昨日は高校のときの同級生と酒盛りをした。クラッカー


■夢に向かって、着実に一歩を踏み出した友人

■堅実に間違いのない道に進み続ける友人


どちらも尊敬する。


なんのお導きなのか

今読んでいる本は

夢をかなえる夢を見た(内館牧子)


夢を叶える夢を見た/内館 牧子
¥680
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冷静な目線で

「夢をかなえる」ってことをリポートしてる。


おもしろいし、示唆に富んでる・・・・

しかしこれを読み間違えて

「おしゃーー!ボクも夢をかなえるために飛ぶぞ!!!アップ

とかおもっちゃうほど単純でもないガーン


まず、

ここで夢をかなえにダイブしちゃってる人たちは

ある程度の年齢で、

社会の中でほどほど認められている人。合格


それをボクごときのスタートラインにも立っていない人間が真似したら・・・

たぶんとんでもねーー叫び!!


この本の中でひとしきり心に残った言葉は

「夢を本当にかなえられるのはある程度才能のある人間。

世の中には、才能もないのに、才能がある!と勘違いして

血のにじむような努力をしている人もいる。。。。無駄なのに汗

ってかんじのコトバ。


そう。

人間の社会の中で生きていこうとするには

他者とのかかわりというのが当たり前のように発生するわけで、

「客観的」に自分を理解できない人間は、

たぶん、

そうとう馬鹿を見るドクロ


そこで、ボクは考えた。

人生において、非常にシビアに他人から評価される場面の一つって、


たぶん、

就活


会社の事情とか、人事の事情とか、色々あると思うけど、

例えばボクが、

「ボク、雑誌の編集者になりたいんす!マジでマジで~~!」といくら騒いだところで、


ってか、あんたにはムリだよ、○○、××の才能、ぜんぜんなさそうじゃん


といって、不採用通知をもらうことになるだろう。

要は、そういうことなのだ。


これって、あきらめとか、挫折とか、

そいういうマイナスの要素で語られがちだ。

特に、人々は成功のストーリーが大好きだから、

「あのときあきらめず、血を吐きながら努力してよかったっす!!!!グードンッ

というコトバを称賛したがる。



「あきらめれば?」

なんてコトバは、他人がかける言葉じゃない。

自分で気づかなければ、一生勘違いor後悔する人生になってしまうのだろう。


(さすがに疲れがたまっているのだろうか・・・こんな「フケた」考え方するようになるなんて・・・爆弾ガーン