なぜ勉強しなければいけないのか。
多くの人が一度は考えたことがある哲学思考だと思います。
もちろん、正解があるわけではありません。
私ならもし、そのようなことを聞かれたらどう答えるだろうかと考えてみたので、
今の考え方を残しておこうと思って、記事を書いています。将来の自分が読んだら、何を書いてたんだ?このころは。と思う可能性もあるかもしれません。
私がなぜ勉強しなければならないのか?と聞かれたら、まずは、
なぜ勉強をしなければならないものだと思ったのか?
と聞き返すと思います。
しなければならないとは、つまり、本当はやりたくないけど、やらなければならないこと。
という意味です。
なぜ、勉強が本当はやりたくないけど、やらないといけないことだと感じてしまっているのか。
そこにまず、疑問を抱きます。
おそらく、勉強しないと将来よくないことが起こる。というようなどちらかといえば、脅迫に基づいている動機づけがあるのではないかと思われます。
親や、学校、塾の先生などは、このようなタイプの人がおそらく多いと思います。
とにかく、嫌だろうがなんだろうが、将来のために勉強しなさい。勉強しておかないと将来食っていけなくなる。というニュアンスを含んでいるだろうと思います。
確かに、間違ってはいないのかもしれません。勉強しないと将来の選択肢が狭まることは間違いないでしょう。
しかし、それを子供に、勉強はやらなければいけないこと。という刷り込みをするだけではたとえ、仮に子供
が一生懸命勉強するようになったとしても、どこかで限界が来てしまうだろうと思います。
動機づけには、2種類のパターンがあります。
一つは、大半の教育でやってしまう、外部からの動機づけです。このような動機づけは、~しなければ・・・
というような言い回しでよく使われます。練習しなければ試合で勝てない。勉強しなければ大学に合格できない。
などです。
もう一つは、内面からの動機づけです。これは、~したいからする。という建設的な動機づけです。
大学に行きたいから勉強する。試合で勝ちたいから練習する。といった感じです。
ちょっとしたことのように思えるかもしれませんが、大きな違いです。
親、先生などの指導者は、ついついやっていないことに目が行きがちで、やれ。早くやれとにかく、やれ。と
いったように脅迫的な動機づけをしてしまいがちです。繰り返しになりますが、このような教育では、短期的に成果が出たとしても、長期的に成果が出る可能性は低いです。
それは、当たり前で、人間は本来やりたくないことはやらないものだからです。
大学受験をやりたくないけど、怖い先生や両親にやれやれいわれて頑張って有名大学に合格したとしましょう。
確かに、その合格した瞬間は人生最大の幸福に包まれて、親や先生も、指導方法に間違いはなかったと
思うでしょうし、生徒も、厳しく指導してくれたおかげで合格できたと思うでしょう。
しかし、その生徒がいやいややらさせてたからやっていた勉強なら、大学に入ってから勉強をもっとしよう。
と思うことはないでしょう。燃え尽き症候群と呼ばれる現象は、このように脅迫的動機づけがあることが原因
の1つなのではないかと思います。
学歴は、確かに、重要なことなのかもしれません。しかし、所詮大人になるまでの短い期間の成果でしかありません。
そこをゴールとして燃え尽きてしまっては本末転倒です。人生はまだこれからがスタートです。
将来こうなりたい、こういうことがしたい。人の役に立つ人間になりたい。人から必要とされたい。
このように感じる日は必ずきます。人生で、~したいと感じるときです。
勉強はなぜするのかというと、人生で~したい。と感じたときに、いつでも自分から選択し、~をしたいからやる。
という状況を作るためにするのだと思います。
結局は、人生の選択肢を広げるためのツールでしかありません。別にしたくなければしなくてもいいです。
勉強してないから死ぬということはありません。そもそも、極論を言えば、やらなければならないことは、たった一つ。死ぬことだけです。
それ以外は自由に自分でやりたいことを決めればいいと思います。しかし、自由と責任はセットです。
責任のない自由などありえません。そのことは知っておく必要があると思います。
勉強においては、将来これがしたい。こうなりたい。だから勉強をして、もっとたくさんのことを知りたい。と思えるかどうかが重要なのではないかと思います。
