ちょっと深いテーマになりますが、
私とは何か?
本当の自分とは何か?
ということを求めている人は、多いと思います。
だって、それしかやることないし?
生きるということは、本当の自分を追求することだし。
追求していくと、
人間という肉体として自分を見るか、
そうでないかで、
そこが大きな分岐点なのだと思います。
人間という肉体としての自分は、
矮小で、満たされてなく、不完全で、
常に自らの犠牲によって対価を得て、
それによって隙間を満たしながら生きながらえている。
仕事においては、
自らの労働という犠牲によって対価を得ていますし、
結婚生活も、それぞれの犠牲によって維持され、
ギブアンドテイクのバランスが崩れたときに、離婚に至ります。(笑)
肉体というものは、
なんて不自由で、面倒で、不潔で、重くて、痛くて、辛くて、不愉快なんだろう。
日々、この肉体を維持するために、
欲しくも無いものを買いあさり、
食べ、排泄し、運動しなければならない。
やりたくもないことを、しなければならない。
老後の心配なんて、
クソくらえですよ。
そして、
私がこれだけ犠牲を払うから、
あなたも犠牲を払ってね
という関係。
ギブアンドテイク。
これも、肉体というものがあってこそ。
私がこんなに苦労したのだから、
それに対して見返りが欲しい。
あなたも、同じように苦労しなさい。
この世界は、犠牲で成り立っている世界です。
しかし、正気の心は常に守られていて、
犠牲とは違う何かを感じている。
常に。
それが愛。
常に、それは全ての人が感じられているはず。
ところで今週末、
息子のハルが、大学共通テストを受験しているはずですが、
彼がどんな結果だったとしても、
良いも悪いも無く。
こんなに頑張ったんだから!
というのは、犠牲の精神で。
犠牲など必要なく、
全ての人は、完璧に愛されているから。
一ミリも犠牲など必要なく、
共通テストの結果がどうだったとしても、
それは何の問題も無いです。
あなたも私も完璧です。
何も足さない、何も引かない。
・・・、これ、なんのフレーズだったっけ?