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私が最も尊敬する将軍を紹介しますロンメル元帥です ドイツアフリカ軍団 時代の彼は砂漠の狐と仇名され、英軍に「我等が敵ロンメルは巧みな戦術家ではあるが、人間である。あたかも彼が超自然的能力を持っているかのように評価するのは危険であり、戒めねばならない」とまで言わしめた。
騎士道溢れる軍人でもあり、火力で敵を押し込むハード・キルより、相手を霍乱する事で降伏に追い込むソフト・キルを好んだ。捕虜には国際法を遵守して非常に丁重に扱った。1941年にロンメル暗殺を企図してドイツ軍施設を奇襲攻撃した英国コマンド部隊 の死者を丁重に扱っている。以後も英コマンド部隊員を捕虜にせず殺害せよと命じたアドルフ・ヒトラー の命令を無視していた。ある戦いでユダヤ人部隊を捕虜にした際、ベルリンの司令部から全員を虐殺せよとの命令が下ったが、ロンメルはその命令書を焼き捨てた。彼は最後までナチス党に入信する事はなく、あくまで1人の軍人として戦い続けた[1] 。
こういったエピソードに加え、あまりの連勝ぶりに敵軍の中にまでロンメル将軍を崇拝するものまで現れた程である。ロンメルは神に守られていると信じ込む者もおり、英国司令部が『ロンメルは人間である』と異例の布告を出した。ドイツ国内では英雄視され、その存在は士気を高めるための宣伝に大いに利用された。ある日妻にせがまれて渋々ナチスの舞踏会に参加した時は、着飾った女性たちに囲まれて身動きができなくなったという[1] 。
また、大隊長である第一次世界大戦 の頃から前線に出て兵士に語りかけ、兵士の心情を理解する事に勤めた。前線に出る事は非常に危険を伴うため、一般的な高級将校は前線には出ない。ロンメル自身幾度となく危険に晒された。これは昇進後もあまり変わらなかった。北アフリカ戦線においてイタリア軍は度々ドイツ軍の足を引っ張ったが、ロンメルは苦情を言いながらもイタリアの兵士を労わった。しばしば軍団をやかましく叱責したが、兵士からは「我等が親父」と慕われていた[1] 。
幼年時代に航空機技術者になる夢を持っていたせいか、機械に対する興味が旺盛で、気軽に軽飛行機に搭乗して偵察を行ったり、宣伝大臣ゲッベルス からプレゼントされたカメラを愛用して欧州やアフリカで数千枚の戦場写真を残したりした。子息のマンフレート によると元々写真撮影が好きだったという。同僚からは写真家将軍と揶揄されていた。ロンメル自身が指揮装甲車の屋根からカメラを構えている姿を撮った写真も残っている。アフリカ軍団が危機的状況に陥った1943年2月にはエルンスト・ライツ社からライカ III c型を送られている。このカメラは現存し、ロンメルからの感謝状も同社に残っている。
戦時中においても妻と手紙による交流を欠かさず、週に毎日手紙を交わす時もあった。内容は日常的なものから戦況や同盟軍に対する不満まで書き綴っていた。その手紙は現在でも保管されている。
戦中の行為からナチス指導者やほかの多くのドイツ軍人が非難されるなか、ロンメルだけはドイツのみならず、敵国だったイギリスやフランスでも肯定的に評価される事が多い。要約するとロンメル元帥は騎士道を持ち人格もすばらしい人でした。私の写真もロンメル元帥です
