私は、大阪の北野病院で誕生しました。
当時は吹田のマンションで暮らしており、父親は生みの母親の家族みんなを養っており、しばらくしてから家を購入し、吹田内で引っ越ししました。
それから離婚し、箕面のマンションにお引っ越し。
バブリーな時代は?遠のいていき、育ての母が来て間もなくしてから、経済的に不安定になりました。
それでも、父はゴルフが好きだったし、ゴルフ関係のお仕事に信念を持って頑張っていました。
アップダウンが激しい経済状況でしたが、小学生の頃は、週末は必ず外食をし、アイスクリームを食べていました(笑)
そんな私の小学生時代は、低学年までは、大人しい子でしたが、4年生で近所の性格の悪い子達と仲良くなってしまってから、よく喧嘩をしました(笑)よくいる気の強い小学生でしたね。
勉強には一切興味が湧かず、というよりもできる幼馴染と比較される教育に反抗して、勉強が嫌いでした。
でも、スポーツと美術は万能でした♪
そのまま中学生になっても勉強に関しては同じ。
人間性はめっきり大人しくなりました。笑い上戸はずっと変わりませんが(笑)
熱い英語の先生のおかげで、できる教科にプラスされた変化もありました☆
バスケットボール部で青春を謳歌した真面目な感じでしたね。
それから、高校受験する時に、負担にならないように公立に行きたかったけど、失敗してしまったので、私立の女子校に行ったのが本当に失敗だと今さらながら思います。変に気どりやでした(笑)上から目線だったかも。
進学において、付属の短大は絶対に行きたくなかったので、大学受験をするが、またもや失敗・・・
父の仕事に少しでも関わりたいと思っていたから、語学を習得しようと語学の専門学校へ行くが、授業があまりにも意味がない気がすることや、面白くないことで退学。
大学受験を諦められなかったので、翌年再受験し、やっと合格しましたが、行ってみるとやっぱり面白くない授業・・・また退学・・・
親の負担にならないように・・・が負担ばかりでどうしようもない子・・・
どんどんどうしようもない子が悪化していきましたよ(ノ_・。)
そんな私を分析してみると、継母が嫌だったんです。ずっと精神状態が普通ではなかったと思います。我慢に我慢を重ねていたという感じでした。今は感謝しているけど、当時は離れたくて離れたくてどうしようもなかったんです。
そんな中で、生き甲斐を感じたのは、ダンスです。
短大を中退したのもそれがきっかけです。
ダンサーとして活躍できるようになったと思ったら、ヘルニアになり辞めざる負えなくなりましたが・・・
でも、本当に楽しかった!ダンスがあれば何もいらなかった!今考えれば現実逃避ですね・・・きっと。
それから音楽の道へ進み、歌を歌ったりしてましたが私には趣味程度が一番いいのかもしれないなと思うようになりました。
精神的に弱かった私も、やっと大人になれた気がします。
自立が本当に大切だ思います。
私の才能は、まだまだ開花されていませんので、これからです☆
それと、私の夢は、愛の溢れた家庭を持つこと。
やっと自分らしく生きれる気がします。
私の花はどんな花になるでしょう・・・
『香』の由来は、花のように美しい気品ある女性になるようにと名付けられました☆











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