最近、痛いんですよ。
懐が・・・
もですが、
お尻が痛いのです。
しかも、お尻の穴が痛い。
年末ぐらいから、痛くなってきまして、
今も、排便の時は勿論、
自転車やバイクに乗る時も、
ちょっと痛い。
元々便秘がちなので、
常にリスクがあったのですが、
今回は、ちょっと長引いております。
というわけで、身体というものは、
ほんとに、厄介なもので。
あちこち痛くなったり、
苦痛を伴うだけでなく、
腹が減ったりするので、
何か食わせたりと、面倒を見ないといけません。
それこそ、定期的な排便にも気を付けないといけませんし。
髪を切ったり、体を洗ったり、
マメなメンテナンスも欠かせない。
そういうのが、面倒くさいなぁ・・・って、
昔から思っていました。
俺の人生、
この身体を維持するためだけに、
ただ時を浪費している・・・
そう思っていましたね。
そもそも、身体って何?
という疑問を感じ、
主にスピリチュアル系の学びから、
理解を深めていきましたけれど、
簡単に言うと、
魂がこの世で色々なことを体験するための乗り物、みたいな。
身体がないと体験できませんからね。
乗り物ですから、まさにバイクと同じく、
メンテナンスも必要だし、維持するのに金がかかるわけです。
しかも、超絶の燃費の悪さ。
一日3度の飯から始まって、お茶だのコーヒーだの何度も飲みながら、
アルコールも接種しないといけませんし。
だけど、魂が身体から抜け出るまでは、
この身体と付き合わなければなりません。
ちなみに、父ちゃんや、ばあちゃんが亡くなり、その亡骸を見たとき、
空っぽだ・・・と思いましたね。
魂の抜けた身体は、もう、ただの着ぐるみです。
で、魂が、いつ身体から抜けるか・・・ですが、
偶然は無いので、不慮の事故とかは無くて、
全ては定めだと思います。
魂のレベルでは、予定通り。
どんなに若く早死にしてもそう。
なので、自分の定めはいつなのだろう?
もう、今でもいいよ!
と、思うわけです。
「生きているウチが花」とか、
「死んだら意味ない!」とか、
よく言われますが、
私としては、全くそう思えないのですよね。
こんな不自由極まりない身体の中でしか生きられないなんて、
私にとっては、地獄ですよ。
それでも、この世で体験することには意味があり、
その意味のために、身体と共に生きている。
その意味は、それぞれの個人が追求することであって、
誰かから教わることではありません。
私の場合は、
このブログのタイトルにつけたように、
ありのままに生きるということが、
今の私の追求することです。
なので、お尻が痛いのも、ありのままに・・・。