昨日は高校のときの同級生と酒盛りをした。
■夢に向かって、着実に一歩を踏み出した友人
■堅実に間違いのない道に進み続ける友人
どちらも尊敬する。
なんのお導きなのか
今読んでいる本は
夢をかなえる夢を見た(内館牧子)
- 夢を叶える夢を見た/内館 牧子
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冷静な目線で
「夢をかなえる」ってことをリポートしてる。
おもしろいし、示唆に富んでる・・・・
しかしこれを読み間違えて
「おしゃーー!ボクも夢をかなえるために飛ぶぞ!!!」
とかおもっちゃうほど単純でもない
まず、
ここで夢をかなえにダイブしちゃってる人たちは
ある程度の年齢で、
社会の中でほどほど認められている人。
それをボクごときのスタートラインにも立っていない人間が真似したら・・・
たぶんとんでもねーー
この本の中でひとしきり心に残った言葉は
「夢を本当にかなえられるのはある程度才能のある人間。
世の中には、才能もないのに、才能がある!と勘違いして
血のにじむような努力をしている人もいる。。。。無駄なのに」
ってかんじのコトバ。
そう。
人間の社会の中で生きていこうとするには
他者とのかかわりというのが当たり前のように発生するわけで、
「客観的」に自分を理解できない人間は、
たぶん、
そうとう馬鹿を見る
そこで、ボクは考えた。
人生において、非常にシビアに他人から評価される場面の一つって、
たぶん、
就活
会社の事情とか、人事の事情とか、色々あると思うけど、
例えばボクが、
「ボク、雑誌の編集者になりたいんす!マジでマジで~~!」といくら騒いだところで、
ってか、あんたにはムリだよ、○○、××の才能、ぜんぜんなさそうじゃん
といって、不採用通知をもらうことになるだろう。
要は、そういうことなのだ。
これって、あきらめとか、挫折とか、
そいういうマイナスの要素で語られがちだ。
特に、人々は成功のストーリーが大好きだから、
「あのときあきらめず、血を吐きながら努力してよかったっす!!!!」
というコトバを称賛したがる。
「あきらめれば?」
なんてコトバは、他人がかける言葉じゃない。
自分で気づかなければ、一生勘違いor後悔する人生になってしまうのだろう。
(さすがに疲れがたまっているのだろうか・・・こんな「フケた」考え方するようになるなんて・・・)