CAUTION!!
ネタバレ含みます!










何が起こっているのかわからない、漠然とした不安感て、あるじゃないですか。

何かが起きていることは確かなんだけど、どうしてなのか説明がつかない、あるいは現実的に考えてあり得ないから認めたくないルートでしか説明がつかないので、認めたくない。
だけど、事実は厳然として目の前にあって変わらない。

そういうね、漠然とした不安感が読んでいてつきまとうお話でした。


人が眠っている間に見る夢を、映像データとして記録、あとで自分も他人も見ることが出来るという近未来で起こる、『神隠し』現象。

夢が可視化されることにより、それがさらに進むことで、夢以外にもいろんなものが可視化されていく。

その究極が亡くなった人たち。
このお話では幽霊という言葉も出てくるけれど、霊的な存在というよりも、集合無意識という捉え方をしていると思います。

と、そういう結論に辿り着くまでが、『知りたい』と『知りたくない』という矛盾を同時に抱えたまま先に進まなくちゃならなくて、なんとも言えない薄気味悪さがつきまといました。

そもそも最初に出てきた小学生の集団ヒステリー事件で、教室に入ってきた(と小学生たちは認識している)何か。

その正体が巨大な八咫烏であったことは、お話の中でわかるんですが、その先はないというか、それを踏み台にしてお話の核心には近づいていくんだけど、どうもその八咫烏を含め、闇に蠢いている何かの不気味さが抜けてくれず・・・。

それも、集合無意識の中に存在するってことでいいのかな?

私なんかは、八咫烏が神の使いであるということを知っているけれど、たぶんそのことを知らないと思われる小学生の子どもたちが遭遇する八咫烏は、見た目も巨鳥で禍々しい雰囲気MAXなんですよね(^^;;

その印象が強烈すぎて、核心である古藤結衣子さんの存在やその半生やら、彼女と浅からぬ関わりのあった主人公の体験とかが、やや薄らいでしまった感があるというか。

私みたいな小心者には、導入としては強烈すぎたかもしれません。

なんだろうな。
集合無意識とかって、私のイメージではもっとこう清々しい?感じのするものなんですが、このお話では場としての集合無意識はそういうイメージでも、そこから出てくるものやそこに関わるものがおどろおどろしい感じがして。

でも、怖いんだけど、先が知りたい。
いわゆる『怖いもの見たさ』の心理が先行してました(^^;;

読み終わってみれば、別に怖いこともおどろおどろしいこともなくて、ある意味ハッピーエンド?ではあるんですけどね。

夢が可視化されることによって懸念されるいろんなことは、お話の中にてんこ盛りでしたが。
現実に、夢の映像化に(画像の精度とかはともかく)成功しているそうなので、その研究が進めば同じような現象が起きたりもするのかしら?

そう言えば、怖い夢を見た時は、その怖いものと戦って勝つとか、そういう方向に持っていくといいって聞いたんだけど、なかなか夢を見ている最中に、自分の都合のいい結果に導くのって難しいですよね(^^;;
でもたまに「これは夢なんだ」とわかる時ってありますよね?
そういう時は、これは夢なんだから思い通りに出来るはず!と考えることで、夢をコントロール出来るらしいですよ。

夢の中に出てくる怖いものは、現実での困難だったりするので、夢の中でそれを打ち負かすことによって、現実にも良い影響があるんだとか。

子どもたちが遭遇した巨大な八咫烏も、案外『テスト』とかだったりして、そしてそれならば、逃げるのではなく戦うか、むしろ仲良くなってお友達になってしまうことが出来たら、テストで良い点数が取れたのかも?!


私は、これは夢なんだ!と気付くとだいたい目が覚めちゃうんですよね~(^^;;
いつの間にか意識が飛んでいて、現実とは違う場所にいることに気付いて、あれ?今って現実の世界では寝ている場合じゃなかったのでは?!って、気付くと一気に現実に戻ってくる(目が覚める)感じ。
まさに一瞬にして引き戻される感じですよね~。
それまで見えていた世界が一瞬にして遠のく。
なぜかわからないけど、背中からバックして戻る感じなんですよね。
だから、夢の中の世界の空に、後ろ向きに吸い込まれていく感じ?
こういう感覚って、人によって違うのかな?


なんか話が逸れましたが、科学的なような、非科学的なような、不思議ワールドはさすが恩田先生の作品ですね(^^)

ただ一つ気がかりなのは、お話の中で岩清水(弟)さんが言っていたこと。
彼が危惧していたこと。

それを許したら幽霊と同じ世界で生きていくことになる、みたいな。

幽霊=亡くなった人の意識体、みたいなものが、可視化されるようになってしまう、ということ。

夢札を引く(夢を記録する)、あるいは他人の夢札を見るということを繰り返していると、集合無意識へアクセスする通り道みたいなものが出来て、繰り返すことで他人の夢が自分の夢に影響を及ぼしたりする『夢札酔い』という症状が起こり、それが悪化すると、集合無意識を通して亡くなった人の姿が現実に可視化される。

霊感の有無の問題ではなくて、そのうち誰もが普通に幽霊と暮らす?日々がやってくるかも?!
なんてね。

ラストシーンでは、そんな未来世界の一端を垣間見るようなことになってますが、見る側も見られる側にも、ある程度の能力?というか、経験というかが必要になるだろうから、すべての人がすべてを見ることが出来るようになるかはわかりませんが。

そんな時代が来た時に、つまり、集合無意識に誰もがカンタンにアクセス出来るような時代が来るとしたら、人間はもっと、他人に対して慈愛を持てる存在にならないと厳しいような気がするなぁ。

集合無意識には、タテマエは通用しないわけですから(^^;;