このブログを見ていてくださる皆様、ありがとうございます。
そして、コメントに返事が出来ないでいるにもかかわらず、コメントしてくださる方々、本当にありがとうございます。
姉が、夜中遅くまでパソコンに向っていて、朝起きられないでいた事が、納得できます。
皆様と触れ合いたくて、いつもいつも夜更かししていたのでしょう。



さて、久しぶりですが、本日は姉の溺愛していた私の息子のゆうと(10/21で満1歳を迎えます)について・・・です。

かなりのやんちゃモノなので、人の顔はペンペン叩き、手にしたモノは、2割かじって8割方放り投げる・・・。
姉の調子がいいときには、点滴のルートや尿道カテーテルを握ってはブンブン振る・・・病室の床にレジャーシートを敷き、ハイハイ・つかまり立ちし放題・・・    ((((((ノ゚⊿゚)ノ
このゆうと、8か月の時から姉が痛みを訴えたり泣き言を言ったりすると、決まってうつむいている姉の顔を覗き込みながら、一芸の『万歳』をするようになりました。
また、優しく姉の顔をナデナデするのです。
勿論、他の人にはしません。一芸は、気分の乗っているときにしかやりません。
しかし、弱音を吐いている姉に対しては、違っていたのです。


そして、旅立った姉に合わせたときです。ゆうとはやはり姉の顔を優しくなで始めました。
まだ、10ヶ月の子供が何をどう理解しているのか分かりませんが、彼なりに姉の存在を理解していたのでしょう。

今のゆうとは、私が実家で姉にお線香をあげる時、手を合わせます。
ご飯や飲み物が置いてあるから、『いただきます』と勘違いしているのかと思いましたが、自宅にある、遺影と同じ写真の縮小写真(お別れ会をしたS典礼の方が、小さな大理石に遺影の縮小版を貼り付けたものをサービスしてくださいました)を見ても、手を合わせているのです。
そして、それを私の手からとり、胸に抱きました。とは言っても、胸に抱いたつもりでしたが、重みで下がってしまい、厳密にはオマタに抱えていましたが。 (^▽^;)
彼なりの理解があっての行動なのか、はたまた、姉が後ろから手を出してそうさせているのか・・・ (^o^;)
ま、悪いことではないので、よく褒めてやってます。



姉は、「ゆうとの記憶に残りたい。それまで生きていたい。」とよく言っていました。
ゆうとが、今の事を記憶していることは難しいと思います。

けれど、一緒に撮った写真があります。ビデオもあります。
姉が、ゆうとを可愛がり、世話をしていた事は、紛れもない事実であり、証拠も残っています。
それを見せながら、姉との日々を、私が姉から教えてもらった病気の人の心を、病気の人や弱っている人を思いやり助ける心を、しっかりと伝えて生きたいと思っています。
人間とは、経験で考え方や心が変わっていくものだと思っています。
何の痛みもない人は、幸せですが、痛みの分かる人間にはなりにくいのが事実だと思います。
けれど、経験者が伝えていくことで、それをリアルに感じることが出来、経験者のような感情を持つことが出来ます。


姉が病気になったこと、この意味は、ゆうとが心優しく豊かに、そして痛みの分かる大人に育つように・・・も含まれているのではないかと感じています。

ゆうとを抱っこしながら、「今まで生きてきた中で、こんなに可愛くて可愛くて仕方のないものって初めてWハート」 そう言ってくれた姉に恥じないように、命のバトンをしっかりと繋ぎ、伝えるべきことはしっかりと伝え育てててゆきます。
ちゃんと見ていてね、お姉ちゃん ('-^*)/

                                                            きぃ