明日は陸上の大会。

 

コロナで一番大きい大会は中止になってしまって、明日の大会が今年初めての大会。

 

小6の息子、リレーメンバー。

 

去年は先輩が寄付していってくれた陸上部保管のスパイクを借りた。

その時点で、一番大きいサイズだった。

26.5cm。

 

今年は、普段履いているスニーカーですら27cmになった。

一応、去年借りていたスパイクを履いてみたけど無理だった、と。

 

予定されている大会は2回しかないけど、

もったいないけど、

仕方ないから買いに行った。

 

試し履きすると・・・

27.5cmだった。

 

 

 

 

ちなみに、身長は今156cmちょい。

ついに、ビミョーに抜かされた。

体重はだいぶ前に抜かされた。

Tシャツのサイズも、もうメンズのMかLを着ている。

 

よーし、大きくなれ、なってくれ!

パパもママも世間の平均身長以下だけど、

でもパパの兄弟もママの兄弟もパパやママよりずっと大きいから、

君にもその遺伝子があるかもしれない!

 

横にはもう大きくならなくていいよ、縦だよ、縦!

間違えないでね!

 

「足が大きいから、きっと大きくなるよ。」

 

残念ながらそれは当てにならないことを、長男(22歳)で立証済みです。

靴のサイズ28cmで身長170cm止まり。

 

残念!!!!

 

期待の星だったのに!

 

顔が小さくて手足が長くてものすごく今時のバランスで細マッチョで(水泳部)・・・

身長伸びたらモデルにして、見た目と中身のギャップ系お調子者キャラで売ろうと思っていたのに!

 

残念!!!

 

 

話がそれました。

 

 

末っ子くんの話に戻ります。

そんなわけで、明日はお気に入りのスパイクで、田村市陸上競技場を駆け抜けます。

ママは夜明け前から早起きしてお弁当作って、アッシーしてきます。(古っ。バブル。)

 

今、室内競技だと、親の応援も無しというのが多いようです。切ない。

陸上は応援あり・・・ありがたいことです。

 

 

早くこの騒ぎが収まりますように・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

あと半年ほどで、震災から10年だ。

 

今は、コロナだ。

 

見えない敵。

分断。

学校行事の縮小。

いろいろ、似ている。

 

実際の内容は、全然違うんだけど。

 

ともかく、あの日から10年が経とうとしているわけで、

表現者としては、これはスルーできないわけで。

 

しらかわ演劇塾でも、来年2月の公演で、震災に関する作品をやることにした。

 

とはいえ、コロナ。

いろんな制約がある。

 

そこでやることにしたのが、リーディング作品。

 

台本を持って舞台に立つ、でも朗読劇とはちょっと違う。

定義はあるようでないようで、どうやろうとそれは自由だ。

 

まず、リアルな演劇にしないことで、役者同士が距離を置くことができる。

台本を離さなくていいから、稽古時間も少なくて済む。

 

作品は、

 

篠原久美子作

 「空の村号」 

 

    脚本集311 より

 

舞台は福島県内のとある村。

主人公は、酪農を営む家の小学校5年生の男の子、空。

 

美しい村を愛し誇りを持って生きる人々と、そこに降りかかる震災・原発事故。

放射能は心配ない、大丈夫だと言われた翌日に避難指示、振り回される村民。

考え方の違いからの、分断。

バラバラに離れていく、家族。友達。

そして、空は仲間たちと映画を撮る。

現実なんてつまらない、フィクションだ、ファンタジーだ!

 

 

 

2月の前に、11月に試演会という形で上演することに決めた。

 

一般クラスの大人たちは全編を。

ジュニアクラスの子どもたちは、抜粋を。

 

 

 

 

昨日は一般、今日はジュニアの稽古だった。

 

一般クラスの稽古では、みんな読み合わせですでに涙を堪えきれない。

そして、それぞれから吹き出す「あの頃の思い」。

 

 

 

一方、子どもたちは・・・

 

中2から小4までの六人。

みんな、もう生まれていたけど。

 

 

・・・・・・全然覚えてないし、そもそも何があったのかよくわかってない!!!

 

 

・・・衝撃的なほどに。

 

・・・この10年、私たちと一緒に生きてきたのに・・・!

 

 

 

そこで、今日は

原発について基礎的な話をした。

 

あまり怖がらせたくないし、今ここで育っている彼ら彼女らに自己を否定するようなネガティブな感情は飢えたくはない。

正直に、だけど言葉を選びながら、話した。

 

 

原発って何?

なんで爆発したの?

放射能って何?

風評被害って何?

除染て何?

 

震災、原発事故のあと、大人達が心配したこと、いろいろ。

 

何ヶ月も洗濯物を外に干せなかった、とか

 

子ども達を守らなきゃって大人たちは必死だったこととか、

 

今県内にたくさんある室内遊び場は、外で遊ばせられなかったからできたんだよとか、

 

新白河駅まえの海賊公園はなんで海賊公園ていうのか、遊具を取り替えられる前はどんなだったか、とか

 

小学校の運動会の様子とか、

 

給食の食材ひとつひとつの名前の横に「検出せず」って書いてあるプリントをもらってくる理由とか‥

 

実は震災前には無かったものが、今町の中にいろいろあるってこととか。

モニタリングポストとかね。

子ども達にとっては、物心ついた時からそこにあって、あるのが当たり前なんだって、こちらも気づかされた。

 

 

あの頃を思い出すと、胸が苦しくなる。

感情が込み上げてくる。

 

子どもたちがポカーンとしているのは、変なトラウマを植え付けずに済んだという、私たちの子育ての成果だ。

 

心配は親だけでいい。

子どもたちには、のびのび育ってほしい。

そう思って頑張ってきたんだから。

 

 

でも、子どもたちに最後に付け加えた。

 

 

「みんなは何にも覚えていないんだろうし、よくわからないことかもしれない。

でもみんなが大人になって、例えばどこか外国の町に行った時、アイム フロム フクシマって言ったら、向こうの人はみんなびっくりしたり心配したりするかもしれない。

世界で有名になっちゃったからね、フクシマは。

だから、その時、ちゃんと自分の考えとか状況を話せる人になっていてほしい。

だから、知って考えていこうね。」

 

みんな、真剣に頷いてくれた。

 

 

試演会 

コミネス小ホールにて

以下の時間帯を予定。

11月11日(水) 19時半〜20:40 一般クラスA

11月18日(水) 19時半〜20:40 一般クラスB

11月19日(木) 19時〜20時 ジュニアクラス(トリプルキャスト連続上演)

無料です。

客席の数が限られるので、事前に整理券をご用意いたします。

配布開始が決まったらお知らせします。

 

 

 

 

 

ブログ。

 

やりなよ、うんやる、やってみよう・・・

 

・・・それからずいぶん経っちゃった。

 

考えすぎていたのかも。

 

まずは、初めてみよう。

 

 

自己紹介?

略歴・・・?

 

江戸っ子と道産子のミックスとして、東京都板橋区で生まれ、気づいた時から府中育ち。

両親、母方の祖母、弟の五人家族だった。

 

地元は小学校までで、受験して中学高校はそれなりに頭の良い女子校へ。

演劇部に所属。あの頃は小劇場ブーム、いろんな劇団を観に行った。

そしてエスカレーターの先の大学へはいかず、外部受験をして演劇科のある短大へ。

「演劇を学んでみたい」という興味だけでの進学、有名な女優になりたい!とか野望がなく、ずーっとマイペース。

劇団の養成所にも行って、卒業後は束縛されるのがとにかく嫌いでフリーの道へ。

でもそんなに甘くないのがこの世界。

それでも、目立つ場所には立てなかったけど、それなりにずーっと演劇してこられた。

 

26歳の時に渡米。

どちらかというと勢いで行動する方で・・・、この時もそう。

なんだかわかんないけど行かなきゃ、行こう!って決めて、仕事の整理して、数ヶ月後には空の上。

大して英語も喋れずに行ったアメリカは、甘くはなかった。

初めて実家を離れ、携帯もない時代、最初の三ヶ月は淋しくて太平洋に沈む夕日を見ながらいつも泣いてた。

でも、傷付いたり失礼なことしたり恋をしたり、若気の至りにあふれている最高の13ヶ月を経て、帰国。

 

帰国後はさらに貪欲に演劇しながら、これまた勢いで29歳で結婚、でも3年で離婚。

それなりに傷付いたけど、あれがあったからその後いろんなことが展開した。

 

仲間と寝食を忘れて映画製作に没頭、海を渡った。

 

いろんな舞台に立ちながら、いくつかの恋を経て、37歳、運命的なタイミングで夫に出会った。

一年半の遠距離恋愛ののち、結婚して夫の住む福島県白河市へ移住。

シングルファーザーだった夫の二人の男の子のママになり、夫の両親と六人家族となる。

間も無く妊娠、これまた男の子を出産。

 

子どもたちが小6、小5、2歳の時に東日本大震災が起きる。

悩みながら神経をすり減らす日々。

生きるとは何か、健康とは何か、育つ・育てるとは何か。

いっぱい考えて・・・

強くなった。

 

白河の築50年の市民会館が震災でトドメを刺されて新築されることになり、それに先んじて2014年に誕生した「しらかわ演劇塾」の代表となる。

夫の工房を手伝いながら、子育てをしながら、また芝居を作れる喜び。

今度は役者ではなく演技指導、演出業。

地方でのアマチュア演劇という自分にとって未知であったジャンルに挑戦している。

 

人生は、時間が経つにつれどんどん面白くなっている。