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日々のよしなしごとを、そこはかとなく、つづります。仰ぐお師匠さんは、兼好法師か、はたまた、モンテーニュ殿下か。

夕ぐれ迫る京博

夕ぐれ迫る、平成知新館をあとにして、宿に帰った私。

シャワーを浴びて、涼んで、ぼんやりしていたら、もう午後6時すぎ。はや、辺りは真っ暗に。

急がねば…。

? いづこへ?

…決まってまんがな。

祇園どす。

そそくさと、着物に着替えて、タクシー拾い、花見小路へ。知った様な顔をして、祇園丸山まで、ちょっと、そぞろ歩き。

祇園丸山2014/09/26

⇒祇園丸山

本日はカウンターで。

…ひとり貸切状態。

(これが、私はだいすき)

若女将なのでしょうか、「アラ。こないだの夏も、着物きて、来てくらはった…」と、なんと、覚えて下さってました。「男はんが、お着物きると、ほんま、ええどすわあ」と、お愛想でも、うれしい。

若い、きもちのええ、大将が、私のお相手、してくらはりました。

ここは最初、ぬりの朱盃に、ちょっと御酒を、垂らしてくらはって、それを干して、料理が始まる、ならいです。

料理は、何から、はじまったんやろか…。

長い横笛にみたてた、青竹に、かわいい肴が、いろいろ、詰ってるという前菜が、最初に出たと思います。これで、きもちが、パアっと、晴れました。

さんざん、歩き回ってきたから、ビールも旨い…。

お造りは、明石の鯛が、なんといっても、香よく、ねとっとしながら、コリッとしてて、官能的どす。ああ、ウマ。

それから土瓶蒸し。名残のはもに、季節のまつたけ。

スープに、鱧の脂が、うす~く、広がっているのが、なんともいえません。

あゆと岩魚、松茸を、焼いてくらはりました。その日の、松茸は、長野県産って、たしか、ゆうてはったナ。

あゆの塩焼きがねえ、…最高でした。生きたまんまの鮎を、カウンターで手際よう、さばいて、焼いて、出してくれます。なんか、きれいな、翠いろしたタレも、出してくらはりましたが、もう、なあんも、つけええでも、そのまんまで、美味でした。

あと、照り焼きした、はものまぜごはん。あまったら、いっぱい、六つも、お結びにして、お土産にもたしてくらはった。

途中、総大将の、丸山嘉桜さんも、でてきはって、きものや、染めについて、ちょっとお話。えらい、パワフルな方どしたわ…。

「えらいお酒、召し上がらはって、だいじょうぶどすか?」と、若女将に心配されながらも、お腹は、ほんまに丁度ええ具合の満腹度で、きぶんよう、丸山を辞しました。

かど曲がるところで、「ありがとうございました!」って、若い大将ともども、えらい大きな声で、挨拶されましたけど、なんや、これも、祇園なきぶんどす。うふ。

サテ、私は、これから、もう一軒。

宮川町に、一見でも入れる、ワインバーがあると、聞いたので、ちょっと、覗いてこようかと。

夜の建仁寺

夜の建仁寺。ここを通りぬけて、宮川町へ。

ほろよいでの、夜歩きは、ほんまに、気分がええもんです。

夜の花街の、空気が、なんと、しっとり、してること。

うつくしい、柔和な、灯り。清潔で。閑静。

着きました。「近江榮(おうみえ)」というところです。

⇒近江榮

京都のええところは、着物きてても、さほど違和感なく、すっと、なじめるとこですね。また、和の「粋(スイ)」度が、ちがう。

東京の「意気(いき)」は、チャキチャキしてるだけで、うるおい、ゆうもんが、ぜんぜん、あらへんけど、京都は、人のあたりが、やわらかいから、ほんま、くつろげる。

ここは、チャージ代が、1000円くらいかかりますけど、りっぱなワイングラスに、惜しまんと、なみなみと注いでくれること、ハイアット・リージェンシーと、同じでした。

ほんで、この店でも、おつまみが、凝ってましたナ。一味、ちがうんですね。ここは、各種チーズやったんですが、それのなんと、旨かったこと。

…客の気遣いに、つこうてる、「神経」が、ちがうんどす。

翌日は、朝もはよから、息子とあそぶので、ワインは、赤・白一杯づつ、たのんで、はやばやと退散。「こんどは、また、ぜひゆっくり、来て下さいね」と、おあいそされて、席を立ちました。

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今回の京都旅の、楽しみのひとつは、なんといっても、「平成知新館」の新設なった、京博(京都国立博物館)の「京へのいざない」展。

時刻も午後3時を過ぎ、急がねばなりませんが、…さんざん、歩き回って、のども乾きました。

そこへ、折しも、すずしげな「氷」の文字。

れいの吊旗が、風に吹かれて、揺れています。

…明らかに、私を、誘っています!

しかし、店構えは、和食屋さんのようでもあり、かき氷なんて、ほんとうに出してくれるんだろうかと、寸時、逡巡しておりましたら、若い娘さんらが、「ココ、ココ!」という感じで、平気でスタスタ入っていくので、安心してついて、入りました。

ほんらい、西京漬けを扱っている老舗です。しかし、昼食や、カフェもやっているという、ちょっと私には、ふしぎなお店。

西京焼きはすきなので、あとで、銀だらとシャケを、注文して、送ってもらいましたが、美味でしたね。

⇒三味洪庵

白川・三味洪庵

私は、だいたいの場合において、要領悪く、また、他人に譲りがちなのですが、どういうわけだか、この日は、この店でいちばんの特等席とおもわれる、白川ぞいの、席にすわることができました。すずし~。(先に入った娘さんたちが、どうして、あの席を取らなかったのか、今もふしぎです)「いちご氷」を注文して、ほてった体を冷やします。

また、タクシーを拾って、七条の、京博へ。

やっと、戻ってまいりました。

ぐるぐる旅も、これにて、終了~。

京博3

京博1

左のモダンな建物が、れいの「平成知新館」です。しかし、右の建物の外観のなんと、すばらしいこと。れんがの朱が、なんとも、ドームの緑青と、マッチしています。

しかし、京博って、なんと、料金が低廉なんでしょう。520円。「? 何かのまちがいか?」と思ったほどです。また、いかにも公務員チックなふんいきの、案内係が、多数いても、あんまり、わずらわしい感じがなかったのが、ふしぎ。

そう、うるさくなかった。

東京だと、いかにも、うるさいんですよね。すぐに、がなりたてて。

…あくまで、私の主観的印象ですが。

館内は、ハイテク満載で、非常に快適なしつらえでございました。

京博2

みどころは、色々あると思うんです。

ですが、私のこころを本当に打った作品は、一点だけでした。(その日は、とりあえず)

牧谿(もっけい)の、遠浦帰帆図。

⇒遠浦帰帆図(京博こども向け解説)

⇒遠浦帰帆図(京博おとな向け解説)

足利義満にはじまる「東山御物」として、村田珠光、織田信長、荒木村重、徳川家康、田沼意次、松平不昧と、ビッグネームに伝わった「大名物」。

…だから、いい。

というわけではなくて、ひと言でいえば、要するに…。

わかりやすいですね。(笑)

はればれとした気分で、京博をあとにしました。

(しかし、どういうものか、この牧谿へのめざめが、10月4日、5日の東京美術館巡りにつながっていくのでありました。ふしぎ。何でも、時機と縁ですね)

京博4
銀閣寺の近くには、哲学の道に沿って、あの谷崎潤一郎のお墓もある、法然院が、あるのですが…。

山近く、空気が、ひんやりとして、とっても、落着ける所です。

なので、暑い時分は、「ここで、ワシ、よう休むねん」ゆうてた、タクシーの運転手さんも、おりました。

住職は、裏千家の坐忘斎家元と、同級生で、大阪外大独文出身のインテリ。なかなか、ええことも、ゆうたはります。

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しかし、時間がないので、法然院の再訪は、ざんねんながら、断念。

3年前の秋、すき焼きの三嶋亭で、お昼をとったあと、甥と息子とで、遊びに行きました。あのころ、息子は、木々の落葉をひろっては、水流にながす遊びに、キャッキャ、キャッキャと興じて、大はしゃぎでした…。

三嶋亭

たかゆきとよしみつ

2011法然院1

2011法然院2

2011法然院3

2011法然院4

2011法然院5


さて、タクシーをひろって、慈照寺をあとにし、むかう先が、前回、訪問をはたせずにしまった、並河靖之七宝記念館。

お庭めぐりがすきな私は、お庭拝見が、メインの目的です。

岡崎で降りて、白川ぞいに、歩きます。

白川の水が澄んで、なんとも、きれいなこと。びわこ疎水を、引いているんですね。だから、よく見ると、淡水魚のむれも、みえます。なんと、すずやかなきぶん!

岡崎

白川

ゆるゆる右手に、カーヴを描いて、ながれる白川に沿い、あるいて行くと、ちいさな橋があり、右、左、キョロキョロしたら…、左手奥に、見えました! 

なんか、チョットだけ、ボロっちい感じの塀ですが、それがまた、趣あって、「並河七宝記念館」の看板が出ています。

ひっそりと隠れるようにして、存在しているので、それがいいですね。タクシーの運ちゃんも、「聞いたこと、おへんなあ」と言っておりました。

並河靖之記念館

並河のキンモクセイ

ここでも、キンモクセイの、いい香が。

ほんとうに、この日は、すでに出しましたけれども、日野草城の俳句、「木犀の 匂いかくれぬ 日和かな」が、ぴったりの一日でした。

日野草城は、戦前、京大出のエリート俳人として、東大の、水原秋櫻子や、山口誓子などと並び、虚子門下の逸材として、有名だった人です。

わかりやすく、抒情豊かな俳句を詠んでいて、私は、その弟子の、桂信子とともに、好きですね。

俳句が、老人趣味に堕してしまって、そこから今も、恢復できないのは、一に、中村草田男や、久保田万太郎のような、ひねくれぶおとこが、男前の草城に、嫉妬したからやと思います。

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少し、俳句の話に、脱線してしまいましたが、お庭です。

ここにも、勢い良く、疎水の清流が、流れ込んできています。

こうやって、池の広い、お家に住めたら、どんなにいいことだろう…、と思うのは、私の勝手で、実際の日々は、蚊との戦いのようです。

おととい(10月4日)に訪れた、東京・谷中にある、朝倉彫塑館も、ふぜいある庭池があって、瀟洒なお家なのですが、むやみに蚊取線香が、焚かれていました。デング熱騒ぎの影響もあるかも知れません。

むかし、「風流とは、寒きものなり」と、毒舌家の、斎藤緑雨は、名言?を残しましたが、それをもじっていえば、「風流とは、かゆきものなり」、なのかも知れません。(笑)

並河のびわこ疎水

並河のお庭1

並河のお庭2

並河の蚊取線香

大文字山

できることなら、このまま、ずっと、大文字山を眺めながら、キンモクセイの香を、どこからともなく、運んできてくれる、すずしい秋風に、いつ、いつまでも、吹かれていたかったのですが、まだまだ「訪問先」が控えています。

悠長には、しておれません。(笑)

風流を気取りつつ、せからしい、タイム・スケジュールを、みづから組んでいるところで、すでに、馬脚をあらわしており、風流人失格ですが、人生の時間は有限なので、かまわず、銀閣寺に、足をぶらぶら進めます。

銀閣寺1

修学旅行の中学生や、黄帽をかぶった遠足の地元小学生たち、レンタル着物で、和気分を満喫しているわかものたちや、ほかに、韓国・中国・フランスからの観光客で、いっぱいですが、先月たづねた金閣寺ほどでは、ありません。騒々しくはなく、どこか、ノンビリしています。

銀閣寺2

金閣寺も、周囲のみどりに包まれているところが、最大の魅力でしたが、銀閣寺の、包まれようは、別格です。山のみどりにいだかれている、「落着き具合」に、格段の差が、あるように思いました。東山の「深い」こと、深いこと。

銀閣寺3

「東山のチカラ」、でしょうか?

私は、銀閣寺に、軍配をあげたいと、思いました。

いただいたパンフレットをみると、「天下第一の名園というを憚らない」とありますが、これは自画自賛をこえて、本当だと思います。

雄松と雌松のすばらしさ。

向月台の絵になること。小学生たちがいると、これもまた、可愛い。

銀沙灘も、きものの人があると、見栄えが、さらに良い。これはお世辞でなく、そう思うのです。たとえレンタルでも、着物をきてみようとするわかものがいるだけで、すばらしい、と思います。今日(10月5日)、東京から帰ってきて、東京は、着物をきるに、ふさわしい土地ではないな、と思ったからです。余りにも、「現代」であろうと、みな精一杯なふんいきだらけで、きものを着るとか、そういう、和の風情が、窒息しています。

山をすこし登って、「展望所」からの眺めもよく。

銀閣寺4

銀閣寺5

銀閣寺6

銀閣寺7

銀閣寺8

銀閣寺9

銀閣寺10

銀閣寺13

銀閣寺11

銀閣寺12

帰る前に、お茶をいただきました。

(もちろん、ふたばの豆餅を食べるためです!)

ここで、初めて、知ったのですが、銀閣寺の住職は、かの、有馬頼底和尚だったのですね。和尚ごのみのお茶が、販売されていたので、初めてそうと知り、おおっ!と思いました。

例の、淡交社から出ている『茶席の禅語』を、監修している方です。

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(註:和尚は、相国寺管長として、金閣寺住職も兼任しておられるようです…。しかし、なぜか、金閣寺では、和尚ごのみのお茶は、置いてあったかも知れませんが、気づきませんでした)

老舗おそば屋さんの季刊誌、『新そば』でも、比較的最近の号で(No.145)、これまでの人生を語っておられて、読んで、しみじみと感じたことがありました。

そのいっぽう、ご婦人むけのハイソ雑誌では、へいきで、コレ、なんぼするねん!みたいな、目の玉がとび出るような、お道具で、茶事をするのが、アタリマエみたいな感じで、いらしたので、私みたいな、わび茶人には、どうも「食えない」ところのある人ですが、それでも、銀閣寺のご住職と、知ると、ふしぎにナットクが、いくので、ありました。「別格」の人、なんですね。なにせ、「猊下」で、あらせられますから。

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帰り際に、どこからともなく、白檀のあまい香が。

どうも、私は、白檀の香に、弱いのでございます。ついつい、松栄堂の「銀閣寺」お線香を買ってしまいました。700円なり。

安い割には、なかなか、よいです。



白沙村荘。

「はくさ、そんそう」とよむ。

戦前に、神戸に生れて、京都に住んだ、橋本関雪という、世俗的にも、成功をおさめた、画伯があって、その人には、庭づくりの趣味が、あったようだ。

「私にとっては、庭を造ることも、画を描くことも、一如不二のものであった」と仰っている。

羽織袴すがたが、実に、キマッてますね。

橋本関雪

⇒白沙村荘・橋本関雪記念館


銀閣寺に、ほど近い東山。そこの土地を少しづつ、買い増しし、苦労して、手を入れて、じぶんだけの「美の世界(白沙村荘)」をつくりあげた。

作庭の趣味は、むかし、みづから、文人(芸術家)、と思うほどのひとなら、みな、もっていた。

明治の元勲、山縣有朋公は、武人とはいえ、終生、和歌を、たしなんでいる。「文人」といって、いいだろう。現代の政治家で、これほどの人が、いくらある?

戦後、山縣の悪口をいう、文系の大学教授は、掃いて捨てるほどあったが、ここで訊きたい。だれか、一人でも、瓢亭のすぐ近くにある、公の「無鄰菴」くらいのものを、作庭しえた人が、あったか? と。

昨年の秋、兵庫県立美術館で、橋本関雪展をみて以来、少し「なじみ」が出来たので、寄ってみたのですが、すばらしい! のひとことでした。

⇒兵庫県立美術館・橋本関雪展(2013)

東山にきて、ここに立ち寄らないというのは、ウソですよ。

…という位、よかったですね。

お庭拝見の、いちばん最初にみえるのが、例の「葷酒山門に入るを許さず」という石塔です。

これは、南禅寺にある、旧細川家邸にも、あるもので(下記のDVD参照)、一般的なもののようですが、おもしろいですね。

くんしゅ山門を入るをゆるさず

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「葷酒、山門に入るを、許さず」の「葷」は、ニラとか、ニンニクとか、そういうものを指すのだそうです。

日本人は、古来、においや刺戟の強いものを嫌った、とか、まことしやかに言う、「日本人論」者も、昔から、あとを絶ちませんが、それはウソだと、この石塔が、雄弁に、証言しています。

(そうでなければ、なぜ、平成のニッポン人が、ニンニク臭い焼肉を、平気で、美味しい、おいしいと、喰うようになったのか、説明がつきません)

そうゆうのが好きだった連中が、昔も、たくさんいたからこそ、その石塔があるのでしょうから。

白沙村荘

橋本関雪画伯の絵は、深い漢籍の素養から、中国出典のものが多いのですが、私には、よくわかりません。いいような感じもしますが、ピンと来ません。大正4年の「猟」という作品は、それでも、いいのではないかと、思います。

猟1915

新設なった「橋本関雪記念館」は、二階からの眺望が、最高です。大文字山をながめ、吹き寄せる秋風すずしく、一旦、椅子にすわると、もう「根が生えて」、動けません。

現に、他の訪問客たちが、異口同音に、関西弁で、さけんでおりました。「もう、アカン。ウチ、動かれへ~ん!!」(笑)

東山大文字

紅葉のころは、もっと、すばらしいことでしょうね。

みなさんも、ぜひ、白沙村荘を、訪ねてみてください。

けっして、損はないと思います。

…しかし、次の訪問地、銀閣寺が、また、すばらしいんだな。これが。

(つづく)

明日から、kimonoは、上京しますゆえ、更新は、しばらく、お休みデス。
廬山寺を後にして、次に向ったのが、北村美術館。

ずいぶん、こぢんまりとして、ひっそり、隠れているような、美術館です。

⇒北村美術館

茶人にゆかりの、美術館といえば、高麗橋吉兆・湯木貞一の湯木美術館(大阪船場)、野村証券・野村得七の野村美術館(京都南禅寺)、鉄道王・根津嘉一郎の根津美術館(東京青山)、明治の大実業家・藤田伝三郎の藤田美術館(大阪都島)などがありますが、いづれも、すきですね。

⇒湯木美術館

⇒野村美術館

⇒根津美術館

⇒藤田美術館

湯木美術館は、いわゆる船場の地にあって、こぢんまりした美術館ですが、周辺には、適塾や、安宅コレクションで有名な東洋陶磁美術館(中之島)もあり、和の美術散歩には、最適です。友の会に入会すると、吉兆主催の懐石茶会の催しにも参加できるようですが、入会するにも、それなりに、お高いので、…目下、考え中。

野村美術館は、南禅寺散歩のときには、ぶらり、立ち寄りたい美術館。ここも、こぢんまりした美術館ですが、お茶席が楽しめます。

根津美術館…。ここは、ほんとうに、最高ですね。エントランスにある、水をたたえた、長い長い石のつくばいが、何ともいえないし(「月の石舟」)、何より、お庭が、広くて、散策していて、興趣が尽きません。

藤田美術館も、たいへん、良いです。周囲が、ぜんぶ木々の多い、広い公園なので(元々は、藤田邸のお庭)、春などは、さわやかな風に吹かれて、時をわすれます。ここでも、お茶がいただけます。

北村美術館と四君子苑

この日、北村美術館では、「秋更の茶」と題する、茶道具とりあわせ展で、「高砂」という銘をもつ、古染付の花入が、メインの出し物だったようですが、私の目を引いたのは、横にあった、三十六歌仙・藤原仲文像の掛物、朝鮮唐津の水指、それと、魯山人の食器ですね。

紅葉霞文中皿、織部俎皿、一閑ばりの木ノ葉皿。どれも、写真で見たことがあると思いますが、実物がドン!と出ていると、おおっ!と感嘆するしか、ありませんでした。

美術館の隣には、四君子苑という、りっぱな北村邸があるのですが、ここには、そう、おいそれとは入れず、お腹も空いてきたので、出町柳の「ふたば」に向いました。

ふたば、といえば、豆餅、豆餅といえば、ふたば、という位に、有名なお店で、その日も、ようさん、人が並んでましたわ。

…しかし、ねえ。

あとで、銀閣寺に寄った時に、うふふ、と思って、たのしみに、食べたのですが、なんか、イマイチ…。

むかしと比べて、「おいしい!」という感動が、…なくなっていました。

(地元筋情報でも、じつは、そうらしい)

ますがた屋

お昼は、『和楽』情報にしたがって、出町桝形商店街の「満寿形屋」へ。

あったかい、おうどんと、さば鮨のセット(1000円)を注文。

若い人は少ない、お年寄りがメインのお店。常連さんばかりで、せからしい平成の世を忘れ、ほっこりできます。

「うどん、2割くらい、すくなめに」「ネギ、多めに」と、細かい注文をつけているのが、面白い。

あったかいお茶が、美味しくて、おかわりしてしまった。

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さて、と、本日は時間がないので、歩きは、あきらめ、次は、タクシーを拾って、今出川通を、大文字山方面へ、一路東進、白沙村荘に向います!
私のお宿は、それでも、4階にある、シャワーつきの「ペントハウス」。(笑)

寝て泊るだけなら、今まで体験してきた、京都の安宿のなかでは、布団も、ゆかたも、まちの静けさも、いちばんの快適さでした(もちろん、蚊にも、喰われることなく!)。しかも、最安値。

わかもの気分に、帰れるのも、安宿に泊まる、醍醐味でしょうか。

ひとり旅の身のうえの「情けなさ」「みじめさ」を、味わうのも、また、よいものです。

屋上からは、若き日の岩下志麻が出た『古都』の冒頭シーンで見られたような、瓦屋根の古い建物が、今も、ちらほら。

こんな「京都情緒」が、楽しめるのも、安宿ならでは。

瓦屋根

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きょう一日の、私の、旅の計画は…

京都府立医大近くにある廬山寺→北村美術館→出町柳で昼食→東山にある白沙村荘(橋本関雪記念館)→銀閣寺→岡崎、白川ぞいの並河靖之七宝記念館→京都国立博物館「京へのいざない」展と、洛陽をぐるり、時計回りに、一周するというもの。

さあ、でかけましょう。

京阪七条駅から、電車に乗って、神宮丸太町駅に下車。ここに、以前紹介した、かしわ料理の、八起庵があります。

八起庵

橋をわたりながら、下をみますると、鴨川の水が、透き通って、じつに、きれいです。

名前のとおり、鴨がのんびり、水面を、すべっております。

鴨川

この日、9月26日の京都は、快晴でした。

暑さはそうでもないのですが、てりつけてくる、日差の、きっついこと、きついこと。日傘をささないと、色白で、皮膚のよわい私は、たちまち、日焼けしてしまいます。

上の写真の上部を、よく見ますと、例の、和傘が、一部みえております。(笑)

廬山寺は、紫式部の邸宅跡地に、16世紀、たてられたお寺だそうですが、桔梗の庭で、有名です。

私は、桔梗の花が、だいすきで、いちど、訪れたいものだと、念願しておりました。庭に面する黒廊下は、清潔感あり、本堂のお香もゆかしく、じつに、のんびりできるところです。

廬山寺

日差は、きついが、そうはいっても、時は、すでに秋。

この日は、いづこに行っても、どこからともなく、すずしい風と共に、キンモクセイのあまい香が、ただよって来て、絶好の行楽日和でありました。

木犀の 匂かくれぬ 日和かな 草城
今回の京都旅では、七条に、宿をとってみました。

七条通へ出て、右に折れると、すぐに、三十三間堂。

向いに、「うぞふすい」で有名な、うなぎ料理の老舗「わらじや」、そして、京博(京都国立博物館)があります。

よるの七条通は、人もすくなく、三十三間堂と、赤十字病院の間などは、真っ暗闇で、奥に、あの血天井の養源院がひかえていることを思えば、いつ、「あやかしの者ども」が、ふいと、現れてきても、全然おかしくない、そんな雰囲気です。

しかし、そこを過ぎると、わざとらしい竹やぶで「和モダン」を演出する、ハイアット・リージェンシー・ホテルが。

おお、近代文明の光!

…ガイジンさんが、いっぱいデス。

私は、羽織に着流しで、ホテル地下にあるバーへ行き、ワインを頂きましたが、これが美味。

⇒Touzan Bar

Eye Spyという、オーストラリアのワイン。

ふだん、赤ワインは、飲まないのですが、この日は、なぜか、赤が飲みたくなり、カベルネ・メルローと、シラー、最後はやはり、キリリとよく冷えた、白のシャルドネにしてみました。

メルローは甘く、シラーはやや薄いがスパイシー。シャルドネも甘いが、後味すっきり。

店内は薄ぐらく、お仕着せのダーク・スーツをきた、男のバーテンダーが三人。客はほとんど、ガイジンで、シガーをくゆらせ、結構、おおきな声で、さわいでおりました。

カウンターの椅子のすわり心地は、いまいちか…。

おつまみは、材質はなんでしょう、よくわかりませんが、金属を細かく叩いた、足つきの小さな器に入った、京あられ。

でも、さすがは、京都。

一流ホテル。

田舎や場末のスナックにでてくるような、あられじゃ、ござんせん。

サクサクしてて、とっても、美味。

ふしぎな、あられでしたなあ…。こんぶと塩味がよく効いて。

ワインも、けち臭くなく、なみなみと、グラスにいっぱい、注いでくれました。3杯も飲んで、それで、3500円って、安いです。

だって、あとで、もらったレシートを見たら、チャージ料が290円と、殆どタダみたいな値段ですからね。

サテ、こうやって、書くと、いかにも、私は、ハイアット・リージェンシーに泊ったかのようですが、じつはちがうのです。(笑)

ハイアット・リージェンシーに来たのは、純粋に飲むためで、飲んだら、あとは、1泊5000円の安宿へ。ぜいたくと貧乏を、適当に織り交ぜながら、旅するのが、いいのです。

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翌朝から、京都ぐるぐる旅のスタートです!


きょうで、干支を、とうとう、四まわり。

明日から始まる、新たな一まわりで、還暦に。

…苦笑するのみです。

48才

昔、山本夏彦翁は、ひとは固めて年をとると、言いました。

げに、そのようで、写真では判り難いかも知れませんが、右手親指のつけねに、みにくい皺を、最近ぐうぜんに、発見してしまいました。

思わぬところに、加齢の証拠が、あるものですね。

皺が、これ以上、いたづらに、深くならぬよう、指の動きにも、気をつけて、わが身をいたわろう思う、きょうこの頃です。

これまでの人生を、この際、振り返ってみたいとも、思いますが、まとめては、言わぬが花か。

なんでも、小出しがよいでしょう。

そのうち、また、おいおい。

ただ、この四まわり目の12年間は、医学徒としてのあゆみ、生活人としてのあゆみ、と、きっちり重なっていて、私の人生としては、まさに、激動の時代でした。

明日から始まる、新たな12年は、いったい、いかなるものになるのやら…。

楽しみです。



医者の「しごと」って、なんだろう?

こんな質問を、してみましょうか…。

「ええと、それは、やっぱ、もう、アレでしょ? ああして、こうやって、だーっと急いだり、ばーっとやって、クールなんだけど、ホントは優しくて、ふう~、みたいな…。これで、答になってます?」

(笑)

こそあど言葉と、擬音語・擬態語が、満載ですが、たぶん、テレビドラマのイメージ、なんでしょうね。

看護学校で、高校生の延長のような、うら若き女子にも、精神医学を教えているので、わかるのですが、上記のような答が、じつは、多いのではないでしょうか?

…ようは、よくわからないんでしょうね。

きょうは、少し、まじめに、ゼロから、考えてみましょう。

医者のしごとって、そういえば、何も生産しないんですよね。物品を消費することはあっても、なにか、新しく生み出す、というようなことはない。

人とふれあう仕事だから、ぬくぬくしたものがありそうですが、人は、さいごは、所詮、死にゆく存在ですからね、むなしさも、強いしごとです。

要は、死にいたるまで、現世にとどまっている、人というものの、健康、ないし病気、という状態について、「評価」するというしごとを、している。

そのために「情報」を集めている。訊いたり(問診)、見たり(視診)、感じたり(触診)。分析して、総合的に、判断する。

「情報」を集める際は、時に、おおがかりな、最新鋭の「検査」があったりして、せけんの人は、たいてい、こういうところで「おお~」と、びっくりしていたりする。

だけど、そういうのは、いわば「めくらまし」でねえ…。

医者のしごとの、本質は、そうやって、集めた色々な「情報」を整理して書く、「カルテ書き」にあるのです。

だからこそ、インテリのしごと、といえる。

なんといっても、「物書き」なんですからね。(笑)

外科医のばあいは、絵も描くからねえ、芸術家のしごとでもある。手先が器用で、縫うのがうまいから、仕立ての職人でもある。えらい。

内科医のしごとは、この300年あたりは、からだの、全体ではなく、ここなら、ここと、具体的な場所をさして、いったい、どこに、病気の「主座」があるか、それを突き詰めることにあった。

局在論といいます。

患者から、ふんふんと、話をきいて、症状をみたら、肝臓に何かあるんだろう、イヤ、これは、肺だよ、なんてやる。

で、その人が死んだら、解剖をして、病巣をさがし、予想が当ったか、それとも、外れたか、検討する。

いまは、患者が生きている内に、レントゲンや内視鏡、病理検査などで、それができるのだから、すごいものだ。

イタリアのモルガーニという偉い人あたりから、始まった伝統だそうです。これは今も変らない。世界一の医学雑誌、The New England Journal of Medicineは、百年以上つづく、臨床病理カンファレンスを、定期的に連載しています。

⇒The New England Journal of Medicine

こうやって、医者の目は、ヨリ、人体の臓器、組織へと向けられるようになった。臓器別に、専門の医者がわかれ、「全体性」「人間性」への考察は、いわば、どうでもよいものになった。

医者の症例報告には、作法があって、

①年齢、性別 
②身長、体重 
③今回の発症の流れ(現病歴という) 
④既往歴 
⑤家族歴、職歴、生活歴
⑦意識状態、血圧、脈拍、呼吸状態、体温(バイタルという) 
⑧採血や心電図、レントゲンなどの各種検査結果 
⑨診断 
⑩治療方針と、この順番を、かならず守る。

これは、医者と患者が、診察室で、向き合って、おこなった診察を、紙の上に「再現」したものといえます。だから、順番が守られないといけない。

サテ、ここで、気づくことが、ある。

それが何か、といいますと、患者の「顔」が、のっぺらぼう、だということです。

臓器別に専門分化された内科医のしごとを、突き詰めると、患者の「顔」なんか、どうでもいいのです。美人やイケメンの患者なら、なるほど、うれしいかも知れませんが、しごととは、直接関係がありません。

「患者は、うら若き、目のさめるような美人!」とか、もしカルテに書き込めば、「先生、マジメに仕事してください」と、看護婦さんから怒られてしまいます。

しかし、そういうことを、カルテに堂々と記しても、叱られない医者が、ただ一種類、この世にありまして、それが、精神科医です。

精神科カルテでは、内科や外科のカルテでは、あるかないか、あっても、ごく薄い、上記②⑤の記述が、極端に肥大化しています。

髪型、器量のよしあし、化粧、服装、もちもの、歩き方、人に接する態度、話し方、声の大小や特徴、顔付、見た目から推測できる性格、趣味、品のあるなし、話し方から推測できる知能の程度、学歴・職歴から推測できる「人間力」の程度、家族歴から推測できる遺伝負因のあるなし…

…と、ここまで、ズケズケ訊いていいのか、容赦なく記載していいのか、バッサリ決めつけていいのか、と、ふつうの人なら、一瞬、ひるんでしまうようなことを、精神科医は、ぬけぬけと、カルテに書いていきます。

だから、一種の「精神的態度」というものが、精神科医には、要請されます。

といっても、ふつうの医者の態度と、大きく変るわけではありません。

それは、ものごとを「ありのままに見る」ということです。

臓器のかわりに、患者の「人間性」ないし「人生」をありのままに見ます。上げもしないし、下げもしない。

リアリズムといえましょう。「現実」の正確な再現。思弁の排除。これが近代医学の精神です。最近亡くなった、作家の渡辺淳一が、深刻ぶった文学や哲学の、ぎろんなんかに、ビクともしなくなったのは、医者になったおかげであると、時どき語っていますが、私には、それが、とてもよくわかります。

情で「レンズ」をくもらせることは、禁物です。

にんげんには、ついつい、道徳的感情にながされて、見えているのに、見ないようにしてしまう、自己欺瞞の悪癖があります。

「道徳」の視野から、自由になれる、精神的態度を養ううえで、フランスのモラリストの智慧は、有益ですね。

或は、辛辣なユーモアのセンス。

もちろん、にんげんが、にんげんを評価することには、「主観的かたより」が、避けられないかも知れません。「上から目線」であり、尊大であり、倨傲であり、或は、人間失格? かも知れません。理窟としては、たしかに、そうです。

しかし、人物評価が、比較的公正で、バランスがとれている、きけばなるほど、うまく言う。そういう人って、おりますでしょう? 名高い文筆家にかぎらず、世間にも。ふつうに、あなたのまわりにも。

そういう人が、精神科医には、向いてますね。

…といえば、ご納得して、いただけますでしょうか?

手きびしいことや、ドキリとするようなことも、ずばり書いてあるが、読むと、その人の姿が、目にうかぶように、よく想像できて、実際に会ってみれば、なるほどな、とうならせるような筆で、患者の人物を、書いてあるのが、「よいカルテ」です。

精神科医のカルテは、いわば、絵具やクレヨンの代りに、言葉をつかった、人物デッサンで満たされたクロッキー帳、といえましょう。

私が尊敬する、笠原嘉先生は、カルテをきちんと書けば、書くほど、精神科医の腕はあがると、述べていて、それは経験上、真実だと思います。

そういう意味で、前回に申しましたように、「文才」は、精神科医に欠かせない資質なのだと、思うのです。

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医者は、いっぱんに「先生」と呼ばれることがおおいのですが、学識があって、生徒の一人ひとりのことををよく知っていて、なんらかのアドバイスを与えるという点で、「学校の先生」に、医者は、職分が、最もよく似て、重なっています。

じっさい、ドクターとは、「おしえる人(教師)」という意味です。

…ご存知でしたか?

観察は、辛辣でも、治療は、その人その人に合せて、保護的に(道徳的に)しないといけない。はげまし。ほほえみ。勇気づけ。

和顔愛語。

こういう点でも、精神科医のしごとは、学校の先生のしごとに似ています。

ことばは、人を傷つけることが多いので、私は、代りに、よく笑うことにしています。笑ってふゆかいになることは少ないですからね。

しかし、この世には、ほんとうに、いろんな人がいます。みんな、似たようなものだなんて、とんでもない。最近、そのむつかしさを、噛みしめています。

きょうは、精神科医のしごと、その本質、ということについて、お話しました。