こんにちは。

 

リセット山下ですきのこ

 

 

明日は冬至ですねチュー

 

ということは、これから半年間はどんどん昼間が長くなっていきますねチュー

 

なんであれ上り調子はうれしくなりますよねサーフィンサーフィンサーフィン

 

 

最近、読書週間に突入してまして、

 

その他のことがおろそかになっておりますが、

 

そんなこんなで、気分は上々ですバレエバレエ

 

 

最近読んだもので面白かったのは、

 

ピダハンについての本です。

 

 

言語体系がことさら変わっていて、

 

「こんにちは」

「ありがとう」

 

といった交感的言語がない。

 

数の概念がない。

 

色の概念がない。

 

といったものです。

だからといって、

お礼をしないわけでもないし、数が数えられないわけじゃないし、色を認識できないわけじゃあない。

 

言語というのは文化に根付くものだということが語られています。

 

 

それよりなにより、

 

神話がない。

 

というのが面白い。

 

 

これは、体験の直接性を重要視していて、

 

自分の体験したことじゃないと話さない。

(話したところで信用されない)

 

というものです。

 

なので、自分のひいおじいちゃんのことになると、

 

もう何にもわからない。

 

 

 

著者はキリスト教の伝道師で、ピダハンの村に行った人なんですが…

 

「イエスはこう言いました……うんぬん」

 

「ふーん。イエスってやつはどんなやつなんだ?」

 

「いや……それは……あったことはないし……」

 

「ああそう。じゃあ、その話はもうやめようぜ」

 

と一蹴され、

 

よくよく考えてみればピダハンの言っている理屈のほうが正しいなと転んで、

 

最終的に伝道師も辞めちゃうというオマケつき。

 

 

SNSやフェイクニュースや噂が幅を利かせる現代社会において、

 

なかなか正鵠を射た考え方だなぁと思いました。

 

 

もともと、動物は刹那を全力で生きているものだったはず。

 

ピダハンのように、人間でも刹那に生きている人たちもいる。

 

 

いつから過去を記録し、未来を予測するようになったのでしょうか。

 

そして、それはいったい何のためにはじまったのでしょうか。

 

人間を幸せにするため、

 

ではないことがわかります。

 

 

著者は、

 

「わたしが何のためにここにきたと思う?」

 

とピダハンに尋ねます。

 

ピダハンを先進国のように文明開化し、豊かにしていきたい。

 

という願いがありました。

 

ピダハンは答えます。

 

「そりゃあ、ここがすごくいいところだからだろ? 食べ物はおいしいし、環境はいいし、ピダハンはみんないいやつだから」

 

 

ピダハンたちは、大人も子供もみんなよく大声で笑っているそうです。

 

先進国のように、豊かに、ストレスフルに、悩み多く……。

 

これが、自分のしたかったことなのだろうか?

 

 

文明の言い分、

 

宗教の言い分、

 

ピダハンの言い分、

 

色々考えた結果、

 

ピダハンの言い分が正しいな、

 

と思って教義を捨てたそうです。

 

 

伝道師というところで、宗教色が強くなり、メッセージが弱まっているかもしれませんが、

 

これは、宗教のみならず、それを内包する文明への問いかけだと思います。

 

 

知らず知らずのうちに、

 

文明の言葉をうのみにしていませんか。

 

聖書の言葉に対しては

 

「はいはい、わかりましたよ」

 

と適当に聞き流す人も

 

「一日三食きちんと食べましょう」

 

という文明の言葉には疑うことすらせずに、

 

「あたりまえではないか」

 

と盲信していませんか。

 

※ちなみに、ピダハンは食べ物があるときに全部食べつくす(貯蔵もしない)。

ないときは食べない(空腹は一種の筋トレだと思っている)。

そうです。

 

 

この本からは、そういうメッセージを受け取りました。

あくまで、僕は、ですけど。

 

 

伝えきれないので、気になる方は読んでみてくださいタコタコタコ