
「ねえ、なんでチョーさん、出てるの?」
「いかりやちょうすけさん、亡くなったよね?
なのに、なんで出てるの?」と、母が言う。
「うん、ちょっと待ってて」と、急ぎのメールをしながら、
「これ再放送のドラマだからよ」と、答える私。
それでも、母は何度も何度も、きいてくる。
「ちょっと待ってよ!」とばかりに、顔をあげると
そこには、少し寂しげな母の顔があった。
「ああ、そうだった・・・」と、胸がキュンとなる。
難聴の母には、うつむいて話す私の声は、聴こえなかった。
何か言ってるとはわかっても、音がひずんで言葉の判別はできにくい。
二人で話すとき、母はいつも必死に私の唇を読みながら、
言っていることを、理解しようとしてくれる。
だから母と話すときは、必ずちゃんと母の顔を見ながら、
大きく口を動かして、話すようにしてきた。
ゆっくりと、はっきりした声で話せば、会話もできる。
それでも、ふと忘れてしまうことがある。
ちゃんと顔をみて話してあげなければ、理解しづらいことを。
母の耳が、少しずつ少しずつ、
前より聴こえづらくなってきていることを。
できなかったことが、できるようになる歓びは大きい。
できていたことが、できなくなる落胆は、
その倍以上に、大きいように思える。
聴こえない自分に、体力が衰えてきた自分に、
いらいらすることも多いだろう。
一人で何でもこなしてきた母には、特に。
そんな母をみながら、
不安になっているのは、
哀しさに埋もれているのは、
実は私のほうだと気づく。
いつまでも変わらずにいてほしいと思うのは、
娘の勝手な想い。
できなかったことが、できるようになるときを経て、
できていたことが、できなくなるときもやってくる。
母は今の自分にしっかりと寄り添うように、
あきらめなければいけないことは、さっさと受けいれ、
思ってもいない新しいことにも、チャレンジし続けている。
あきらめきれていないのは、私のほうだった。
寄り添えていないのは、私だった。
やれることが違ってきても、私の強い母は、
変わらずにたくましい母だったことに、
あらためて頭が下がる。
あなたの娘は、ほんとにまだまだだけど、
どんな言葉も、必ず、ちゃんと、向き合って、
顔をしっかりみて話すから、大丈夫だよ。
と、ひとりでそっとつぶやいた。

【雨に打たれても、強い風に吹かれても、そこに、それとして、ただ在る。たとえ姿が変わっても】



