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広葉です。
引き続き、この記事を書いています。
では前回お伝えしたように
この頃、虐待を受けて生きてきた私が苦しいと思うことをお話しようと思います。
突然ですが、私は周りの人に
(例えば学校のクラスメイトさん、仲良くさせていただいている友人です。)
「広葉ちゃんって本当に優しいね。」
という言葉を、よくいただきます。
そういう時、私は心の中で
“いやいやいや、そんなことない”とか。
“あぁまぁそうだろうなー((棒))”とか。
“・・・・・・。”みたいな。
実はこんなことを思うのが殆どです。
私が優しいねって言われる時は
誰かの話を聞いていたり、苦しい場面で笑いかけたり、相手の人を褒めたりって時が多いいんです。
ただそれは、以前の私にとっては
母が支配する環境で生きる方法で、少しでも暴力を受けないための逃げ方でした。
私は母の良き愚痴り相手でなければならず、愛想を振り撒くことは彼女のご機嫌とりで。
母が人間的に肯定できない行動と言動をしたとしても、母を褒めるということをすれば、暴力は少し平和でしたから。
周りの人の言う私の優しさとは
私が母の元で、強いられて本能的に憶えた優しさ(50%)に近いです。
もう少し、このことでお話したいのが
私は幼い頃・・・小学校の頃から読者が好きな内向的な子供でした。
小学校低学年の頃には、既に母から身体的な暴力を振るわれていました。
母は何度も私に「これはアンタが大切やし愛しとる娘やからしとること!!」と、言い聞かせていました。
それが本物の愛情で、本物の優しさだと何度も何度も教えられました。
幼い頃はその言葉を信じて、私は私が愛されていると盲信していました。
ですが・・・3年生頃だった筈です。
私は小学校にあった本の中の母子に対して違和感を感じました。
お母さんは子供の頭をなでて、「〇〇が好きよ。」と微笑んで伝える。
思い返してみれば、それまでに読んだ本にも同じ言葉が書いてあったんです。
本の中では当たり前のように、お母さんが子供に愛情を伝えていました。
その頃の私はこんなの知らないと、この本が間違っているとさえ思いました。
でも私は、そんな間違っている筈の本を好きだと思い憧れを持ちました。
そして、それからも日々を過ごす中で
母に教わった言葉や態度でクラスメイトに接する度に、コミュニケーションに滞りが増えました(元々コミュニケーションが苦手でした)。
後に本の中の登場人物を見習って
少しでも柔らかい話し方ができた時、少しだけ相手のクラスメイトが笑んでくれた。
道徳の授業が好きでした。
母が私に教える優しさとは違っても、母に教えられた優しさのように苦痛ではなかったんです。
人同士の繋がりに関する授業は
人らしく存在できている気がして、とても安心ができて心地がよくて。
小学校高学年になった時です。
母から教えられた優しさはやめて、図書室の本や道徳の教科書を見習いたいと。
本当に優しい人間になりたい。
その頃には母のようになりたくないと、強く思うようになっていました。
それから10年程度が過ぎました。
結果的に私は、母のことを反面教師にすることで優しいねって言われるようになりました。
生きる手段(50%)として憶えた他は
これらが私の優しさの残り50%として占めていると思っています。
私にとって私の優しさとは
私が探して見つけて努力して得たもの、もしくは反面教師にしたお陰のものです。
母の教えに逆らったのは私ですが
怖くなかったわけではありません、恐ろしくて不安で生きた心地がしませんでした。
母の前では母の教え通りに過ごして
バレないようにアンテナを張って、隠れながら自分で育てたものです。
私の過去をやんわりと知る方達に、よく言われる言葉があるんです。
「虐待じゃなかった筈だよ。
だって広葉ちゃんはこんなに優しいんだから…ちゃんと愛されて育ったんだよ。」
その言葉が、今回のテーマにした
この頃、虐待を受けて生きてきた私が苦しいと思うことの具体的な内容でした。
私が苦しい思いで努力をしていても
私が優しい人間であることは、私の母が正しい愛情を育んで育ててくれたと思われてしまうこと。
もちろん、全ての人が同じことをおっしゃると思っているわけではありません。
それでも思い違いのしようもなく
部屋に閉じ込められたり制限されたり、暴力を受けていたこと。
“お前なんか産まなきゃよかった”
なんて言われて、頭を拳で叩かれたことが私の被害妄想だとは思えません。
それなら優しくなんかならないと心に決めて、グレた時期もありました((遠い目))
今日は現在のお仕事先(接客業)で
お品物をお探しさせていただいたお客様に「ありがとう。」と、微笑んでお言葉をいただきました。
お仕事なので、優しさ以前に当たり前のことをしただけでした。
けれど、グレているよりかは
お客様も私も、この方が穏やかに時間を過ごすことができたわけですから。
一度しかない限られた時間の一瞬を
優しさもない苦しいだけの気持ちで過ごす・・・なんて宝の持ち腐れだと思います。
ですから、このような葛藤をされている方にもしお伝えしてもいいのなら。
誰かのためじゃなくて
あなたのために、あなたの時間とあなたご自身に優しくしてあげてください。
※ご覧になる方がおられない可能性も理解しつつ、お伝えしたいことを文字にしているだけのチキンでヘタレなブログです。
偉そうに長々と失礼いたしました。
次回は、鹿のお話か自己紹介でもしようかしら・・・と思っております。
もしもご覧になってくださっている方がおられましたら、貴重なお時間の中ありがとうございますッ(❁´ω`❁)ノ
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2018.10.13 広葉
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