ここのところ毎日、一日の終わりにその日「こんなことがあって幸せだった」ということを3つ挙げて感謝する、ということをやっています(^_^)
そうすると、自分もけっこう幸せ者だということに気付けるし、自己肯定感にもプラスになります。
ただ・・・
平日はまだいいんです。
会社に行くし、仕事で何もなかったとしても、外に出れば自然の美しさや季節感を感じたり、外で見かけたちょっとしたワンシーンで心が温かくなったり、そういうことがありますから。
怖いのは、外出の予定がない休日。
家から一歩も出ないで一日中ゴロゴロするのは、時々はそういうこともしないと体が休まらないというのもあるし、やらなきゃいけないことがあるのについつい逃避して、あ〜残念な一日、という場合もあり。
これが家族とか、誰か他の人と同居していれば、その人とのやり取りの中で幸せを感じたりもあると思うんですが、独りだとそれもないから、家でゴロゴロしてましたっていうと、体の疲れが取れることに感謝は出来るけど、あと2つ見つけるのがけっこう、ハードル高いということに気付いてしまいました(^_^;)
たまたま見たテレビが面白かったとか、なんとか2つ目までは見つけるんだけど、最後の一つが出てこない。
だからせめて、引きこもりではなく買い物にでもいいから、一日一回は外に出ようとは思うんですが、目が覚めたらもうお昼、なんていうとそういう気持ちにもなれず、多少食材が足りなくても、ある物で済ませようということで、お金は使わなくて済むんだけど(笑)、幸せを感じにくい状況だなぁと思ってしまうのですよね(^_^;)
ということを、たぶん昔からわかっていて、その孤独感に見て見ぬフリをして、休みの日は全部予定いっぱいにして、私ってこんなに幸せ💓って思い込もうとしていたんだろうな。
帰りが遅いのも、単に誰もいない部屋に帰るのが億劫なだけ。
そこにはずっと、人とのつながりを感じていたい自分がいて、でもそれを認めたくなくて、散々自由を謳歌していたつもりが、やはり人は独りでは生きられないのだと痛感しています。
習い事とか、もちろん習いたいのもたるけれど、お金を払って同じ趣味の似た価値観の人たちと、数時間でも一緒にいられる、その体験に対しての対価でもあるんだなぁと思います。
一方で、独りで過ごす時間もないとすごく疲れる。
繊細で臆病だから、自分よりも相手のことばかり考えて消耗してしまう。
距離感の線引きが上手く引けない。
自分ファーストが自己肯定感の基本なのに。
嫌われる勇気、持たないとね。
孤独から逃げ回っていたこれまでに反して、今はむしろ孤独に向き合い始めています。
こういう負の感情ってどれも、逃げても逃げ切れるものではない、根っこのところは残っていて、また同じようなことが起こる。
延々その繰り返しならば、いっそどっぷりとハマってみるのも一興。
ただし、本当に感情に溺れて流されるままなのは×
ハマるというよりは、寄り添うイメージかな。
結局のところ、大元は親に愛されなかったとか、構ってもらえなかったとか、そういう子供の自分が誤解したままの強い思い込みだから、思い込んでる自分に対して「傾聴」してあげる。
あくまで自分の軸は保ったまま、子供の姿の自分の言いたいことを、とことん聞いてあげる。
最後に「でもあなたは大丈夫だよ」と抱きしめてあげる。
こうやって、孤独感も感じ切ると、だんだんと思い込みも解けていき、心の古傷も癒えて、自己肯定感も上がるようになるらしい。
その前段階として、瞑想で一度、イマココに在ることに集中して、負の感情の海から自分の心の軸を取り戻しておくことも重要。
(↑これが私には欠けていた)
そうやって少しづつでも、今感じている孤独感はまやかしであることに早く気付き、自分はもっと人から愛され大切にされる存在であることを思い出すことで、孤独を幸せに変えていくことも出来ると学んでいます。
いつまでも孤独感に囚われたままだと、そっちの方が引き寄せられてしまうから、「どうせ私はみんなに愛される」くらいに思っておけばいいのかも(笑)。