時々、十数年も音信不通でいる

かつての友人とかに無性に会いたくなる

でも、殆どの場合、なすすべもない

それは、無精をしてきた報いだと思い

ただ、思いを巡らすだけにとどまるのだけど

今回は、

点と点を繋いだだけの接点にすがってみた


会いたくなったのは、、高校の頃付き合っていた人


20歳の時にわかれてから、、、、十数年、、、


彼にはずっと会いたかった

一方的に逃げるように別れてきて

それきりだったからかな。


別れてからしばらくたって

私が少し大人になった時にわかった

彼の優しさとか、人間的なところを

あのとき、理解できなくてごめんね、って

あやまりたかったし、

私の未来でもあったはずの

大人になった彼に会いたかったんだよね




うーーん、


つつきはまた後日。

私はお酒を飲まない


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酔っ払いには酔っ払いの美学がある


心行くまで飲み、酔う


それかもしれない


けど


記憶をなくしてしまったり、


酔いつぶれてしまったりしては


いけないと思う


どれだけ美味しいお酒だろうが


それだけ楽しい席だろうが


だからこそ


自制心を持って


周りの人に恥じないように


飲むべきだと思うし


それがマナーだと思う




そんな飲み方してたら楽しくない


と、あなたは言うかも知れない


でも


同じ席にいる人が


あなたのお酒に飲まれる姿に


不快感を覚えるなら


それでもあなたはそれが


「楽しい仲間と心行くまで飲むいい酒だ」


と、言えますか


毎回、お酒に飲まれて


酔いつぶれて、


「楽しい酒を飲んでるんだ文句あるか」なんて


あなたの言い訳はみっともない






生きていると


ある日


突然に


「ここから先は、余生だな」


って思う瞬間があると思う



私の亡くなった父は


30才の頃、母にそう言ったらしい


その後亡くなるまで32年


長い余生だったのだけど


その時間的ものは


本人にとっては関係がなく


父が30才で「あとは余生だ」と思ったならば


それはそれで本当だったのだろう


そして私には


つい最近、その瞬間が訪れた


「私の人生は終わったのだな、あとは余生なんだ」


どういう生き方をしたから、とか


どんな濃度の人生だったから、とか


それは人それぞれ違うのだと思う


充実した毎日なほど


人は貪欲になり


決して満足はしないかも知れない


そんな人は生涯現役ってなスタンスで


黄泉の国までいくのだろう




私は37歳で底ついてしまった


もう生きたくはないと思った


これ以上の底を知りたくはなかった


それでも子があり、母がいる


私はそれらを捨てる事はできない


ただ、ここから先は私の為の人生はない


そう思った


「あ、そうか余生だ。後は余生を送るのだ」


余生は、授かりものである


何を望むでもなく、ただ天命を終えるまで


私はあたわった業とともに歩むのだ


そう思った時


心の重荷が消えて


気が楽になった




そういえば


父の転機であったろう30才


父は何を思い


「余生」を感じたのだろうか


いつか会えたら聞いてみようと思う


黄泉の国で・・・・・・・・・