こどものころ、夏休みと言えば、もう毎年おばあちゃんちに行っていて、
それも2,3週間は滞在していた。
今思えばパパかわいそ…って感じだけど
まあそんなことはお構いなしだよね。
パパに暑中見舞い書いて、返事くれ!って電話でせがんだのを覚えてるけど
(今思うとまじめんどくさいよね笑)、
でも散々「暑中お見舞い電話でいいでしょ?」って渋ってたパパも
そういえば白いつまんない葉書でちゃんと返事くれてた。
私はおばあちゃんが大好きで、
山の家(って呼んでた、西宮の別荘)が大好きで、
2歳か3歳かってくらいのお庭のプールで遊んでる写真があるから
そんくらいから中学くらいまでは本当に毎年行ってた。
お庭がすっごく広くって、
大きなケヤキの木が立ってて、
プールで毎日遊んで
お楽しみのお庭でBBQ(とは言ってなかったかなあ?ホットプレート出して
焼肉食べたような。)もして、
花火して、
ありまぐらんどほてるのプール とか
フルーツフラワーパークのプール とか
宝塚ファミリーランドの乗り放題 とか
おばあちゃんのおにぎりとたまご焼き持って、
お決まりの大好きコースに毎年連れて行ってもらった。
夜リビングで7並べとか神経衰弱とかトランプするのも大好きで、
ツイスターもよくやったなあ・・
ソファでピョンピョン跳ねて怒られたり、
ロッキングチェアゆらゆらしたり、
立派な木のテーブルのある和室は、夏休みだけ勉強部屋に変わり、
そこで宿題をやって、
日記も書いて、
毎日のノルマを達成したら遊んでOKだった。
近くの公園に遊びに行ったり、
イカリとかコープにお買いもの行くのも大好きだった。
おばあちゃんが氷(アイス)が大好きだから
夜にアイスもよく食べた。
食べ物と言えば
私は食べるのがすごく遅かったから
食べるのが遅い食べるのが遅いってよくからかわれて泣いたりしてた。
パン焼き器もあって、
出来立ての食パンのふわっふわな中身だけほじって食べたりした。
そんなお下品な食べ方も許してくれた。
読書感想文なんかの宿題もあって、図書館に行ったりもしたなあ。
リビングのテーブルで泣きながらママと書いた盲導犬クイールの読書感想文が
なんとかコンクールでわりとイイとこまで行った記憶があるような、ないような。
夏休みの生活のほとんどをおばあちゃんと山の家で過ごした。
2週間くらいの滞在中の何日かは、いとこの弾くんも来てたりして、
一緒に遊んだり一緒に勉強したり九九覚えたりした。
吹き抜けの玄関がだいすきで、
階段の縦に入った柱の間をすり抜けるのが大好きで、
カメのはく製がちょっと怖くて、
お2階は寝るだけの空間で、夜は布団並べてみんなで寝てて、
小さいころは、ちょっと特別な「洋間」は、ちょっと行きづらかった。
そのうちクーラーのよくきく洋間で寝るようになり、
爆笑オンエアバトルを見ながら寝たりした。
ウォッシュレットがついてて、
おしりを洗うくすぐったさでキャアキャア言ったのも覚えてる。
あんまり喜んでたもんだから、おばあちゃんが
うちのトイレもウォッシュレットに変えてくれた。
あんなにたくさん笑ってたくさん動いてたくさん遊んで
たくさん愛されてたくさん勉強して(?)
あんなにたくさんおばあちゃんとおじいちゃんとお喋りできたのも
山の家があったから。
あたりまえに感じてたあの日々が、
どんなに恵まれた環境であったかを、今更ながら実感。
そんな山の家も、
私が高校くらいからはもう行かなくなって、
山の家より六甲にいて三ノ宮にショッピング行く方が楽しくなってきちゃったんだよね。
大学からは六甲にすらあんまり帰れなくなってて、
山の家の出る幕はほとんどなく・・・
そのままにしておいても廃れちゃうからって、
急きょ他人に貸すことになった。
私の知らないうちにさっさと準備は進み、
もう今月(8月)の頭から、借り手が住んでるんだって。
賃貸に出す話を聞いたとき、
誰かがあの素敵なおうちをまた使ってくれたほうが嬉しいって
そう思ったけど、
おじいちゃんから送られてきた、
7月31日に撮ったっていうお庭のケヤキの木の写真見たら、
なんだかとっても切ない気持ちになってしまった。。。
山の家と、おじいちゃんおばあちゃんへの
ありがとう
って気持ちがいっぱい湧いてきて、なんか泣きそうになったけど、
あの楽しかった日々を忘れないように記しておこうと思って
今こうして思い出を振り返ってみました。
○ ありがとう ○
たくさんの感謝をこめて・・・