国内外問わず一人で旅に出るのが大好き。
なぜ一人旅なのか、そう聞かれると必ず“人が大好きだから”と答えています。
10歳の時NY同時多発テロが起き、数か月前まで住んでいた国の衝撃的な事件に言葉を失いました。思えばその時から世界を変えたいという漠然とした想いを抱くようになり、同時期にテレビでドイツ国際平和村の特集を観たのを鮮明に覚えてます。戦争で傷ついた子供たちがドイツで医療を提供する間住む施設であり、治療後に親元に帰す活動をしているドイツ国際平和村。1人で世界を変えられるなんて思ってないけど 世界のどこかには同じ想いや理念を抱きながら夢中になって目標に向かっている人がいる。そう信じて、いつかそういう人たちと出会ったときに胸を張れるよう行動に移そうと静かに決意したのでした。
実際にドイツ国際平和村にボランティアとして伺えたのは19歳の時。同じ想いを共有したいと一人飛び込みました。施設内を歩けば子供たちがわぁーっと寄ってきてその子たちの明るさゆえに普通の保育園に来た感じがしたが、1人1人がかかえる重度のケガが現実を物語っており心が痛みました。それでも醜い争いを目撃した眼に今は私が写っていて、銃声や爆音を聞いた耳に私の声が届いている 。子供たちはもちろん、現地の運営に関わる方々、同じようにボランティアに訪れている方々との時間をとにかく大切にした。人との繋がりをそれまでで一番強く感じた旅となりました。
翌年にはインドのマザーテレサの施設を訪れました。ここも小学生の時から絶対に行くと決めていた場所の一つでした。インド、コルカタと聞いたら多くの人はスラム街を想像するでしょう。両親をはじめ、一人で行くような場所じゃないと何度も止められました。現にインドは国境部分ではテロが日常の事でコルカタも正直カルカッタ時代よりさらに治安が悪化してるのが現実のようですが、そこで命の根を張る人々も私たちと同じ人間です。何度ぶつかってでも行きたかった。何故かと言われても適切な言葉が見つからないが、“pay it forward”これが私の全ての行動の原点です。

恩恵を受けたら恩返しするより新たに出会った人になにかしてあげる。1人が2人にそうして、その2人がそれぞれ2人にまた良い行いをしたとしたら4人に…と指数関数的にいい流れが拡大していく感覚が好き。マザーテレサはもう過去の人。しかし彼女の意志を受け継いだ多くの人が同じ場でなお、現実と向き合ってる。これこそpay it forwardの精神だと思い、現地へ出向きました。
コルカタの街は騒音と悪臭で混沌としていました。クラクションの嵐、怒鳴り合い、子供の泣き声。人々の排泄物臭、道の上で鳥や魚さばくゆえの生臭さ、ヤギなどの家畜のにおい、生ごみのにおい。警戒心が先立つ自分がいたが一地球人として、同等の目線で向き合うと実にフレンドリーな面もあり、積極的に人と関わることができました。
マザーハウスには常に世界各国から多くのボランティアが訪れます。8つある施設の中で私は午前はプレムダンという主に結核や脳膜炎を患い瀕死状態の高齢者がいらっしゃる施設、午後はシュシュバハンというハンディーキャップと健常な子両方が暮らす施設で活動をしたが、ここで年中無休、一生涯身をささげ働きつづけているシスターたちとの対談は今でも記憶に鮮やかだ。彼女たちは最も貧しい人、つまり物資そして心、両方満たされてない人のために働いていると言いました。そんな人たちにできることは衣食住を与えること、病気なら薬を与えること、そして何より本物の愛を与えることだと。
本物の愛を目の当たりにする出来事にも遭遇しました。シュシュバハンで子供たちが使う砂糖が底をつき、新聞で寄付を募った3日後、8歳の男の子がお母さんとともに数グラムの砂糖をもって施設を訪れました。その数グラムはその男の子は自らの意思で3日間我慢した分砂糖でした。量にしたらわずかな砂糖ですがシスターたちは、”この子は痛いほど愛してくれた”と喜び、私自身魂が震えました。
帰国間際にシスターはこんな言葉をくださいました。”帰国したら自分の国の中でコルカタを見つけてほしい。同じような物資的な貧しさは見つからないが、心を病んでいる人はどこにでもいる。もしボランティアを続けていくならば思いやりをもってそういう人々に愛を与えていってほしい”と 。根底にある信念を支える言葉として今でもよく思い出します。
人はやはり一人では生きていけません。一人の時ほど人に吸い寄せられるのは人間の性なのか。人は自身の鏡といわれるように人を通して新しい自分にも出会える。旅は新しい出会いに恵まれる最高の機会。だからこそ、私自身今後も一人旅を続け、人が好きな人にほど、一人旅をおすすめしています。
なぜ一人旅なのか、そう聞かれると必ず“人が大好きだから”と答えています。
10歳の時NY同時多発テロが起き、数か月前まで住んでいた国の衝撃的な事件に言葉を失いました。思えばその時から世界を変えたいという漠然とした想いを抱くようになり、同時期にテレビでドイツ国際平和村の特集を観たのを鮮明に覚えてます。戦争で傷ついた子供たちがドイツで医療を提供する間住む施設であり、治療後に親元に帰す活動をしているドイツ国際平和村。1人で世界を変えられるなんて思ってないけど 世界のどこかには同じ想いや理念を抱きながら夢中になって目標に向かっている人がいる。そう信じて、いつかそういう人たちと出会ったときに胸を張れるよう行動に移そうと静かに決意したのでした。
実際にドイツ国際平和村にボランティアとして伺えたのは19歳の時。同じ想いを共有したいと一人飛び込みました。施設内を歩けば子供たちがわぁーっと寄ってきてその子たちの明るさゆえに普通の保育園に来た感じがしたが、1人1人がかかえる重度のケガが現実を物語っており心が痛みました。それでも醜い争いを目撃した眼に今は私が写っていて、銃声や爆音を聞いた耳に私の声が届いている 。子供たちはもちろん、現地の運営に関わる方々、同じようにボランティアに訪れている方々との時間をとにかく大切にした。人との繋がりをそれまでで一番強く感じた旅となりました。
翌年にはインドのマザーテレサの施設を訪れました。ここも小学生の時から絶対に行くと決めていた場所の一つでした。インド、コルカタと聞いたら多くの人はスラム街を想像するでしょう。両親をはじめ、一人で行くような場所じゃないと何度も止められました。現にインドは国境部分ではテロが日常の事でコルカタも正直カルカッタ時代よりさらに治安が悪化してるのが現実のようですが、そこで命の根を張る人々も私たちと同じ人間です。何度ぶつかってでも行きたかった。何故かと言われても適切な言葉が見つからないが、“pay it forward”これが私の全ての行動の原点です。

恩恵を受けたら恩返しするより新たに出会った人になにかしてあげる。1人が2人にそうして、その2人がそれぞれ2人にまた良い行いをしたとしたら4人に…と指数関数的にいい流れが拡大していく感覚が好き。マザーテレサはもう過去の人。しかし彼女の意志を受け継いだ多くの人が同じ場でなお、現実と向き合ってる。これこそpay it forwardの精神だと思い、現地へ出向きました。
コルカタの街は騒音と悪臭で混沌としていました。クラクションの嵐、怒鳴り合い、子供の泣き声。人々の排泄物臭、道の上で鳥や魚さばくゆえの生臭さ、ヤギなどの家畜のにおい、生ごみのにおい。警戒心が先立つ自分がいたが一地球人として、同等の目線で向き合うと実にフレンドリーな面もあり、積極的に人と関わることができました。
マザーハウスには常に世界各国から多くのボランティアが訪れます。8つある施設の中で私は午前はプレムダンという主に結核や脳膜炎を患い瀕死状態の高齢者がいらっしゃる施設、午後はシュシュバハンというハンディーキャップと健常な子両方が暮らす施設で活動をしたが、ここで年中無休、一生涯身をささげ働きつづけているシスターたちとの対談は今でも記憶に鮮やかだ。彼女たちは最も貧しい人、つまり物資そして心、両方満たされてない人のために働いていると言いました。そんな人たちにできることは衣食住を与えること、病気なら薬を与えること、そして何より本物の愛を与えることだと。
本物の愛を目の当たりにする出来事にも遭遇しました。シュシュバハンで子供たちが使う砂糖が底をつき、新聞で寄付を募った3日後、8歳の男の子がお母さんとともに数グラムの砂糖をもって施設を訪れました。その数グラムはその男の子は自らの意思で3日間我慢した分砂糖でした。量にしたらわずかな砂糖ですがシスターたちは、”この子は痛いほど愛してくれた”と喜び、私自身魂が震えました。
帰国間際にシスターはこんな言葉をくださいました。”帰国したら自分の国の中でコルカタを見つけてほしい。同じような物資的な貧しさは見つからないが、心を病んでいる人はどこにでもいる。もしボランティアを続けていくならば思いやりをもってそういう人々に愛を与えていってほしい”と 。根底にある信念を支える言葉として今でもよく思い出します。
人はやはり一人では生きていけません。一人の時ほど人に吸い寄せられるのは人間の性なのか。人は自身の鏡といわれるように人を通して新しい自分にも出会える。旅は新しい出会いに恵まれる最高の機会。だからこそ、私自身今後も一人旅を続け、人が好きな人にほど、一人旅をおすすめしています。