(ネタバレあります)









アモル・デリリア・ネルウォサ。


↑という名のウィルスに感染することにより発病する病気。



と言ってもこのお話、医療ものではなくてですね。



実は、手っ取り早く言うと、↑の病っていわゆる、『恋の病』なんですよ。


正確には恋愛のみならず、家族愛や友愛も含め、愛情をいだくことによって生まれる執着や憎悪、躁鬱、その他諸々の症状ひっくるめて、ですが。



このお話の世界(近未来?)では、『愛』は人を惑わせ不幸に陥れる病気であり、人から人へと感染するもので。



18歳になると手術を受けることが出来(それまでは手術をしてもあまり効果がない)、手術を受けて『愛』を奪われた人々は、能力や収入に見合った相手と誓約を交わして夫婦となり、まるで機械か何かのように感情の起伏もなく、平凡な毎日をただ黙々と続けている。



一方病に冒された人は、感染らないように隔離され、無理矢理手術を受けさせられたり、捕まって独房で一生を送るとか、誤って殺されてしまうとか・・・。



それでも、監視の目を逃れて存在するシンパや、そうやって管理された土地ではない『ワイルド』と呼ばれる危険地帯で生活する不法者も存在していて。
時折その存在を主張するような行動を取ったりもしています。





そんな世界で、とにかく異質だなぁと感じたのが、街の人々をデリリアの脅威から守る立場の警察その他公的機関が、取り締まりと言っては行き過ぎな捜査、捜査という名の憂さ晴らし?

時にはうっかり殺してしまったり、酷い怪我を負わせたり。
自分の機嫌一つで人の命さえ弄ぶような残忍さ。



どう考えても守る立場の人がやることではないことが平然と行われているのに、街の人々もそれを受け入れている(病気から守ってもらうため仕方ないと諦めている)というのがね。


洗脳って恐ろしいなと、あらためて思います。



というか、そういう役職に就くからには、もちろん手術済みな人たちなんだろうに、それにしては低俗な感情に振り回されてるような。


手術したら感情の起伏もなく、穏やかに生きられるんじゃないんかい。
あの人たちを見てる限り、手術の効果には果てしなく疑問を禁じ得ない。



まぁ、たぶんそういうのもあって、18歳以下の手術前の若者たちは、大人たちの言ってることは実はみんな嘘なんじゃないかと考えたり、漠然と何かおかしいと感じて、だからこそ手術を受けるのは幸せなことだと言いながらも怖れるという矛盾した状態になってしまうんですよね。



何しろ社会がそういう社会で、両親含め信用する(信用したい)大人たちはみなそうだと言い続けるし、だから何かおかしいような気がしなくもないけど、ほとんどの若者が真偽を確認することすらしないまま、手術の日がやってくる。





確かに、誰かを好きになればいろんな喜びもあるものの、嫉妬や憎悪、自信喪失、動悸息切れ、食欲不振(もしくはその逆)、なんて当たり前。


愛を間違えて、愛に振り回された結果起こる殺人事件もザラですし、一理あるけどね。



それを『なくす』手術って何?

なくして平穏な毎日を?

平穏すぎてアクビが出る、だから不必要に人々を威したりする、そんな手術に何の意味があるワケ?



死んだ魚みたいな目をして、楽しいこともなく、ただ監視の目に怯えるばかりの毎日。

それを悲しいとかつまらないとかも、たとえ感じたとしても、どうにも出来なくて諦めの人生。

考えただけでゾッとしますよね。





主人公は、もうすぐ手術をうけるという状況から話は始まるのですが、短い期間だけどある男性(不法民)との出会いにより様々な真実を知っていきます。


つまり、『愛に目覚める』ワケですね。
その、真実を知る前の世界と、知った後での世界の見え方が、180°違っていて。



デリリアから守られていると思っていた世界は、実は自由を奪われ閉じ込められている世界だった。
愛と、愛することの自由と。
それらの存在しない管理された世界。



や~、愛こそがすべての元凶って、わからなくはないけど、だからなくしちゃえっていう発想は、さすがにどうなのよ?



激し過ぎる感情は、確かにいろいろ問題にはなるけど、それを根こそぎ奪ったところで何の成長もしないし、やはり豊かな感情あってこそ感じられる幸せって、たくさんあると思うけどなぁ。






で、このお話読んでいて、竹宮恵子先生の漫画『地球(テラ)へ・・・』を思い出しました。


こちらも未来SF的な内容ですが、やっぱり一定の年齢になると検査を受けて、ランク分けされて。

ちなみに『地球へ・・・』では検査で弾かれるのは、管理体制に対して疑問や反感を持つ子供なわけだけど、その中にミュータントと呼ばれる、今で言う超能力的な力を持った子供がいて。


ミュータント=レジスタンスというように描かれてましたね。


こちらはコンピューターが人間を支配している世界でした。




そういえば『マトリックス』だって、コンピューターに支配されていると知らずに生きてる(正確には眠っている)んですよね。
このテのテーマはけっこういろんな作品になっていたりします。


いろんな人がいて、様々な価値観があるから、まとめるにはある程度のルールは必要なんだけど、支配するために人の持つ根源的なものを、愛とか自由とか思想とかそういうものを奪われるのはね。
基本的人権は尊重されるべきですよね。



そもそも、人が人を支配するというのは、本来あるべきではないと思うわけで。


だって、天は人の上にも下にも人を造らず、なのですよ。

実際の世の中では未だに上下を造ってる人もいますけどね。



上下を造るのは人の心。
愛を間違えるのも人の心。

じゃあ、心臓止めますか?

人間やめますか?



愛や自由を奪うのって、関節的にそういうことじゃないですかね。