文学フリマへの道!

文学フリマへの道!

ここでは同人誌作成までの日々と、各メンバーの好きなことを記事にしていこうと考えています(´・ω・`)
文学だとかマンガだとかアニメだとかゲームだとか音楽だとか

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こんばんは! 新メンバーの綾町です!
 
この度、Blogをはてぶに引越ししました! URLは以下の通りです!

http://repro09.hatenablog.com/

今後ともReproをよろしくお願いいたします!
新年明けましておめでとうございます。

……とまあ、定型句で始まったわけですが、はい、前回の更新から二月以上の時間が経過しております。
サボり過ぎですね、すみません(-_-;) 

けれど、私達Reproは何も活動自体をサボっていたわけではありません! 
三月に行われる某イベントに向けて、新刊を作成中でございます!!
詳しい情報は後日書きますが、今回は何と全員“恋愛”ものという、書き手の精神がズタボロになってもおかしくない縛りで書くことになりました!!!
かく言う私も、現実との戦いで摩耗したMPを更にすり減らしながら執筆中です。
骨は拾ってやるよ、おっしゃってくださる奇特な方がいらっしゃれば、是非手にとってみてください。

また、Repro公式HPの作成も決定しました!!
こちらも、新メンバーに全部放り投げて鋭意製作中です。
ブログやツイッター等で告知いたしますので、是非お越しください。


さてさて、冗談を交えた告知はこの辺にしておきまして。
気付けば、もう2015年。
エヴァの「時に、2015年」の年になってしまったということに驚きを隠せません。
てか、エヴァのテレビ版の放送って1995年でしたよね!? 
もう、20年……。
あの時お兄さんお姉さんだったシンジ、レイ、アスカの年齢を十年も追い越してしまっているんですよね。


それだけの時を刻み、自分が何を成し得たのかと考えると、正直焦燥感ばかりが募ってきます。
いい歳したおっさんになってきたのに、自分のしたい事一つすら、満足に為し得ていないのかと。
これまで、一体何をしてきたのかと。

けれど、この25年が全くの無駄では無かったと思いしらせてくれるのが、この年末年始の時間です。
長くはないけれど、決して短くもない人生。
その中で、様々な人との繋がりがありました。
さすがに全てとはいきませんが、年末年始は、それらの縁を更に強固なものにできる良い機会だと思います。
これといった能力のない自分が、何とか築き上げてきた財産。
ともすれば、夢や理想の妨げとなるかもしれないそれらを、けれど少しでも繋げていくことで、自分の人生にも真っ当な意味を付与できるのではないか。
そんなことを、ふと考えた、1月2日(正確には3日)の夜なのでした。


何言ってたんだこいつ、な話で締めることになりましたが、今年一年もまた、我々Reproをよろしくお願い致します!!
こんばんは、鳴向です。
もう一か月も前のことになってしまうのですが、改めまして文学フリマお疲れ様でした。
われわれリプロの本をお買い上げくださったみなさまにおかれましては、感謝してもしきれない気持ちでいっぱいであります。
リプロ3号は今までにない厚さの本となりましたが、手に取っていただけたことが本当に嬉しいです。

次回のイベント参加予定はおそらく3月のシティかそうさく畑になると思います。
もっとパワーアップした新刊を作る予定ですので、そちらも何卒よろしくお願いいたします。
あ、自分でハードルを上げてしまった……


さて、久々のブログなのですが、「地獄先生ぬ~べ~」ドラマ版を今日3話?にして初めて見て多少思うところがあったので、それについて書こうと思います。
一言で言うと、このドラマ、実写化ドラマの系譜ではなく学校教師モノの流れとして見るとなかなか面白いよね、という話です。
あくまで個人の雑感ですので、記憶違い勘違い色々あるでしょうからぬるく流してくださる方向けです。

学校教師モノのドラマの流れとして、と言ったのですが、ぬ~べ~を見て最初に思ったのが「あ、これごくせんの流れと似てるな」ってことでして。
本当はごくせん以前にも学校教師モノの水脈はあるのだろうし、近い時代でいうと金八先生も同じ軸の上に乗っているとは思うのですが、それらは見ていなかったのでちょっと今回は触れないでおくということで……。
で、ごくせんに関してのポイントは三つ。
一つは、舞台がヤンキー不良の集まる学校であるということ。って書いてから気付いたのですが、学校自体はエリート校で、中心となるクラスだけが不良クラスだったような気がしてきました。とりあえず、その範囲内は不良ばかり、ということにしておきます。
そしてそこに赴任してきた教師が極道一家の娘ヤンクミで、これは次のポイントと関係してくるのですが、ヤンクミが最初に生徒に慕われるようになる理由、つまり生徒を従属させる力というのが、喧嘩の強さ=物理的な暴力である(と言うと言い過ぎかもしれませんが、それに類する物理的な力の強さであることは言えると思います)、ということが二つ目のポイント。
そして三つ目が、喧嘩のシーンの大立ち回りが見せ場である、ということです。
ドラマにおいては暴力かお色気シーンがないとヒットしない、というのをどこかで聞いたことがあるのですが、この系統のドラマでごくせんがずば抜けてヒットした理由はまさしくこの見せ場のシーンを作ったことに一端があるのではないかと思われます。
逆に言うと、このシーンはこれ以前や他のこの系統のドラマではだいたい「先生による心に響くお説教」シーンに該当するのだと思います。

しかしこのごくせん系統のドラマは最近ちょっと見られなくなってきたかな?という気がします。
考えられる理由として、三つ目のポイントとして挙げた喧嘩シーンが、最近ではあまり流行らなくなってきたからではないかな、と思います。
これもどこかで聞いた話なのですが、最近の中学生は尾崎豊を聞いてもどこがいいか分からない、と言うそうです。
バイク盗んで窓ガラス割って、人に迷惑かけて何がしたいの? みたいな感想しか持たないらしいです。
かく言う自分も尾崎世代ではないので若干その最近の中学生寄りの意見で、暴れると先生に目に掛けてもらえるっていいよなぁ、と思うところもあったりします。
まあそういう訳で、登場人物たちの造形が、こういったドラマの主要視聴層であると思われる中高生の共感を得にくくなったのかなという気がします。
それでも人気のジャンルであることに変わりはないと思いますけども。
最近で言うと(と言っても結構前になりますが)、ホステスが教師、というので話題になった美咲ナンバーワンがこの系統の一番新しいものになるのでしょうか?
情報が古かったらすみません。


さて、このごくせんの系統から派生するような形で? もう一つの系統があると自分は考えています。
もしかしたらこっちの方が一歩先んじていたかもしれないのですが、ちょっと記憶が曖昧ですみません。
ただこの系統が、ごくせんとぬ~べ~の中間に立つのではないかと思います。
そのもう一つは、「ウォーターボーイズ」の流れを汲む、スポーツ部活モノの系統です。
ただ自分は初代ウォーターボーイズは見ていたような気がするのですがどうも記憶が曖昧なので、同じ系統で一番記憶に鮮明な「ルーキーズ」を念頭に置きながら考えたいと思います。
先程と同じポイントで見ていくと、まず舞台となる学校は完全な不良高校という訳ではなくなっています。
ただし、ルーキーズの場合は不良の集まりになっている野球部という感じの設定でしたし、ウォーターボーイズも不良ではないけれど問題児が集められていたような気がします。
ということでごくせんよりも若干マイルドになってきていると判じて差支えないのではないでしょうか。
そして登場する教師が、ウォーターボーイズは美人の女性の先生? でしたか。ルーキーズでは川藤ですね。
この系統で中心となる教師はヤンクミとは違って物理的な戦闘力はないに等しく、彼らが生徒を従属させるのはその理想を求める力であり、もう一つ大きな力になるのが、集団スポーツそれ自体が持つ力、だと思います。
教師自体の人格に加えて、スポーツの中で生まれる連帯感が生徒と教師を結び付けていく、というのが大きく作用している感じがします。
この系統のドラマの中では、見せ場のシーンはスポーツの大会になります。
見れば分かるわいって話ですが、もちろんぱっと見で目を引きますし、カタルシスも大きいです。
しかも、ごくせんで若干問題になっていた暴力という負の方向(と思われる)の力で物語を解決するということがなくなって、スポーツで汗を流すという完全に正の方向で話を昇華できるので、万々歳と言えると思います。
むしろ暴力沙汰を起こすとスポーツできなくなっちゃう、という流れでスポーツが暴力への強力な抑止力として働く場面も見受けられます。

この系統の問題点としては、スポーツがややマンネリ化してきて、取り上げるスポーツを探すのがなかなか難しくなってきたことでしょうか。
最近で言うと「タンブリング」とかついこの間の「水球ヤンキース」とか、あと舞台では男子ポールダンスの話も話題になっていましたね。
観にはいけなかったのですが、気になっていました。


さて、それで、この流れの上にぬ~べ~が乗ってくるのでは、という話です。
構成としては全く同じで、とある学校に、ある一人の先生が赴任してきてその担当のクラスで生徒たちと問題を乗り越えていく、その中で(ほぼ)毎週何かしらの見せ場があるよ、という形のようです。
上の二つの系統と比較して見てみると、舞台となっている学校は割と落ち着いた、いわゆる「普通」の学校のようです。
生徒たちも個性はありつつもちゃんと学校に来て授業を受けています。
内実はともかく、表面上はかなりマイルド化していると言えます。
で、そんなクラスの担任になるのが鵺野先生、あだ名はぬ~べ~。
タイトルにもなっているだけあってここが大きなポイントで、まさに今週がちょうどその回だったのですが、普段は頼りない教師であるぬ~べ~が生徒たちから慕われるようになるのが、彼の持つ鬼の手=妖怪の力によるんですよね。
つまり、生徒たちがぬ~べ~すげぇ! って思うのは、彼が振るう、決して生徒や生身の人間には向かうことのない、オカルト的な暴力によるのです。
そして三つ目のポイント、見せ場はその鬼の手の力を使った、ぬ~べ~と妖怪とのバトルです。
ごくせんで人気を得た暴力、アクションという見せ場のあり方を、妖怪とのバトルという形に置き換えて採用しているということですね。
妖怪と戦って相手をぼこぼこにしてもそんなに社会的に問題になるわけではない、一方で傷つきながら戦うぬ~べ~の姿は喧嘩による負傷と同じく視聴者のテンションアップに寄与するという、これはかなり上手い翻案なのではないかと自分は思います。
この学校教師モノという流れで見た時には、今までにない形です。たぶん、自分の記憶にある限りでは。
そういう訳でこのぬ~べ~は学校教師モノのドラマの、新たなバリエーションとしてもしかしたら一時代を切り開くのでは? と思ったのでした。

非行に走るわけではない生徒たちが、ぬ~べ~に従属する(と言うと言葉が悪いですが、他の言い回しが思いつかなくて……)きっかけとなるのがオカルトな力、となったいうところはかなり注目すべきポイントなのではないでしょうか。
具体的な力を信じない、あるいは忌避してネット世界を活用しながら生きている彼らが信奉するのが、実体のない妖怪の力。
もしくは彼らに降りかかる脅威が、喧嘩や暴力といった具体的なものではなくて、妖怪という目に見えないもの、という変奏はなにか非常に示唆的だなあという感じがします。
まあ、これ以上突き詰める力は自分にはないので、この話はここまでになるのですが……。


ということで、ぬ~べ~は、花男や妖怪人間べムのような漫画実写系のドラマの延長線上に置くより、学校教師モノの系譜の上に置くと面白いことが見えてくると思います。
要するにこの実写化は、漫画を実写化するぞー、というモチベーションで起こったというよりは、「学校教師モノ」というドラマの形態が要請したものである、と考える方がいいのだと思うのです。
だとしたら「なぜ登場人物たちが高校生になっているんだ」という意見にも簡単に答えが出るわけで、つまり高校生たちの問題を描くのにぬ~べ~という枠が必要だったのだ、ということになります。
それはぬ~べ~という物語が軽視されているということでは決してなくて、時代の流れと物語のアーカイブが交差した地点にあったぬ~べ~という物語が、新たな形で現代に影響を与えるべく発掘されたのだと思います。
まあ、繰り返しになりますが個人の意見ですので……。

家族が結構面白がって見ていたのでどんなもんかいなあと思っていたのですが、なるほどといった感じでした。
玉藻先生がめっちゃガタイよくて日焼けしてるのには何度も笑わされましたが、この玉藻先生は現世をそれなりにエンジョイしてそうで、これはこれでいいと思います。
意味深な流し目は普通にかっこよかったですし。
では、そんなところで。
お疲れ様でした。

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