さて、左遷①のあと、
数年間、その先で働き、
その商社で勤続10年となったところで、
知人からお誘いを頂いて転職しました。



転職先の窓口となって下さったのは、
取締役営業部長の人。

建材メーカーの営業として心機一転。

勤務地は本社附属の営業所です。



ほどなく課長代理なる役職も頂き、
中堅営業マンとして、
私を見込んでくれた会社のためと、
一生懸命働きました。

この間、
この会社の社長が死去し、
役員の中の一人が
次期社長に就任という出来事がありました。

その後すぐ、私の転職先の窓口となって下さった、
取締役営業部長が、「新社長にはついて行けない」
と言って、あっさり会社を辞めてしまいました。

しかし、そのような事も、“雲の上の出来事”と、
自分は誰に恥じる事もなく、
一生懸命、会社のために働き続けました。

そんなある時、上司から、
隣県の営業所に行ってくれないかと言われました。
そうなると、それまで通勤時間はわずか15分だったのが、
その隣県の営業所まで通うと片道1時間40分かかることになります。

しかし、存分に働いている自信があり、また純粋な私は、
そっちの営業所が大変だから
助けに行って欲しいという意味と理解し、素直に了解しました。



これが「左遷」(②)だった事に気付いたのは、
更にその数年後「リストラ」(①)の憂き目に遭ってからでした。

当時、そんな事に気付く事もなく、
その隣県の営業所に通って、素直に一生懸命働きました。



続きは、次回、「リストラ①」へ。。。

 

 

 

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【このブログの最終回を少々】


当初の強烈なパワハラではめげそうになったものの、
その後、度重なる左遷やリストラなどにもめげず、
いつかは人並み以上の人生を勝ち取ってやると
強い意志だけは持ち続けたものの、
どこにその道があるのでしょうか?

自分の事を信じてくれている
妻や子に早く楽をさせてあげたい。。。

しかし、望まずして転職が度重なり、
会社の中での自己実現をしていくなどということは、
もう信じられなくなってしまいました。

いや、そもそも..........(続きはこちら)

                    

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