドに座ることもできず、嚥下(えんげ)・言語・視覚にも強い後遺症がありました。

 「元のようには治らぬが、良くはなる」。医師のこの告知は衝撃でした。「それでも治りたい! 良くなりたい」の一心で、リハビリ病院では、メニューのほかに「早朝自主トレ」も続けました。

 退院してからも、デイサービスでストレッチや柔軟体操などの自主メニューをこなし、つえを片手に1日1万歩を目標に歩きました。

 平衡感覚の悪さや左半身のまひ、目の障害などは改善されません。でも、成果が見えないのはこの病の特徴。最大の武器は「やる気」です。

 「出来ぬことを嘆くより、出来たことをよろこびたい」。患者仲間の合言葉です。(千葉県 片山二郎 68歳)

 ●生きていることの大切さ

 9年前、急性骨髄性白血病と診断され、骨髄移植を受けました。移植までは抗がん剤治療を4回受け、はき気や脱毛などの副作用に悩みました。

 つらかったのは、移植直前の全身の放射線照射。抗がん剤の比ではありません。移植から1週間ほどたつと、GVH病(移植片対宿主病)が始まりました。口内炎がひどく、ゼリーすらのどを通りませんでした。

 退院後も日常生活は大変でした。生ものは食べず、外出時はマスク着用。高価な薬を大量にのむことになりました。

 注意していたのに帯状疱疹(ほうしん)になり、神経痛が後遺症として残り、頭が痛風のように痛みます。唾液(だえき)や涙の出が悪く、薬による白内障などの後遺症に悩んでいます。

 そんな状態ですが、生かされた命を大切にしています。生きていれば、いつかきっと良いことがあると思うのです。(埼玉県 玉之内光男 51歳)

 『3 痛みとれる日を信じて』

 患者本人にしかわからない「痛み」。解決できるかどうかで生活が大きく変わります。

●解決求め病院を転々
 母(64歳)は2006年、右膝(ひざ)を人工関節に置き換える手術を受けました。「さらにいい状態にして、それを維持していこう」と、リハビリを頑張っていましたが、翌年にがんを発症。入院して、抗がん剤治療を半年行いました。その後、心臓弁を手術し、ペースメーカーを胸に埋め込みました。

 さまざまな病気を治療するたびに、種類の違う痛みが足に加わるそうで、足を中心にリハビリに取り組んできました。しかし、母のいう「足の痛み」は完全に取れません。(運動しないために筋肉が弱くなる)廃用なのかどうか、主な原因もわかりません。

 母は「いつか痛みを取り除いてくれる先生が現れる」と信じ、いくつもの病院を巡っていました。

 理学療法士の方はリハビリを「治療だ」とおっしゃいます。しかし、痛みを取り除くためにリハビリを行っていくのか、生活の質の向上を求めてリハビリをするのか。介助する側もリハビリをどのように解釈して、何を求めていけば良いのかわかりません。(静岡県 苅谷祐司 36歳)

●優れた療法士に感謝

 06年8月、旅先で交通事故にあい、両足に骨折や脱臼などのけがを負いました。搬送された病院で「歩けなくなるかも知れない」と言われました。

 4年間に7回の入院、11回の手術をし、主な骨折はほぼ治りました。ただ、変形が大きい左の股関節は人工関節に置き換えることになりました。

 股関節に痛みが残り、両手に持ったステッキに頼って歩くことになりました。姿は美しくないが、歩けるのだから仕方がないとあきらめかけていました。

 ところが最後の手術をした病院で、優れた理学療法士に会いました。私の場合、両足の筋肉が歩き方を忘れているのだといわれ、ふつうなら無意識でこなす動作を少しずつ足の筋肉に教えていきました。

 いまはステッキは不要で、近くなら自転車にも乗れます。痛みもほとんどありません。(東京都 池田睦子 57歳)

 『4 社会の壁 なお高く』

 病気に対する「社会の壁」の高さが問題だ、というご指摘もいただきました。

●「できる人」が支援を

 60歳を超した母は、幼い頃にポリオにかかり、ハンディを背負った人生を送ってきました。しかし、本人のものすごい努力で、今なお「自分ができること」をしています。

 母を通して知り合ったポリオの皆さんも、とっても頑張り屋さんが多いんです。周りの偏見や差別が、本人たちを強くさせたのかもしれないというぐらい。素晴らしい努力家で、人間としても尊敬しています。

 私は、母を身体障害者と思ったことはありません。人間は完全じゃないから、みなが互いに支え合うもの。できる人が重い荷物をもって当たり前、と思って育ってきました。弱者を見て、見ぬふりをする感覚のほうが、理解できません。

 「バリアフリーになったな」と、年々いろんな環境の変化を感じてはいます。しかし、電車に乗ると階段の多さがわかります。人の歩く速さが速い都会では、もっと階段が減ればいいなと思います。

 年齢を重ねると、これまで普通に歩いていた場所が歩きにくくなることもあります。不自由になって初めて、わかるものです。お出かけしやすい施設がもっと増えると信じています。(東京都 青木直子 35歳)

●働き盛り、より深い苦悩

 うつ病により離職し、2009年から自宅療養を続けています。連載に取り上げられた「うつからの復職」は、休職した方の復職のケースを扱った記事でした。

 しかし、離職せざるを得なかった人は、休職者以上に苦悩が大きいと思います。私自身がそうであるように、働き盛りの40代で、子どももいる家族持ちであれば、なおさらです。

 もう一度働くにしても、まず社会復帰が必要で、その次にうつ病という病歴を背負っての就職活動、そして就職。普通の社会人に戻れるまでの壁がより多いように思います。

 離職しうつ病と向き合っている人が少しでも希望を持てるように、「うつ病・離職からの社会復帰と就職」といった視点での記事もお願いします。(山口県 浜川栄太郎 42歳)