「お母さん大好き」

そう母に伝えたら

ギャハハハハハハハ〰(/-\*)

と笑って恥ずかしがって、そして

「ありがとう」って。



母とわたしの距離は、今までと少し違うものになった。





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カエル塾4日目が終わってプチパカンした後

今なら宿題できるかも、と母に電話した。

母は、
「えーっ、そういうのうまく答えられない」
「よくわからない」

と、一人で恥ずかしがって、笑って渋って

それでも質問に答えてくれた。







聞いてわかったことは、

わたしは母の価値観をほとんど知らなかったということ。

母の見ている世界をほとんど知らなかったということ。

母の想い

母のコンプレックス

母の夢

そういうものを、わたしは全然知らなかった。

想像もしたことのないものだった。




そして思ったのは

お母さんも、子どもに自分を重ねていたんだなぁということ。

だからああいうこと言ったんだな、とか

そういう思いがあったんだな、とか

府に落ちることもたくさんあった。





それを聞いた上で

わたしが子どものころに思っていたこと

あれは嫌だったとか

悲しかったとか

本当はこう思っていたとか

今まで言ってこなかった気持ちを

自分の本音を探しながら伝えた。




大人になってからも子育てでつまずいていたこと

人に頼れないこと

お母さんにガッカリされたくない気持ちがあったこと

それも話した。





そんな風に思っていたんだ、ごめんね

という感じでもなく

全部受け止めてもらったような感じでもなく

そんなこと思ってたの?みたいな、

結局諭されるような感じになったんだけど





《そんなこと言ったら悪いな》

という思いを超えて母に気持ちを伝えたことだけで

けっこうわたしは満足だった。







それをカエル塾5日目に報告したら、姉さんにこう言われた。




「《お母さん大好き》って言った?」





あ・・・言ってない。

というか、話をしてるときに思いつきもしなかった。

「ありがとう」

それは何度も言ったけど、「大好き」かぁ。

魔法の言葉で今まで何度も言ったけど、抵抗なく言える言葉。

でも実際には言ったことのない言葉。








それがずっと残っていて、

ある日ふと思い出して

言うとしたらどんなシチェーションだろう?

宿題ついでに勢いで言えば良かったな。

それだけ言うのに電話するのも恥ずかしいし、

今更電話して何て言おうかな。




頭の中で妄想する。

電話するでしょ

それで

「この間言い忘れたんだけどさ、お母さん大好き・・・」











そう、リアルに想像したら

驚くことに、魔法の言葉に急に血が通いはじめて

涙腺がブワッと崩壊した。




どんどん泣けてきて

心がギューっとなって




それではじめて

わたしがお母さんに本当に言いたかったのは

「ありがとう」でもなく

「ごめんね」でもなく

「大好き」だったんだとわかった。



体は正直だ。







それから数日して、母に電話した。

わたしはもう泣くこともなく

想像していたように

「お母さん大好き」と伝えた。



母は照れくさそうにギャハギャハ笑って

でもとても嬉しそうだった。



わたしがいつからか言わなくなった言葉。

言いたかったことさえわからなくなっていた言葉。



ようやく伝えられた。

気づいたら伝えればいいんだよね。


遅いなんてこと

今更なんてことないんだから。





物わかりのいい大人のわたしと母、ではなく

甘える子どものわたしと母に、

ほんの少しだけど

戻ったような気がしている。