あれから8年になろうとしています
時間が経つごとに震災の記憶が風化していくような気がしてます
あの当時私は仙台市の西部にある団地内にいました
そこに職場があり、震災発生時の時間帯は仕事で外を回っており、知
り合いに会いに行ってました
地震が来たとき2日前の地震を思いだし
また地震ですね
と話していましたが、その直後に大きな揺れが襲ってきました
揺れが収まるまで外にいましたがなかなか収まらなかったのに恐怖を
覚えました
揺れているときから私が経っている東側にある県道を見ていましたが
車は止まっており、揺れが収まったと同時に走り出したのを覚えていま
す
その後仕事場に戻り数日間は団地内から出ませんでした
ガソリンスタンドはほとんどが閉まっていたのですが、職場の車両にガ
ソリンを入れるには車で30分くらいの場所まで行かなければならなか
ったのです
その道中、長町付近の道路は隆起している場所や陥没している場所
が多くみられました
仕事の休みがもらえたのは震災から2ヶ月くらい過ぎてからでした
そのときになってやっと以前勤務していた気仙沼に行くことができまし
た
気仙沼市本吉町に入り町内から国道45号線に出たとき以前の光景と
は違う光景が見られました
以前は海が見えなかったはずなのに海が見えていたのです
また道路はアスファルトがなくなり未舗装の道路となっており、業者の
方が工事していました
まず最初に向かったのは大谷海岸で有名な大谷地区
道の駅があった場所は津波の被害を受け建物が損傷し、脇にあった
建物内は規制がされていなかったので中に入り駅のホームに向かい
ました
駅のホームと結ばれている橋は津波の被害を受けても落ちずにあり
ましたが、街灯投は折れ曲がっていました
ホームからの見た景色は美しかった海岸がなくなっているものでした
今度は気仙沼市の岩井崎に向かいました
岩井崎の手前には岩井崎プロムナードという目の前の海で取れる魚
や貝などを展示している場所がありましたが、津波により無残な姿に
なっていました
岩井崎のすぐ側に民宿もありましたが、建物を残すだけでした
次は岩井崎から気仙沼について書きたいと思います