葉っぱは何でこんなに水を弾くのでしょうね。ピチピチ肌ですよね
5年前、今のこの社員40人ほどの小さな会社に転職してきたとき、
軽いショックを受けたことがあります。
それは“お茶当番”です。
入社初日すぐに言われたのが
「女性が交代でお茶当番をしているのでRinさんもお願いします。」というもの。
女性6人が一週間交代で、
コーヒーサーバーや給茶器の清掃やら補充やら、
最後は流しにある生ゴミを片付けているとのこと。
これだけ男女平等になったと言ってもまだあるのですね。性別役割分担。
“男は仕事、女は家事・育児”的な考えが普通に残っているのですよね。
それを当たり前のようにやっている女性に驚くとともに、
私もやるのかと少し憂鬱にもなりました。
これは強制されて女性だけがやるものではないと思うのですが。
少しモヤモヤした気分で、しかし入社したばかりなので
何も言わずお茶当番をやることにしました。
なんか違う気がする。
別に女性がやらなくても個人で片付ければいいのでは。
この時間を本来の業務に充てたい。
やる度にモヤモヤした気持ちと疑問が沸き上がってきてしまい、
今度はそれを考えること自体がストレスになっていくという
負のスパイラルにはまってしまいました。
こんなことで悩んで5年。
もう可笑しいですよね。
悩んでいる時間をもっと大切なことに時間を使え、と思ってしまいます。
それか割り切ってやれ!!と言いたい。
それなのにずっとモヤモヤとしている私。
こんなに鬱々と考えている自分が嫌になり、どうにかしなければと考え出しました。
声をあげて“お茶当番をなくしたい(やりたくない!)”と言うべきか否か。
アットホームな小さな会社です。
言えば波風を立てることになる。
今までうまくいっていたことに、わざわざ揉め事を起こすなんて
私もしたくないと思ってしまいます。
男性から見たら“よけいなことを言って”と思うのでしょうか。
正直私も批判的な目で見られたり、思われるのもいやだなと思うので、
我慢していれば済むことなのかもしれない、と逃げた気持ちになります。
しかし「物言わぬは腹ふくるるわざなり」と言うではないですか。
このままではモヤモヤが不満となり、腹が膨れてしまう(笑)
言おう。
その前に他の女性はどう思っているのでしょうか。
私は一人で結論を出してしまいがちなので、一人よがりにならないよう聞いてみます。
「男性には出来ないと思うから仕方がない」(50代女性)
「今どき女性だけってあり得ないですよ!止めるべき」(40代女性)
「やるのは構わないけど業務上できないことが多いのでその調整がストレス」(30代女性)
「入社したとき時代錯誤と思った、洗い物がなくなればいいな」(20代女性)
温度差はあるにせよ、誰もやりたいとは思っていないということが分かりました。
ちなみに親しい男性に聞いたところ
「(事務の)女性が率先してやるって言ってくれればいいのに。男性が重い荷物を運ぶのと一緒のことだよ。」
うーん(-ω-;)。それはジェンダー(社会的文化性差)とセックス(生物学的性差)を取り間違えてるような気がしますが・・・。申し訳ありませんがこの意見は無視させて頂きました。合掌。
そして、私は総務課に伝えましたよ。お茶当番なくしましょうと。
総務課長は話を受け取り、
課長から部長に、部長から役員に、そして最後は社長まで話がいき、
話がものすごーく大きくなってしまいました
事を大げさにはしたくなかったから、言ったことに少し後悔の念が湧きつつも、
後はなるようになれ、と傍観する私。
この時点でモヤモヤがなくなっていることに気づいた。
斯くして、お茶当番はなくなりました。
個人で片付けが完結できるシステムとなり、
始めはコーヒーの淹れ方が面倒くさいとか言っていた人も慣れれば何のことはない。
それが今ではフツーになっています。
結局、男性の中にも女性だけがやることにおかしいと思っていた人がいて、でも見て見ぬふりをしていたと言っていました。
また、そういう観点で考えたことがなくて気が付かなかったという人もいます。
いずれにしても、特定の人の負担にならない形で落ち着いたので私としては満足です。
ようやくモヤモヤとした霧が晴れ、心に日が差したような感じというのでしょうか
自分が発信することで手に入れた小さな権利。
会社設立以来、何十年と続いてきたであろう古い習慣がここで終わりました。
社会学者上野千鶴子先生の言葉を思い出します。
「権利は天から降ってこない」
権利は自分で要求して声をあげること。何もせず人が作ってくれた環境にアグラをかいていてはいけない。今ある環境は先人が声を上げて勝ち取ってきたものだから。