文永の役にまつわる日本側史料には、「神軍」の説話が多い。鳥飼潟の戦闘が物別れに終わった十月廿日の深夜に、どこからともなく現れた得体の知れない少人数の軍勢が元軍に攻めかかり、これを恐怖に陥れて撤退に追い込む。説話によれば、廿日夜の元軍の撤退は大宰府軍によらず、実に神軍出現のたまものであった。
神軍説話の例を見てみよう。

一代要記の神軍
文永の役の頃に成立したとされる年代記である「一代要記」に、次の文章がある。原文は漢文だが読み下し文で示した。

「同（十月）二十日合戦を始め、宰府軍等背北し了（おわ）る。爰（ここ）に同日亥の刻許（ばか）り、兵船二艘出で來り、暗天に合戰す、凡慮之及ぶ所に非ず、是ぞ神明之化儀也（なり）と測り知る、即わち異國軍兵退散す」

二十日に始まった元軍と大宰府軍の合戦で、大宰府軍は敗北してしまった。背北は敗北と同じ意味だが、わざわざ「背」の字を使うことで、大宰府軍が戦場に背を向けて撤退したことを暗示している。「爰に」以下はその後に起こったことである。大宰府軍が撤退した後に、兵船二艘が「出で来り」すなわちどこからともなく現れて、暗夜の海上で元軍を攻撃した。「即ち」は「即時に、ただちに」の意味である。兵船二艘の攻撃の結果、元軍はたちまち撤退した。廿日の夜、元軍を撃退したものは人のわざにあらず、「神明の化儀」すなわち神の奇跡であった。

ちなみに上記の引用文は、「自宰府申之（宰府よりこれを申すに）」と「云々」との間に挟まれている部分にあり、大宰府報告書の要約と見られる。つまり神軍の出現によって元軍が撤退したと見るのは、大宰府じしんの見方である。

金綱集の神軍
「金綱集」は、日蓮の説法や著作を弟子たちが編纂した、いわば日蓮全集のような書物である。その「金綱集」は十月二十日の戦闘を次のように述べている。原文は漢文（一部カナ混じり文）だが、読み下し文で示した。

「同（十月）廿日辰の刻（中略）、九国の御家人等馳せ集まりて合戦せしむる之間、両方の死輩其の数を知らず、酉の刻に及んで九国の軍兵引き退く処、夜に入りて三百余騎の軍兵出で来たり、白鉾梅鉾空ニアリ、仍（すなわち）蒙古人同二十一日卯の刻、悉く退散し畢（おわ）る」
（註1）（中略）は有力御家人の名を列挙している所である。「鉾」の字は原文では弓偏である。

ここでは神軍は「三百余騎の軍兵」である。ここでも神軍は大宰府軍が「引き退く」すなわち撤退した後に、「出で来たり」すなわちどこからともなく現れ、その結果として元軍は翌二十一日の卯の刻（午前六時ごろ）までに、完全に撤退した。

八幡大菩薩愚童訓筑紫本の神軍
鎌倉時代末期の成立とされる「八幡大菩薩愚童訓筑紫本」は元軍撤退の理由を次のように述べる。原文の漢字仮名まじり文に句読点をつけ、片仮名の濁るべきところに濁点をつけ、漢字の読みにくいところに平仮名で注釈した。

「今度（このたび）己（すで）ニ武カモ尽ハテテ、若干之大勢逃去テ今者（は）カウト可見（みるべき）夜中ニ、白張装束之人三十人、筥崎ヨリ矢崎（先？）ヲ調（ととのえ）テ射ケルガ其事、カウ震敷（ふるわしく）身毛余立（よだち）テ恐シク（中略）、蒙古共肝心（きもこころ）ヲ迷ハシテ我先ニ逃ントハ（中略）、日本之軍兵一騎ナリトモヒカエタリシカバ、大菩薩之御闘（おんたたかい）卜申サズシテ唯追返タリトモ申シナマシ。一人モナク落テ後、賊惶恐（おののきおそれ）テ逃返レバ、神軍ノ威勢厳重、不思議弥(いよいよ)顕玉（あらわれたまい）ケリ。（中略）夜明ケレハ二十一日之朝、海ノ面ヲ見ルニ、蒙古ノ舟共皆馳（はせ）テ帰ケリ。」

ここでは神軍は三十人の弓矢を持つ「白張装束の人」（註2）である。原文が「神軍」という言葉を使っている。大宰府軍の大部分が逃げ去った後に、このような神軍が現れて元軍を弓射したので、元軍は恐れ慄いて我先に逃げた。
（註2）「白張（はくちょう、しらはり）装束」とは平安時代以降の下級官人の衣装であって、この服装が特にが神秘性を表してはいない。

引用文はさらに付け加えて、日本の武士が一騎でも戦場に残っていれば、日本軍が元軍を撃退したと主張することもできようが、ただの一人も残っていなかったのだから神のわざに間違いない、と念を押している。こうして元軍の船団は翌廿一日の朝までに、完全に博多湾から姿を消したのである。

神軍説話の共通点
上記した「一代要記」「金綱集」「八幡大菩薩愚童訓筑紫本」と、三つの神軍説話を並べて見ると、神軍そのものの態様は全くバラバラであるにも拘わらず、三つを通じる共通点があることに気付く。それは次の二つである：

●神軍の出現が大宰府軍撤退の後であること、

●神軍の活動の結果として元軍が当夜のうちに撤退したこと、

三つの史料の神軍説話に共通して、神軍は大宰府軍の撤退の後に出現し、その結果として元軍はただちに、或いは翌朝までに、全て撤退した。神軍そのものは非現実のものであり、創作物に違いないからこれを省けば、「大宰府軍の撤退」および「元軍の翌朝までの撤退」が残る。これらは、当時の人々の共通認識だったのである。神軍の説話は、それ自体は荒唐無稽であっても、このような「事実」を我々に提供してくれている。

「日本軍が元軍を海に追い落とした（すなわち日本軍は撤退していない）」と言う説や、「戦闘が数日間続いた（すなわち元軍は翌朝以降も居残った）」という説は、上記のような当時の人々の共通認識と相容れないのである。後世の我々は、当時の人々の認識に対して謙虚であらねばならない。

なぜ神軍説話が生まれたか
当時の人たちはなぜ、神軍の話を創作したのだろうか。それは、元軍の当夜の撤退の理由が全く理解できなかったからであろう。十月廿日の夕方、元軍は絶対的に有利な立場にあった。日本軍は大宰府方向に撤退し、元軍のみが戦場に残っていた。博多、箱崎はまだ完全占領していないが、元軍の掌中にあった。このような状況で、突然その晩のうちに、元軍が撤退してしまったのである。

絶対有利の立場にあった元軍がなぜ撤退したのか。それを説明したいと言う欲求が、それまでの神仏祈祷の熱狂と結びついて、神軍出現の説話が生まれたのであろう。「八幡大菩薩愚童訓筑紫本」「金綱集」はいずれも宗教関係の人によって書かれているから考えやすいが、「一代要記」が記録する大宰府報告書とてその埒外ではない。幕府/大宰府もまた、寺社に対して祈祷を要請する立場にあったからである。大宰府報告書が神仏祈祷の効果を主張しても、おかしいことは何もない。

弘安の役では、元軍が壊滅あるいは撤退した理由は、誰の眼にも明らかであった。神軍の奇跡は、その必要がなかった。だから弘安の役では神軍説話が見られないのである。

神軍の正体は何か
さて、「幽霊の正体見たり枯尾花」と言うように、神秘的な説話も、なんらかの実体をもとにしていることが多い。文永の役における神軍の奇跡のもとになった実体はなんだろうか。ここから先は全くの想像だが、筆者は戦場荒らしの人たちではないかと考える。中世の戦争には、戦闘が終わった後の戦場荒らしがつきものであった。悪党（体制に属しない武装集団）や庶民が、戦場に残された鎧、兜、刀、弓などを集めて我がものとしたり、売り払って金を稼ぐ。

戦場荒らしは普通は勝った方の軍と競合しながら行われるから、危険が伴うし、それほど自由にはできない。しかし文永の役においては、十月廿日の夜は博多周辺の戦場から日本軍が完全に撤退してしまい、もう一方の元軍はまさに撤退中であった。戦闘の跡地をコントロールするものは誰もいなかった。そこに、両軍の武器、装具、馬、小舟などが無数に転がっているのである。これほど美味しい条件の場所に、戦場荒らしたちがいなかったとすれば、その方がおかしい。

戦場荒らしたちのなかで、悪党など血の気の多い者は、スリルを求めて、撤退中の元軍にちょっかいをかけただろう。それに対して元軍は本腰を入れて反撃せず、撤退行動に集中した。その有様を第三者が見れば、何者かの少数部隊が、元の大軍を海に追い落としているように見えただろう。

その話を聞いて、大宰府報告書の作成者は神軍の奇跡を創作し、大宰府が自ら勧奨した神仏祈祷の効果を主張した。これとは無関係に記録を書いた宗教者たちもまた、同様の話をもとにして、それぞれの立場から神の威力と恩恵を説いた。このようにして、一群の神軍説話が生まれたのではあるまいか。
神軍の正体は戦場荒らしの悪党であったと考える。

付記：兵船二艘120人の夜襲部隊は実在したか

このブログを書くに当たって、服部英雄氏の書かれた「蒙古襲来」（山川出版社、2014年発行）を、ずいぶんと参考にさせていただいた。なかでも大きかったのは潮の干満と戦闘経過の関連である。この考え方を入れてはじめて、文永の役の戦闘経過が陰影と奥行を持って浮かび上がる。

しかしながら服部英雄氏が、日本軍が10月20日の夜に、兵船二艘に乗った120人の部隊で海上の元軍に夜襲をかけた、と書いておられるのには疑問を覚える。その理由を説明するために、上記「蒙古襲来」から引用する。同書の147~148頁にある。

引用はじめ：

つぎの夜、二十日の深夜に日本側は、兵船二艘で出発し、合戦を行った。「亥刻許、兵船二艘出来、暗天合戦」とある。日本は蒙古とは逆に、深夜の満潮時、亥刻（夜一〇時頃）に出発し、引き潮に載って湾口、志賀島前沖に出、停泊中の敵船に夜襲（暗天合戦）をかけた。『帝王編年記』に「鹿嶋」と見える。蒙古が鳥飼また今津、箱崎上陸をはたす頃には、すでに志賀島は占領され、その攻撃基地となっていただろう。「兵船一艘」には六〇人が乗っていたとある（一四四頁『一代要記』）。このわずか二艘一二〇人による攻撃で、何千人の蒙古軍にどれほどの打撃を与え得たのかはわからないけれど、『一代要記』は「即異国軍兵退散」としている。現実感覚でいえば、一度の小攻撃で蒙古全軍が退散するまでの効果はなかった。しかし「測知、是神明之化儀也」「非凡慮乃所及」ともあって、神威が強調された。

引用終わり

兵船一艘に日本兵が六十人、二艘合わせて百二十人で夜襲をかけたという。出典は、このページの上の方で神軍の説話として紹介した「一代要記」の記事と同じと思われるが、そのようにも読めるのだろうか。引用文中にもあるように、「蒙古襲来」の144頁に原文が載せてあるので、それも見てみよう。

引用はじめ：

同（文永十一年十月）十九日亥刻、攻来筑前国早良郡、同廿日始合戦、宰府軍等皆北（逃）了、爰同日亥刻許、兵船二艘出来、暗天合戦、非凡慮乃所及、測知是神明之化儀也、即異国軍兵退散、彼兵船一艘之所乗之人数六十人許云云

引用終わり

引用した原文の末尾の一文を読み下せば、「彼の兵船一艘之（の）乗る所の人数六十人許り云々」となる。また「彼兵船」の「彼（かの）」に対応する言葉は、前のほうの「兵船二艘出来」の「兵船」と見ることもできる。

なるほど、と納得するが、念のため原典も当たって見よう。「一代要記」の写本は現在、二種類がネットで閲覧可能である。この二種類の写本の該当ページの写真を第1図、第2図に示した。第1図は京大図書館所蔵、第2図は大和文華館所蔵のものである。

第1図　京大図書館所蔵の「一代要記」

第2図　大和文華館所蔵の「一代要記」

この二つの写本を、上記の「蒙古襲来」144頁から引用した原文と見比べると、二つの写本とも、「兵船一艘」と「之」の間に「留」の字がある。図中に青の傍線で示した。（第１図の写本の赤の傍線はもともとあったものである）

この「留」一字の有り無しによって上記末尾の一文の読み下しがどのように変わるか、下記に比較した。

「留」無しの漢文：「彼兵船一艘之所乗之人数六十人許云云」

同、読み下し文：「彼の兵船一艘之（の）乗る所の人数六十人許り云々」

「留」有りの漢文：「彼兵船一艘留之、所乗之人数六十人許云云」

同、読み下し文：「彼の兵船一艘之（これ）を留む、乗る所の人数六十人許り云々」

「留」が加わると、これが動詞として目的語を要求するので、助詞「の」と解釈されていた「之」が指示代名詞「これ」になる。なんの指示代名詞かと言えば、主語の「彼兵船」である。目的語が主語に帰って、自らを留めるという持ってまわった言い方だが、要するに兵船一艘が残留したのである。これで一つのセンテンスが完結するから、次の「所乗之人数」との間が切れる。第2図の写本を見ると「留之」の後に句読点を打ってあり、昔の人もここで切って読んだことがわかる。

要するに末尾の一文は「兵船二艘出来」の話の続きではなく、元船一艘が撤退できず残留したという、別の話なのだ。「彼兵船」の「彼（かの）」に対応する言葉は、すぐ前の「異国軍兵」である。「所乗之人数六十人許」とは、この船に乗っていた元兵の人数である。

文永の役では、合戦当日の翌朝までに元の船隊が全て撤収したが、ただ一隻のみが志賀島の近くに座礁して残留し、乗っていた元兵は捕虜になった。この事件は、いくつかの同時代史料に述べられている。「一代要記」中の大宰府報告書もまた、当然ながらこの事件に言及したのである。

「兵船一艘」が志賀島座礁船の話であれば、その前の「兵船二艘出来」は、やはり神軍の奇跡の話であろう。「これ神明の化儀なりと測り知る」と言うのも、神の威力が人を介さず、直接に敵軍に及んでこれを撃退したところに、奇跡を見ているのである。

ただし以上は、あくまで図示した二種類の写本に基づいた議論である。この写本以外に「留」の字が無い写本があるのかもしれない。