今からもう20年以上前…と言うより、およそ30年前と言うべきか。
沖縄で起きた、当時12歳の少女が複数人の米兵により集団暴行された事件。それ以上の内容は、わざわざ記するまでもないだろう。正直、気が引ける。
当時はニュース番組や土日のワイドショー番組でもって、連日に渡って取り上げられていたと記憶している。
以下の画像と類似する状況の画面を、私もテレビで見た。テレビ越しでも伝わる熱量の怒りであった。
後に大学で同じ学科になった沖縄出身の同級生に、あの決起集会には何万人くらい集まったのかと聞いたところ、「少なくとも3万人以上」だったそうだ。
報道があった翌日。学校ではそれこそ朝から「クラス中が」と言って差し支え無い程、この「沖縄の事件」の話題で持ち切りだった。
表現としては不適切であるが、その話題で「盛り上がっている」状況であった。
当時の私としては、ニュースと学校でのその「熱量」に、二度驚いた気分だった。
それから2、3ヶ月経った頃の事。
ある日学校から帰宅した私は、何気なしにテレビをつけた。時刻は6時か6時半くらいだったろうか。
そして「6時(または6時半)のニュース」にて、衝撃の報道を見る。
「『韓国籍の男』が、女性十数人に対しての暴行や金品強奪の容疑で逮捕された」という報道である。
被害者女性全てが訴え出たとは限らない。故に少なくとも十数人が暴行の被害にあったという事だ。
しかも犯人は「韓国籍の男」である。
私はそれを見て愕然となった。
そして「沖縄の事件」、数ヶ月前の「あのクラス中の熱量」を思い出した。
私が在日韓国人だということは、同じ小中学校に通っていた人なら全員が知っている。勿論、事件そのものは「私という個人」に関係のある事ではない。韓国籍だからといって私個人が責められる事でもない。
それが解っていても、怖いとまでは言わずともかなり不安な気分にはなる。
私個人に話が向けられなくとも、クラス中が「沖縄の事件」と同様に「韓国籍の暴行犯」の話題で持ち切りとなっているだろうと、想像せずにはいられない。次の日学校に行く事を考えると非常に億劫な気分だった。
そして翌日。私は周りの様子を伺いながら教室に入った。心は完全に構えている状態だ。
だが……
誰一人として話題に上げていなかった。
拍子抜けしたと言おうか、呆気に取られたと言おうか、逆に驚いたと言うべきか…私はもう、どう表現したらよいか解らない心持ちとなった。
妙な緊張感と不安、そして「何故誰も口にしないのか」という疑問で頭が一杯のまま、1日が過ぎた。
翌日も同様に、誰も「韓国籍男性による婦女暴行事件」について語るものはいなかった。
そう、誰もその事件を知らないのだ。
それこそ「6時のニュース」でチョロっと流れて終わったのだ。私はそれを偶然目撃したに過ぎなかったのだ。実際、そのニュースの続報を目にする事は無かった。
犯人も「韓国籍の男が逮捕」とだけであり、名前も出ていない。
「沖縄の事件」とのあまりの格差。これだけ報道と人々の反応に差があれば、どんな人間でもそれを疑問に思うだろう。
私は少なくとも高校生の頃までは、「日本の戦争=悪逆非道」と信じ込んでいた。
「日本は戦争で酷い事をした」と頭からそう思う人間だった。昭和天皇も伊藤博文も、漠然と「悪人」だと信じていた。自分は祖父母からそんな話を聞かされた訳でも無ければ、親から(韓国の様な)反日教育など受けてもいないのにである。私はその事に無自覚だった。
その「無自覚な反日」である10代の私に、その「報道の格差」は真に大きな衝撃であった。
私という在日韓国人が、「無自覚な反日」から脱却した要因。その最初の一つが、偶然目にした「報道の格差」だったと、振り返ってみてそう思う。