こんにちは( ¨̮ )

先日の声門会後、とても気付かされる経験があったので書き留めます。
長いです!(笑)お時間ございましたら😂


金曜日、弓道の審査だったんですが、
日常の中で事実が、法の活動が証明されていくことだらけでした。

前日の練習も相変わらず(相変わらずもないのですが(笑))ボロボロで、まあ離れが良くないし中らない。
それでも、不安になりようがなく、
明日も失敗したらどうしよう、とか、もうそんなの出て来なくて。
ただ、その時、“福岡”も“明日の審査”も無く引いていました。

当日朝、
会場で巻藁練習(米俵みたいなのに矢を放てるもの)で、 お?今日はなんかすんなり引ける🙄って思って。
それはそれ、で。
ここで、これだ!って掴んでも、これまで何度失敗(競技的な)してきたか。
ほんと、繋がってなくて。
思えたことも、考えも、放捨することしかやることなく...
 
本番、射場に入り、 審査員は見えて認識した時にしかおらず、見えて問題なく、 観客はこう見るよね?って考えが過ぎっては消え... 自分の番にり、手先がちょっと緊張しているのを感じましたが、 打ち起こせば、自分がどうなっているとか無く、認識は全て後追いで 滞りなく、会の時意識がちらつきましたが、 気付けば中っていました。

2本詰めなければ一次審査通過は無いので、 考えでやっていれば、次も!とか平常心で!とか凝りが出そうですが、 “1本目中った”認識も捨て、目の前のあり様しかなく、二本目も気付けば中っていました。
やった!とかもなく、あぁ、中ったんだな、と認識し、静かに弓を倒し、退場しました。

仲間は、良かったね!やったね!と声を掛けてくれ、もちろん自分自身これを目指してきたのに、達成感とかそんなの無くとても静かな気持ちで...

あとは結果を待つしか無いので、一次通過後の面接対策を。
で、実はこの勉強の為の教本を忘れてきており🤣 更に、衿芯、袴下、充電器と今回忘れ物のオンパレードで(笑)
真面目に考えてたら、教本忘れて二次審査に進む気概が足りん😤 って感じですが
(忘れた事に何故⁉︎とか無くて、あっても後付けで、忘れ物した人を叱るとか責められないわ)

忘れた!って気付いて、
…🧐暫し考え、誰か仲間に見せて貰お(*ノωノ)ってなってました(笑) 
充電器は買いました。
他は無くても、代用でいけました。
問題なかったです(笑)

そして一次の発表、私の居た第二グループの通過者は、30人弱中私一人でした。
一次審査がすべて終わり、欠席除くと249人が受審、通過者は14人。 私のいる第一射場は4人のみで、第二射場に10人。
審査員が5名ずつ、それぞれに居るわけですが、第一射場厳しいんじゃないかと思ったり 聞こえてきたりするわけですが、それはそれで。

普通3人でやる一つ的射礼を、通過者4人なので、二人・二人でするので 正式な形、間合いと違う点があり、どうなるかな?と思ったのですが 組んだ方が親切で、落ち着いた物腰で打ち合わせして下さり、 とてもやりやすかったですし、失敗したら、とか、こうなったらどうするんだっけ?とか 先に意識を向けることを絶っていてので、 もう本当に、不思議と、ゆったりとした気持ちで、一体となり、体配をこなし、行射していて 気付けば全てが流れていっていました。 
入場で、前の方に弓の矛先が当たり、すみません!!😭という気持ちと、あぁもうこのミスで駄目かなとか思えたりしたんですけど🤣 
そんな失敗に引きずられることもありませんでした。

結果は1本目的中。 これで合格の可能性が50%?って感じなんですが、内容が一次より良くなく これは詰めなければなあ...と思った2本目、引いている最中に考えの方に入りましたね。 いい悪い、失敗成功無いんですが、外して。 が、動揺することなく、退場までの体配に集中しました。
もうあとは待つしかないのですが、
こういう時に「引き寄せよう」とか「ポジティブな気分で」とかやってた意味が最早わからないですね(笑)
そして、他の方の二次審査を見ていて、すーっと引いてらっしゃった女性の射手を見ていた時、何故だかじ〜んと来て、ちょっとうるっと来ました🥺
直前に話した、悔し涙を流した方と自他なくうるっと来たのかもしれないし、
その射手の離れは鋭く、ああ、これが教士だ、自分はまだまだだって、後から、さっきできなかったことが悔しく感じた…なんて、後追いで思ったりしましたが、 
理由もなく、そんな事がありました。

そして結果発表。 候補者の張り出しに、あったのです。自分の番号が。
 (論文を提出して合格判定なので、候補者になります。因みに8人でした。)


🙄 ???って感じでしたが、 周りにいた仲間におめでとう!と言われ、
おわ〜‼️(ノ)゚Д゚(ヽ) って(笑)

直前まで話していた、お世話になっている方に報告したら、
おめでとぉお〜!!🥹 ってぎゅう〜〜っとジブリ映画のワンシーンみたいにってハグされて😂💕
それに縁して私も涙が出て、後追いで、こんなに喜んでくれて🥺私までうるっときちゃった、とか思って
師匠に電話して、普段聞かないような喜んだ声で「良かったなあ〜」と言って貰えた時にもうるっとして🥺

驚くべきことに、ハッピーな内容だから喜びの涙がとか無く、 それが起こっていて、
師匠の声も私が後追いで“喜んでくれている”声と認識しているだけで…
全てが縁して生じて滅して...ただ起こっていて...

そして、教士候補者となった訳なんですが、
あんなに!
あんなにも目指していた教士なのに・・・!!
なんと!
なーーーーーんにも変わってないし、
何者にも成ってないし、
どこにも向かってないし、
何も得ていない!!!!びっくり(笑)

驚くほど静かで平穏なんです( ˊᵕˋ* )

変わる自分も、向かう自分も、
会得する物も会得する自分もなかった!

考え方の世界に居たら
この事実を絶対に看破出来なかったです無気力

変わったのは周りの認識でした。
「先生!」「上の方になられた」って😂

沢山お祝いの言葉、メッセージ頂き、勿論嬉しいし有難いのですが...✨
たとえ審査に失敗していても(世間的な)、何も失っていないし、 欠けてないし、何の条件もなく、安心、満足じゃないですか。
教士になれたから幸せ、とかじゃないじゃないですか。

今回の審査は本当にするする〜っと流れていったんですが、 目指す所も、目指す自分も無かったんですね…

声門会でお話ししていた、捨てる事しかやることが無かった。
そう気付いても、こう引きたいな、祝射会で失敗しないかな(笑)という思いや考えが生じ、
そして消え...留まる事の無い、この永遠の活動...
  

事実の話を聞いて実践したからうまくいったとか、メソッドの話じゃないですよ?!
どう転んでも(と言うと後先、別があるようですが) 良い悪い、成功、失敗無く、成す事無く、 止むこと無い永遠の活動に気付く話です。

最後に、面接対策中に見つけた、 読んでいて、何故だかこれまたじ〜んと来た「弓と禅」の序文を紹介して終わります。


長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました🙏


鈴木大拙『弓と禅』序文

もし人が、本当に一芸の達人たらんと望むならば、その技の知識だけでは足りない。技を超えて、その芸が、「無心の境」から生まれてくる「芸なき芸」とならねばならぬ。弓道の場合についていえば、射手と的とは、もはや相対する二者でなくて、一つの実体なのである。

人は考える葦である。だが、人間の偉大な仕事は、彼が計算していない時、考えていない時になされる。「無心」が永年にわたる自己忘却の修練ののちに回復されねばならぬ。このことの成る時、人は考えながら、しかも考えない。彼は空から降る夕立のように考える。海原にうねる波のように考える。夜ぞらに輝く星のように考える。爽快な春風にめぐむ木の葉のように考える。実に、彼は、夕立であり、海原であり、星であり、木の葉である。

-鈴木大拙(『オイゲン・ヘリゲル「弓と禅」への序文』より 増谷文雄訳)