峠の走り屋 | タケシのありのまま日記

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旧名から変更しました。

ライダーの高齢化が言われて久しいですが、

 

我々のような50代、60代のリターンライダーがますます増えて、

 

今や、バイク購入層の大半を占めているらしいですね?にっこり

 

やっぱりバイクブームだった80年代、90年代に青春時代を過ごした年代は、

 

忘れられず、再び戻ってくるようです。

 

そのためか、Facebookでも、

 

やたらと懐かしい系の投稿を目にしていて、

 

その中でも、いわゆる元「峠の走り屋」系だった皆さんの、

 

懐かしい写真をよく見ます。おやすみ

 

 

私も、最初のバイクが88RGV-Γ250SP

 

ってこともあり、走り屋に憧れておりました。目がハート

 

 

これが当時の写真。

 

バンクセンサー付きの革パンなど履いているので、

 

さぞ、毎週、大垂水峠を攻めていたのかと思いきや、

 

全くそうではなく。おやすみ

 

峠に行っても、後ろから煽られるのが怖くて怖くて。滝汗

 

走り屋さんたちの凄い走りを見て、

 

すげーーーーと思いつつ、

 

あんなの、無理・・・。泣くうさぎ

 

と、陰から見ているばかりで、

 

本格的な峠通いをするわけではありませんでした。

 

とは言え、自分なりに上手になりたいと、

 

辻司さんの「ベストライディングの探求」を熱心に読みながら、目

 

街乗りで練習はしてましたよ。ほんわか

 

どっちかというと長距離ツーリングに目覚め、

 

 

北海道の素晴らしさを知り、

 

その当時はキャンプではなくライダーハウスでしたから、

 

 

泊った宿で、レーサーレプリカそろい踏みしたり。

 

いや、でもこの写真、凄いよね。照れ

 

ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの勢ぞろいですよ。ニコニコ

 

ほんと、あの当時は、

 

いろんな種類のバイクが走っていて、

 

楽しかったなぁ。

 

いまじゃ、スーパースポーツ系は、

 

数えるほどですよ。

 

そして、アドベンチャー系が多い!

 

で、話を戻すと、

 

この88RGV-Γ250SPは、

 

なんと事故ってしまい、廃車。

 

奥多摩に行った帰り道、

 

ちょっと欲が出て、

 

コーナーを奥まで突っ込んだら、

 

対向車線に路線バスが現れ、

 

ビックリして握りゴケ・・・

 

という、あるあるパターン。うさぎ

 

そんなにスピードは出てなかったとはいえ、

 

転倒したバイクはバスの下敷きに。

 

フロントフォークはひん曲がり、

 

クランクケースからもオイル漏れ。

 

私は、全くの無傷でした。

 

今では、そのコーナーは改修されて無くなっていますが、

 

奥多摩に行くたびに、

 

あぁ、この辺だったなぁ・・・と思い出します。(笑)

 

 

で、また不死鳥のように蘇った私は、

 

懲りずに、またRGV-Γ250を購入。90年型です。ニコニコ

 

 

このガンマとも、北海道をはじめ、いろんなところに行きました。

 

そして、先代の88年型と比べて、

 

とにかく乗りやすかった!

 

でも、やっぱり峠の走り屋さんの仲間入りはしませんでした。

 

あれは、自分には無理・・・

 

ということで、大人しく走ってましたよ。

 

でも、走り屋さんへの憧れはありましたねぇ。

 

あんなふうに走れたらいいなぁ。お願い

 

そんな思いが、

 

限定解除へのチャレンジに繋がったのだと思いますね。ほんわか