旧宮家は伏見宮の子孫なのだが、江戸時代に後継ぎがいないまま亡くなるという大事がおきた。
一、貞致親王は伏見殿〇〇親王の御子、丹波国〇〇と云所へ養子と成給、十二三ノ時西陣理忠(理力)と申鍛冶の弟子に御成十八歳迄名長九朗と申、今度御跡目之故吟味有之、再度世に出給事也、鍛冶も事外きょうの由取沙汰有之、不思議之沙汰有之、委細重而可注事也、萬事久我右大将廣通卿指南後見有之、邦道親王の御舎兄之由也、
下戚之由也、(「忠利宿禰記」)
このとき、西陣の鍛冶屋の弟子をつれてきて、その長九郎を伏見宮家当主貞致親王として伏見宮を継がせたというのである。
京都所司代が落胤に違いないと認めた、それだけが根拠である。
もし本物の落胤で宮家を継ぐ可能性があったなら、だれが鍛冶屋に弟子入りさせるだろうか。あり得ないことである。
旧宮家にはこのように血の疑いが濃厚であり、男系を重視するなら、旧宮家の子孫の一般人はありえない。それこそ、前に書いたように熊沢天皇がベストとなる。しかし、代々公家と婚姻してきた血の集積と伝統にはぐくまれたものを考えるなら、残念ながら熊沢天皇はむずかしい。そうなれば、やはり御直系の敬宮愛子内親王しかいない。え?秋篠宮や悠仁がいる?まずY染色体調査が先、それに国民から総スカンくらってるんだからダメですよ。