もっと早く走りたい。
もっと長い距離を走りたい。
でもなかなか上手くいかないんだよ。
息は切れるし、足は痛くなるし、自分の中にいる
弱気な虫が、「もういいじゃん、よく頑張ったよ」と、
自分を褒めるし、自分を慰めるし。
周りを見渡せば、自分より頑張っている人、
自分より境遇に恵まれない人、
自分よりできる人が沢山いる事に気付かされる。
でも、なかなか早く走れない。
でも、なかなか超長距離を走りきれない。
そんな情けない自分が、悔しくてたまらない。
だから、諦めないし辞めない。
続けていれば、良い事だってあるはず。
続けていれば、早く走れる様になるはず。
続けていれば、超長距離も走れる様になるはず。
ちょうど2年前、ジョギングを始めた頃、
たった2㌔で吐きそうになった。
足も痛いし、股関節も痛いし、階段なんてまともに上がれない。
そんな自分を、さっさと追い抜く女の子達が沢山いた。
「なんなんだ」って思ってた。
「なんであんなに走れるんだ」って思った。
その時は、悔しさよりも、「すげーなー」ってだけ思った。
歩いたり走ったりを繰り返し、気が付くと女の子にも
おじいちゃんにも、おばさんにも抜かれる自分が居た。
なんか、情けなかった。
きっとそこで諦めてれば、今のジョギングライフはなかった。
多摩川を走れば、若い兄ちゃんに抜かれ、
皇居を走ればOL風の女の子に抜かれ、
追いかけようにも横っ腹が痛くなるだけで全然追いつけない。
情けない自分から、自分を変えられない自分、変わらない自分に
イライラしたり、悔しかったりして、思考錯誤して行きついた先が、
続ける事と、自分のペースを守る事だった。
今ジョギングを始めて、あと少しで丸2年になる。
今では、月間300㌔を目標にして、暇さえあれば、自ら時間を作って、
少しでも距離を走ろうとしている。
3月には、初めてのウルトラマラソンの海外レースにもエントリーしている。
たった2年で、フルマラソンよりも長いウルトラマラソンへのチャレンジは、
人によっては馬鹿げていると言う人もいるかもしれない。
その一つ一つのレースが、諦めなかった自分の集大成でもあって、
続けてきた結果でもある。
今自分の周りには、沢山のランナー仲間が居てくれる。
時には一緒に走ったり、時にはひとりで走ったり。
彼等彼女等の存在があって、続けてこれた事があって、
本当に感謝している。
その感謝は、自分が続ける事で、恩返しになるのか。
疲れたから辞める、嫌だからやらない、そんな「ゆとり教育」じみた
世代ではない自分にとって、身の回りでは自分が止まりたくても、
止められない世界や時間が、刻一刻と進んでいる。
だから、自分も止まれないし、止まらないし、動き続ける他ない。
後回しにすれな、忘れるし遅くなるし、最悪誰かに迷惑をかける。
つまり、自分はひとりではない。
自分の周りには、沢山の人が居て、自分の我や思考だけで行動すれば
火種にもなるかもしれないし、迷惑もかけてしまうかもしれない。
生まれ育った環境や今の環境の違いで、それぞれ良い所、
良くないと思われる癖、思考の違い、合うか合わないかがあるだろう。
時には、それぞれの良くないと思われる角が、ぶつかり合う事だってある。
誤解や意図としない事が、矛盾を生む事だってある。
誰にだって、言い分はあるだろう。
今いる石井や市川だって、丸6年経って今の彼等になっている。
何度も辞めると言ってきた。
けれど、まだまだ60点や70点位でも、本当に頼れる存在になった。
石井は相変わらず、新しい事へのチャレンジが苦手。
市川は相変わらず、後回しにする癖。
荒川は相変わらず、下方修正したがる。
年始の挨拶で、皆に言い切った事がある。
何をしてもいい、全責任は自分がとると言った。
その言葉に二言はない。
会社の看板を掲げて、一人残らず全員絶対の信頼をしている。
絶対に諦めない、絶対に続ける事が、今の力ない自分ができる事。
自らの力で、自分が変わるし、自分を変えられる。
挫折や落胆の人生は、尊敬したくない。
責任感や使命感で、人は変わるし、人を変えられる。
人を変える必要はないのかしれない。
だが自分の中にある、責任感や使命感を破棄捨てて、
諦める事とは、頑張らないと同じ事。
たったひとつ自分にする約束は、諦めない事。



















