こんにちは。日本語教育に携わって早や20年と少したった藤村知子です。
昨年の震災直後の2011年3月22日から2011年9月4日まで、日本語教育の盛んな中国東北地方に赴任しました。
そのちょうど10年前にも同じところへ同じ仕事で赴任したのですが、10年ぶりの中国東北部で変わってしまったこと、変わらなかったことを中心にリポートしたいと思います。
このひと月、どうぞよろしくお願いします。
変わったこと-外国人留学生
変わったことの一つは、タイトルにもあるように外国人留学生が急増していることです。10年前、私の赴任した地方都市で見かける外国人といえば、外国語を教える先生ぐらいなものでした。
ところが、今や明らかに東洋系ではないことがすぐにわかる若者があちらにもこちらにも歩いていて、流暢な中国語を話しています。
私なぞは、日本語教師ではあるのですが、新しい外国語を覚えるにはとっくに薹が立ちすぎていて、端から習得をあきらめ、1000年前の遣唐留学生のように「いざとなれば、筆談だ!」と手帳とボールペンを肌身離さず持っておりました。(・・。)ゞ
どうして外国人留学生が増えたの?
この急増の理由は、中国の経済力と政策によるものです。
私が街なかで見かけた若者は、中国政府から奨学金をもらって中国の大学の学部に進学するために、中国語を集中的に勉強している人たちです。1年間の中国語教育のあと、4年間の学部教育ですから、計5年間、中国政府が生活費、学費をすべて丸抱えする留学生なのです。1年間にどのぐらいの学生をよんでいると思いますか。
私の住んでいた町の大学では100名の学生を受け入れていました。それと同じ教育機関が中国全土に7校ありますから、1年間で700名の学生に奨学金を支給していることになります。
実はこれと同じ留学生制度は、日本の文部科学省にもあり、1年間の日本語集中教育を受けたあと、4年間の学部教育、成績がよければ大学院修士課程までまるごと面倒を見る国費留学生制度が1970年からあるのです。でも、その規模は、中国には及びません。こんなところにも日本の地盤沈下を感じました。
でも、考えてみれば、1000年前は、唐の長安に(当時の)世界各国から外国使節が集まり、その当時から留学生ための教育機関があったといわれるお国柄ですから、まあ、昔に戻ったといえば、戻ったのかもしれません。
と、最初からちょっと暗い話題となりましたが、日本語を教えにいったはずの私が、どうして中国政府の留学生政策の一端がわかったかというと、私が日本語を教えていたところで全校挙げての運動会があったからです。その運動会にその学校で習っている学生が全員参加し、いろいろな国の学生がいたので、中国の先生に事情を聞いた次第です。運動会の写真をご覧いただいて、本日は終わりとさせていただきます。
Q1.さて、運動会に参加した日本人「学生」は何人いると思いますか?
(-->答えはまた明日)
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