四月になりあたたかい季節が来たと思えば、最近は雨が多かったり、昼と夜の気温差がひどかったりと、中々春を実感しにくい天気が続いていますね(>_<)

さて、気づけば四月になっていたりと、ここ最近はバタバタしておりブログ更新が中々出来なかったのですが、やっとまとめて報告することができました!

まずは先月行われた「歴史修正」に反対していくための運動のスタート集会にて留学同東海は演劇を行いました。
3月8日、大阪人権博物館リバティホール「日本の歴史歪曲を許さない!全国大学生行動」のスタート集会が行われたのですが、留学同東海はいまの日本社会で深刻な問題となっている「歴史修正」を題材にした演劇を任されることになりました。

準備期間では演劇を通して「歴史修正」に徹底的に反対していこうとすることを多くの人に提起するために、まずは自分たちがしっかりとした歴史認識を持つ必要があると感じ、出演者が問題意識を持っていることに関して学習会を一人一人が担当を順番にやっていくリレー学習会を行いました。
また、本部学習会でも強制連行や慰安婦、現代の日本社会における排外主義の流れなど、様々な問題についても学びそうした正しい歴史認識を備えて演劇の練習に挑みました。
出演する学生たちもただ演劇をこなすのではなく、どのようにして自分たちの提起を伝えるかや自分自身がどのようにこの問題に携わっていくのかというのを悩みながらも練習の間考え続けてきました。

そして、何よりもこの期間を通して学生たち一人一人が歴史を知る重要性、自分たちがいまどうして留学同活動をしているのか、在日朝鮮人運動とはなにかという自身の原点に返りながら考えていくきっかけにもなりました。

そうした思いを乗せて今回の演劇を行い、最終的にはいまの「歴史修正」に対する問題提起というのができました。
しかし、あくまでこれはスタートであり、これからが本格的な運動になっていきます。
東海では今後、強制連行被害者の名簿整理や6月に名古屋大学で行われる学祭での「慰安婦」問題の展示会を始めとした運動を展開していきます!

こうした活動も報告していくので引き続きブログのチェックをよろしくお願いします!
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練習での一コマ
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演劇本番
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演劇終了後に学生たちによる運動提起が行われた

ラストの書評です!
最後は名心支部三年のキム・ソンミョンとんむの書評発表です(^◇^)


山田昭次・古庄正・樋口雄一『朝鮮人戦時労働動員』 書評


 1965年5月、未来社から朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』が出版された。これにより、初めて「朝鮮人強制連行」の全体像が広く知れ渡ることとなった。この本は、「中国人強制連行」に激しく心を打たれた朴の研究の結実であり、植民地支配責任を不問とする日韓会談の進行に対する問題意識と強く結びついていた。そして、その問題意識を継承しつつ70年代以後活発に「朝鮮人強制連行」に対する研究が進むようになり、本書『朝鮮人戦時労働動員』もその流れを汲むものである。では、その問題意識とは具体的にどのようなものか。『朝鮮人強制連行の研究』の「まえがき」では次のように記されている。

わたしは、在日朝鮮人が過去どのような苦難の道を歩いてきたか、特に太平洋戦争中の朝鮮人強制連行の問題を通して、帝国主義侵略者の正体を明らかにするとともに、在日朝鮮人の民主主義的民族的権利を守るために、また帝国主義侵略者からうけた思想的残滓を少しでも除去し、朝鮮と日本の友好親善、真の平等な国際的連帯のために本書がいくぶんなりとも役に立てばと念願している
 
「朝鮮人強制連行」から日本の植民地支配と在日朝鮮人の苦難の歴史が問われなければならない。以上が朴が提示し、現在にまで通ずる「朝鮮人強制連行」を取り巻く強烈な問題意識なのである。
 だがしかし、そのような問題意識が日本社会一般に共有されることはなく、「朝鮮人強制連行説は虚構だ」という、いわゆる「歴史修正主義」とも呼ばれる言説が平然と流布されているのが日本の現状である。このような現状において、「強制連行」はなかったかのような議論に対する批判をしなければならないという課題に答えようと出版されたものが、本書『朝鮮人戦時労働動員』であった。
 本書の章構成は、1.「朝鮮人戦時労働動員史の歩み」、2.「強制連行説虚構論の系譜」、3.「朝鮮人戦時労働動員の過程」、4.「朝鮮総督府と朝鮮民衆」、5.「戦時期の皇民化教育と朝鮮女子勤労挺身隊」、6.「朝鮮人労働者の労働と生活」、7.「政府と企業の戦後処理」、8.「朝鮮人戦時労働動員の全体像」となっている。
 章題からも明らかな通り、本書は、現在に至るまでの研究の最新動向を整理・再検討することにより、強制連行説虚構論に対し反論し、「朝鮮人強制連行」の全体像を明らかにしている。その際に、労働動員の過程や労働実態のみならず、その「朝鮮人強制連行」の背景、構造的要因がどのようなものであったかについて、朝鮮総督府や皇民化教育が果たした役割についても述べられており、また、その後の戦後処理・補償と残存する課題・問題についても述べられている。
 本書では、一貫して「朝鮮人強制連行」を、1939年からの国家総動員体制に基づく計画的な労働動員に限定して、「朝鮮人戦時労働動員」と表現している。これは、朝鮮人戦時労働動員(強制連行)は、(一)強制連行のみならず、(二)強制労働の点も問題視されるべきであり、前二者と結びついて、(三)民族差別の問題も明らかにされなければならない、という問題意識に基づくものである。実際に、朝鮮人戦時労働動員(強制連行)において動員過程の暴力的強制のみを論じるのではなく、植民地朝鮮における官僚・警察体制による見えない強制、土地収奪と農村経済の破壊による経済的強制、そして日本が素晴らしい場所であり忠良なる皇国臣民として、労働動員に応じなければならないという皇民化教育と圧力による心理的強制があったことが、丹念に論じられている。また、朝鮮人は当時「日本臣民」であったから、労働動員や徴用がなされたとしてもそれは日本人同様の義務である、という言説に対しても、労働実態において明確な賃金、待遇などの点で、民族差別と、それに基づく強制労働があったことを実証し反論している。
 私が、本書全体を読んで、感じたことは、朴慶植が指摘するとおり、在日朝鮮人の歴史・植民地支配と朝鮮人戦時労働動員(強制連行)とが強く結びついているということであり、「在日朝鮮人の民主主義的民族的権利を守」られるためには、朝鮮人強制連行説虚構論のような歴史修正主義的言説が横行することが決してあってはならない、ということであった。そして、戦時労働動員された朝鮮人はほとんど朝鮮に帰ったのだから、在日朝鮮人と朝鮮人戦時労働動員(強制連行)は無関係な問題であると考えてはならないと改めて思い知らされた。本書の最終章で指摘されているとおり、「朝鮮人戦時労働動員は戦時下の植民地他民族抑圧の一つの形態であった」のであり、在日朝鮮人形成とも結びついた植民地支配とどう向き合うかということを、朝鮮人戦時労働動員(強制連行)は突きつけているのである。それ故、「“連行がなかった”論」-「植民地化の実態を隠蔽する時代錯誤的な保守主義」-に私たちの実存をかけて抗することが、より重要で本質的なことではないかと強く実感させられる一冊だった。「強制的に」などの文言を狙い撃ちする、現在の歴史修正に対抗するためにも、運動を担う在日朝鮮人には是非推奨したい一冊である。


本の詳細は↓↓↓
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/0/0238310.html


以上で名心支部の書評発表を終わります!
今後も留学同東海では読書活動を積極的に行うので、また紹介する機会があれば掲載する予定ですのでよろしくお願いします(^O^)
続いても名心の書評発表です!
次は名心支部二年のキム・ヤンムとんむの書評です(^^)

金富子・中野敏男『歴史と責任-「慰安婦」問題と一九九〇年代』

この本では90年代に「慰安婦」問題が提起されて以来問われ続けてきた「歴史と責任」への深い思想的視野に立って、問題の現在を確認し、いまもなお問われ続けている課題を明確化することを目的としている。
本書は序章と一章から三章を合わせた4つの章からなっている。
 構成として、章ごとのテーマに合った多数の論文が掲載されており、様々な著者の観点から大きくは「慰安婦」問題を取り上げている。
序章『日本軍「慰安婦」問題と歴史への責任』では、2007年に幕を下ろした「女性のためのアジア平和国民基金」の活動が終わったことにより、その残った課題から「慰安婦」問題におけるおわりとは何かというのを考えていっている。そして、その解決のためにも根本的な問題を再確認するために世界が大きな動きを見せた1990年代以降の経験から真に学ぶことがあると主張している。
第1章『「慰安婦」問題と日本の過去克服』では、日本軍「慰安婦」問題を中心にして、一九九〇年代以来の日本の戦後補償に関わる諸経験を総括している。ここではまず、女性国際戦犯法廷と国民基金という二つの取り組みを取り上げ、そこで問われたことについて被害者や活動主体の立場からみていき、そのうえで問題を日本の戦後補償全般に広げながら、現在の時点からその意味を整理している。
第2章『世界の過去克服への取り組みから』では、世界の「過去克服」に関する、特に一九九〇年代以降の様々な取り組みを取り上げている。ここでは、韓国、台湾や南アフリカでの「過去克服」がいかなる意味をもちどのように取り組まれたかを整理し、さらに他方からはドイツやフランスの経験から学んでいきそこで問われていることを東アジアの経験と対比しながら、そのうえでこの時代に歴史への責任を問うことの思想的意味を「人道に対する罪」と「フェミニズム」という観点から考えていく。
第3章「何がなお問われているのか」では、第1章、第2章での考察を踏まえたうえで、現在までにも継続している植民地主義を問いていき、その観点から残された課題を検討している。ここではまず、現在もなお清算されていない植民地支配責任について整理し、戦後から残され続けてきた植民地主義の跡をみていき、その被害を受け続けてきた在日朝鮮人のこれまでと現在の状況を考えていき、そしてそのうえでこれまでの植民地主義に対抗する歴史から、特にそこにいた女性の経験から、どのように学んでいくかを考えている。
全体の感想として、「慰安婦」問題を考える上で重要となってくるのはこの本のタイトルにもある、「歴史と責任」であるとまず感じた。この問題は女性への戦争犯罪・国際犯罪に対する普遍的な人権問題として捉えられており、いまや被害者や被害当事国であるアジア諸国だけの問題ではなくなった。そして、戦後直後ではなく1990年代になって一人の「慰安婦」がその過去と向き合うために声をあげたことにより初めてこの問題が本当の意味で問われていくこととなったという、今まで歴史的戦争責任をあいまいにしてきた戦後が、ようやく90年代になって本格的に始まったと言える。そして、その「戦後」と「戦時」の二つの暴力にさらされていた被害者である「慰安婦」たちはこうした「歴史」によって今もなお苦しんでいる。いま自分たちができることは、こうした「歴史」をしっかりと認識し、それにより苦しんでいる人たちに対する「責任」を追及していくことだと感じた。

本の詳細は↓↓↓
http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-3286-1