ザ・フーのドラマー「キース・ムーン」です。
この人のドラミングは本当に情熱溢れたものです。
もの凄いテクニカルな訳ではありませんが、この人の発する情熱を感じてみて下さい。
人に何かを伝えるとはこういうことなんじゃないでしょうか。
どんなに彼のドラム手順を正確にこなせたところで、彼以上のものにはならない。
完全にキースだけの世界をご覧下さい。
こんにちは、佐藤洋平です。
最近子供を見ていて、特に思うんですが、人間は本当はもっと自由な存在なんだなって思うんです。
もちろん、使い方が分からないから当然なんですが、本当に面白いことをたくさんするんです。
でも、やっぱり怒らないと駄目だなってこともあって、怒るんですが、もしかするとこれは子供の可能性をつぶしていることなんじゃないかと怖くなったりするわけです。
まぁ、店に置いてあるものを引っ張り出したり、そういう時に怒るようにはしてるんですが。
基本的に自由にさせるようにしてます。
危ないことはもちろん注意します。
石食べたり、変なものを口に入れようとしたり、明らかに危ない高いところに登ってみたり。
見ていて面白いんですけどね。
その内にそれなりに社会の価値感に順応していくんだと思うんですが、何だかムチャクチャのままに生きれたら面白いのになぁなんて勝手なことを思うわけです。
僕らは周りからの勝手な価値感に振り回されているわけで。
結局のところ、社会なんてほとんど幻想の世界なわけで、いろんな思い込みによって形作られているんですね。
だから、自分がいいと思ったものはいい、駄目と思ったものは駄目。
そんな自分価値基準がこれからはもっと必要になってくるんじゃないかと思います。
そうなんです、周りがなんと言おうと、キミが価値無しと思えば即座に価値を失う。
お金だって、こんな紙切れって思えば、周りにとっては価値があるように思えるけど、キミにとっては単なる紙切れなわけです。
価値って感覚自体ちょっと怪しい感じもしますけど。
で、実は僕らはこんないい加減な世界に生きている。
肥満率が高い国もあれば、飢餓でたくさん人が死ぬ国もある。
単に人間が決めただけの国境に振り回されて死んでいったりするんです。
よく、自信が無いっていう人がいますよね。
あれって僕は自信っていうものが無いわけじゃないと思うんです。
自信なんて自分を信じるってことですよね。
だったら信じればいいだけの話ですよ。
あるかないかじゃなくて、そう思うか思わないかの話なんですね。
日本人の謙虚な心なのかもしれませんが、自分自身では自信満々でいいと思うんですよ。
事実として、何かやろうとして失敗しても、二回目に失敗するとは限らないし、千回失敗したとしても、千一回目には成功しないとも言えない。
結局のところ、何がどうなるかなんて誰にも分からない。
唯一知ってるのは神様くらいですよ。
だったらいちいち自信を無くさなくてもいいし、自信なんてそもそも無くてもいいわけです。
普通に淡々とやればいいだけですからね。
だから、もっと自由に考えていいんじゃないかな。
成功って誰にとっての成功ですか。
というか、成功ってなんですか。
幸せって誰にとっての幸せですか。
そもそも、幸せって何ですか。
キミが成功と思えば成功だし、幸せと思えば幸せなんですよ。
他人の世界に合わせようとするから苦しくなるだけなんです。
だって、他人と自分の世界ってはっきり言って別次元ですから。
本当に無限の要素で成り立ってるんですよ。
無限×無限×無限×、、、、、、、、、なんてそれがさらに無限に続くような組み合わせで構成されてるんですよ僕ら一人ひとりが。
そんな無限の要素を比べ始めたらそりゃあ疲れますよ。
むしろ同じ価値感で生きようとする方が頭がどうかしてますよ。
だからさ、もっと自分を押し出していいんじゃないかな。
キミがどう転んだって、好きでいてくれる人は好きでいてくれるし、嫌われる人は何やっても嫌われるんです。
だったら、誰に遠慮することなく、自分の人生を生きればいい。
そして、キミ自身で、キミの人生に価値を付加すればいい。
どうせムチャクチャな世界なんだから、ムチャクチャな世界を自分勝手に彩って楽しく生きようよ。
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こんにちは、佐藤洋平です。
日ごろニュースなんかを眺めていると、自分に起きたら悲惨だろうなというニュースが淡々と流れている。
キャスターも仕事だから仕方ないけど、人が殺されたニュースが終わった途端ニコニコしている。
だから、何も考えずにぼーっとテレビを見ていると、人の悲しみや喜びなんてものがモノクロ化して平然と通り過ぎていく。
だって自分には関係の無いことだから。
それは冷たい言い方かもしれませんが、そういう感覚はあるんじゃないでしょうか。
震災で多くの人が亡くなりましたが、実際の感覚として遠く離れたところにいる人間の想いを感じられる人がどれだけいたか。
大変だなぁと思いながらも、やっぱり自分の今ある日常の方が大切なわけです。
それは良い悪いじゃなくて、人間ってそういうもんなんだと思うんです。
自分の周りの日常の方が、圧倒的な現実味を帯びている。
でも、自分のことのように心配してかけつけてくれる人もたくさんいます。
かけつけないまでも、自分はどうすればいいんだと悩む人もいるでしょう。
その違いは何なのか。
僕の友人の宗弥くんが言っていたんですが、これは確かビートたけしさんも言っていたことです。
震災で2万人以上の人が亡くなりました、でもそれは一つの事件ではなく、「2万以上の事件があった」という観点を持っているかどうかだと思います。
亡くなられた一人ひとりには、やっぱり家族がいます。
家族がいなくたって、やっぱり一人亡くなるということは本人周りの人間にとっては一大事なんです。
僕のじいちゃんが最近亡くなって、人一人いなくなるってこういうことなんだなと改めて実感しました。
別にキミ自身がひたすら苦しむ必要はないけど、そういう感覚を持つということは大事だと思うんです。
一人ひとり、自分と同じ厚みを持った人間なんですね。
そんなことは分かり切ったことかもしれない。
でも何かその感覚が自分の中でも希薄になってきているような気がしたので、再確認する意味でも書きました。
日々の日常にただただ流されずに、もっと厚み深みのある人生を送るには必要なことだと思うんです。
一人ひとりの人生に思いを馳せる。
それは、もしかしたらキミを悲しみに包んでしまうこともあるかもしれない。
もちろんそれを全部真に受けてしまう必要はないけど、キミが必死に人を理解しようとした結果でもある。
だからそれを大事にして欲しいんだ。
悲しみを内に秘めたキミの笑顔は、周りの人をきっと勇気づけているはずだから。
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こんにちは、佐藤洋平です。
前回は「器の広げ方」なんてテーマで書きましたが、今回は少し似てますが「可能性の広げ方」について書きたいと思います。
例えば、自分は何をしていいか分からない、何が好きかも分からない、そういう人がいたとします。
周りでもよく聞くフレーズなんじゃないでしょうか。
そういう人に限って、何もしていないことが多いんですね。
趣味が無いというか。
別に趣味じゃなくても、新しいことをあまりやろうとしないわけです。
それは、「現状維持」の本能が人間には備わっているからとも言えます。
どうせ自分には出来はしないとか、どうせやったって何もならないとか、そういう気持ちになる。
僕は何かをやって、好きになるかどうかとか、才能があるかどうかとか、ビジネスになるかどうかとか、それこそ神様にしか分からないと思うんです。
未来を何でも見通せる能力があるのならある程度納得できます。
でも、そんな能力が無かったり、神様でもない限りはやってみないと分からないわけですよ。
僕は大学からドラムを始めて、好きになってだいぶ叩けるようになりました。
でもそれまでは、全くドラムなんてやる気無かったし出来る気もしなかったんです。
たまたま出会ったドラムで人生が一変してしまったんです。
今もいろいろ手を出しては、結局飽きたり、途中で挫折したりを繰り返しています。
僕はそれでいいと思うんです。
例えば、100個の事に手を出してみて、99個途中で放り投げたとしてもいいじゃないですか。
1つ自分の中でしっくりくるものがあるかもしれない。
そして、不思議なことに、途中で放り投げたものも結構役に立つこともあるんですよ。
新しい観点が身に付いてるというか。
自分の今やっていることを、いろんな角度から見れるようになるわけです。
その時はやっても無駄だと思うかもしれない。
途中で放り出してしまうかもしれない。
でもいろんなことをやる内に、途中で放り出したものをまたやりたくなったり、自分の好きなことが見つかったりするんです。
だから結局のところ、「可能性の広げ方」はちょっとでも興味が出たものにとにかく手を出すこと、これに尽きるんですね。
ハマりにハマってしまってその道のプロとして生きていくことになってしまうかもしれない。
そんな人生って楽しくないですか?
興味あるんだけど、今までの自分なら絶対やらないよなぁなんてことに飛び込んでみる。
そうすれば、きっと途中で投げ出してもキミの可能性はグンと広がるはずなんだ。
そして、「なんだ、自分ってこんなことも出来るんじゃん」なんて思える。
それが、可能性が広がった瞬間だと思うんです。
あ、後は、、荒療法として、思いっきり高いの買ってみるとかね!
僕もドラム初心者にもかかわらず、超高額なドラムをローンで買いました。
やっぱりそうするとこの素晴らしいドラムに見合った自分になろうと頑張るし、その良いドラムが自分の中のスタンダードになって、例えば買う時に考える幅が広がるんです。
だからこれから何かを始める人で、何か高額で良い物のバリエーションもある場合は、思い切って良い物買いましょう。
本当に良い物は良いですから、これは間違いないです。
迷ったら、とにかく飛び込んでみる。
そうすれば、きっと今までの自分じゃ見えなかった世界と出会えるはずだよ。
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こんにちは、佐藤洋平です。
今日は改めて感じたことがあったのでそのことを。
テーマにもあるように、よく人間の器なんて言葉を聞いたりします。
そもそも器ってなんなんでしょう。
その定義は人によってまちまちだと思いますが、僕は体感的な想像力だと思います。
人を深く慈しむことの出来る、例えばマザーテレサのような人は、まさに体感的想像力を大いに働かせることの出来る人、つまりは人間的器が大きい人だと僕は思います。
この例で言えば、人を見る時に、その人間の生まれてからの人生を自分のことのように想像出来ることだと思います。
人間生まれてから一人ひとりそれぞれの人生があって、同じ人生を歩む人は存在しないわけです。
それは当然のことなんですが、その他人の人生を本当に実感を持って、厚みを感じて想像してあげれるでしょうか。
昔から親しくしているからひいきにしてあげるのとはちょっと違う。
全く見ず知らずの人間の人生をどこまで体感的に想像出来るのか。
僕はこの体感的に想像するという行為だけで、あとは自然に感情が働くと思っています。
何かしてあげたいと思う、それを体現していたのがまさにマザーテレサなんじゃないでしょうか。
たった今目の前にいる人の、孤独や絶望を想像出来るからこそ自然に感情が動き行動せざるを得ない。
つまり、どうやって人間の器を広げたらいいのかというと、全く見ず知らずの人の人生を厚みを持って想像する練習をすればいいんです。
今日何気なくすれ違った全く知らない人を思い出して、その人の人生を想像してみて下さい。
例えば、その人は浮かない顔をしていたとしても、産まれた時は皆に本当に無事で産まれて良かったと祝福されて産まれてきたのかもしれない。
ミルクやおっぱいを飲んで、ハイハイし出して、よちよち歩きし始めて、少し喋れるようになったり、自分でいろいろ出来るようになって、たくさん遊んだりもう少し大きくなって恋愛したり、社会人になってからもいろんなことで悩んでいたり、その間には本当にたくさんの喜怒哀楽があるわけですよ。
そして今度は自分がパパやママになって親のありがた味を身に染みて分かって、どうすれば親孝行できるんだろうなんて悩んでいた顔が今日の浮かない顔だったのかもしれない。
こんなモデル人生を歩んでいる人は少ないかもしれないけど、やっぱり人生生きてくればいろいろありますよね。
このブログを読んでくれているキミだって、今もたくさんの悩みを抱えているに違いない。
そんな風に、もしかしたら自分の勝手な妄想なのかもしれないけど、想像すればするほどその全くの他人だった人が愛おしく感じてくると思うんです。
むしろ、妄想だったとしても、自分の心が暖かくなるのなら僕はそれでいいと思っているんです。
そうしている内に、上からじゃなくて、同じこの世を今生きる同士として、本当に今までよく生きてきたねって抱きしめたくもなるかもしれない。
そう出来た時、キミは全くの他人の人生までも愛おしく思えるほどに器が広がっていると思うんだ。
だからもしキミが、自分はなんて小さい人間なんだろうなんて思っているなら、この体感的想像力の練習をしてみて欲しい。
一日一人だけでいいから、全く知らない人の人生を産まれてから今日までどう生き延びてきたのか、自分のことのように想像してみてください。
もしかしたら、想像し過ぎて泣いてしまう人もいるかもしれない、でもそれでいいと思うんです。
赤の他人をそこまで慈しむことが出来たなら、もう器が大きいかどうかなんて関係なくて、ただキミの人生がもの凄い豊かなものになると思うから。
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