自分には適応障害の友人がいる。


正確には、以前の職場で適応障害になり、転職したあとは通院していないので、一応治った?側なのかもしれない。


すごく見所のある友人で、職場でお客様へはとても親切に対応するし、お客様をよく見ていて、求められている以上の接客ができる。気配りができてとても素晴らしい人だ。

何より人の悪口を言わないところが好きだ。


ただ良くなったとは言っても、時折精神が不安定になって、落ち込んでしまう。


夜熟睡出来なくて何度も目覚め、4時ごろにやっと少し眠れるようになる。そんな日々が続いている。


自分はそういう時話し相手になる。その友人の持っている不安を一つずつ紐解いて聞いていく。


そういった方が自分の周りには多い方だと思う。


腕に10本以上跡が残るほどリスカをしている友人や過去のトラウマからアルコールが手放せない友人、ADHDのせいで身の回りのことがうまく出来なくて落ち込んでしまう友人もいる。


悩みに程度の差はあれど、そんな友人は決まり決まってみんな優しい人達だった。

相手を責めない分、自分を必要以上に責めてしまう部分もあるんだと思う。


自分はそういう良いところのある人間が、

一部分だけで判断されたり、自分でもいい部分に気づかず潰されていくのがどうしようもなく悔しい。


もっと他人にその人のいいところを知ってほしい。

だからまずその人自身にも知ってほしい。


あなたは自分のことが嫌いでも、側から見ればこれだけ素晴らしい人間なんだと伝えたくなる。


かける言葉は全部本当に思ってることで嘘を言って慰めたことはない。


でもそれも独りよがりであって、

その人の本当に求めている言葉をかけれている自信もない。


ずっと物事をマイナスに考えていると、落ち込む思考回路が癖になって抜け出せなくなってると感じる時もある。


それは決して甘えてるわけじゃなくて、つらくて抜け出す気力が出ない状態に体が慣れてしまっているんだと思う。

 

自分だって本当に乗り越えなきゃいけないことから目を背けるように目の前の娯楽を消費している。


なくなったら次、また次と蒸気機関のように消費し続ける。スピードがどんどん上がって降りられなくなっていく。その分だけ焦る。

そうして最後は小石のようなささいな物事でも受け流せず、ぶつかって打ちのめされる。逃げているから余計痛い。


だから乗り越えようとしている友人を見ると本当にかっこいいと思う。


そもそもなにも相手は求めてないんじゃないか。

憂鬱な気持ちを話したいだけあって、肯定されたいとは思ってないんじゃないか。

自分である必要なんて微塵もないんじゃないか。

この言葉はかけちゃいなかったんじゃないか。


相談に乗ったあとはいつもそうやって一種の自己嫌悪に陥る。


多分実際そうだ。


でも友人に相談されるたび、あなたが思ってるマイナスの総量は、あなたのプラス面の100分の1にも満たないと感じる。


一度精神疾患になって、それでもまた立ち上がって努力している人間が、小さなことで打ちのめされて立ち止まってる自分から見ていかにかっこいいのか伝えたくなる。


私の全てを知らないからそう思うんだって言われたら、逆に一部しか知らないのに、こんだけいいところがあるならあんたすごいよ。もっと自分を讃えていいよって伝えたくなる。


あなたは今の悩みよりもっとすごいことを乗り越えてきたんだから、もっと幸せになるべきだ。そう思う。


いつか友人達は思いっきり笑える日が必ず来る。


そのときは自分も、胸を張って同じように笑えるようになっていたい。