市会でも国会議員並みの、答弁をする河合悠佑。若い人にほとんど期待していなかったけど、この人の話を聞いて力が湧いてくる。
京都大学卒。同志社大大学院卒。この経歴には価値がある。危機に瀕している日本にもいよいよとなると偉い人が出て来るんだなと思った。
私たちの若い時代にはフォークソングなどという甘ったれた、お花畑な青年たちばかりで、田舎の、もっとド田舎から都会に出てきた、どちらかと言えば,硬派の私なのだが、そんな雰囲気に飲み込まれて行ってしまい、無為な日々を送っていた。
戦争が終わり,占領期間の空白時の日本人に、どのような精神的変化が起こったのか知らないが、占領統治を、初めて経験した日本は、もう日本ではなくなっていたのだろう。
東京裁判を無条件に受け入れてしまった日本は80年経って物言わない国になって行き、只反省しきりの日本が精神を病んでゆく過程の中で成長しててきたのが我々の世代なのだ。
たった7年間の占領統治期間で、このように変貌してゆく日本を昭和陛下は手放しで喜んでおられたとは思えないのだが、どのようにお考えだったのだろう。 三島事件の時の心境は語られてはいないが、あるいは2.26事件の時のことを思い出されたかもしれない。
或いは、本土決戦による戦争継続を切望する軍人たちの皇居前での無念の自決に対してどう感じておられたのだろう。
あの終戦を決断された天皇は明らかに国家主権者であった。
それならば、いかに戦後だとはいえ、今でも天皇に主権はあるべきなのだが、国民主権となり、天皇は人間宣言までされた。
三島はそれに対する不満を持っていたのだ。
三島の行動は天皇への無言の抗議であったのかとも思えるのだ。