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映画メモ

コリンフォースの英国王のスピーチ。公開中






アンソニー・ホプキンスが神父の映画。ザ・ライト3月19日公開







前も記事にのせたけど






秒速5センチメートルの監督最新作 







秒速5センチメートル、今日初めてしってみてみましたが、久しぶりにせつない作品に出会ったなあと思った。皮肉にせつない作品と純粋にせつない作品があるとしたらまさしく後者。





ラウドネス戦争




ダイナミックレンジを狭くしてでも、音量を大きくしていく



そうしてできたテレビ映像の音の処理、CD、ポータブル機器達が今の音楽達を単調にしたならば



統一化はしたほうがいいかもしれませんね



そんな私も3か月前はいかに音圧を稼ぐかに気をとられ盛り上がりの欠けたものをつくることというか本来自分がつくりたいものから遠ざかっていたようにも思います


ちなみに比較↓これが初期段階。つくってても楽しかったころ




そして↓これが音圧あげるためにエフェクト祭りのやけくそ後。とても参考にならない。全体の音量稼ぎと引き換えに7秒目のクレッシェンドがコンプ後はなくなってしまいました↓そして素晴らしくウエットにくすむ音像 笑

でも1分50秒からは当時の限界を感じながらつくったのでなかなか良くやったと思ってます。





人物 ベアトリーチェ・チェンチ Beatrice Cenci

lenojesca



父親殺しの罪に着せられた少女の絵



犯罪者の精神に寄り添うのはいけないことだと思いますが、私は誰でもなりうる可能性を持っていると思うんです。





完全に否定的になれない。なれないからこそ正常といわれる判断を常にいれておかないといけないわけですが。




市橋容疑者の逮捕されるまでに


今は人に貸していて原文のままではありませんが



指名手配の自分のポスターがいたるところにはられてあるのをみて






「自分は誰にも好かれることはできなくても、誰からも嫌われることはできたんだと思いほっとして涙がでた」






という一節がありました



市橋被告は本を読む限り、コンプレックス、特に外見に対して強く抱いており、普段自分の感情や葛藤を我慢しているぶんかっとなった時に抑えられない衝動性をもつ、という印象でした



でも努力家の印象も受けました


しかし努力家の人は一杯います




ゲド戦記、評判は悪かったですが、私はあの映画で自分の中の善と悪についての考えが飽和状態をむかえたようで、「なぜあの人は死ななければいけなかったのだろう」と思いました。あの人とは悪者で敵の位置にいました


帰り道、自転車に乗りながら考え、一つの答えをだしました


きっと様々な要因が重なり、所謂”悪”と呼ばれる存在は最初から否定はしてはいけないが、その人達にも罪をする前に違う道にいくチャンスはあったわけで、そのチャンスに気付けなかったものがこの世界から迫害されてしまうのだと




でもこんな風に思うのは自分が守るものが対してないお気楽な根なし草だからだと思います。


大切な人や大切な自分の側面を強く感じて生きることは波風があるものですが、力があります


憧れます。でも根なし草も悪くはないとも思います


結局は考える必要のないことなのかもしれませんが


人間は考える葦らしいので


考えるのも悪くないと思います









人間には2種類いる



その言葉は時々明解に私の頭を揺らします





ちなみに貸した人は途中まで読んで「全然反省してない」と」いっていてそうゆう反応もあるんだなーと思い視野が広がりました




善と悪といえばこのインタビューも考えるにはいいですね。人は罪を犯してしまうから法があるわけでのコメントには目から鱗でした当時







現実のやることをこなす自分と


観念をまとめる自分


二人いればいいのになと最近よく思います











人生は何かするには短いのでしょうね


何かみつけるには長いのでしょう