3月に入って
「被災地のいま」といった内容の
新聞・テレビ・ニュースをたくさん見てきました。
2012年以降こういう機会はたくさんあったんだと思います。
1年後
2年後
3年後
みたいに。

そのたびに
日々への感謝や
元気に生きている幸せについて
考えさせてくれます。

桜が咲き始めて春になって
たくさん雨が降って夏がきて
秋になって冬がきて

少しずつ少しずつ
思いは薄れていきます。

その引け目があるから
「自分なんかが被災地に思いを馳せるのは申し訳ない。」
って

そんなことを繰り返してきたと思います。


先日
仙台で行なったRepresentationメンバーによる
ステージで
朗読を披露しました。

社会人のメンバーと学生のメンバーが
それぞれ文章にしたものを朗読しました。

全文を載せます。


人それぞれの環境のなかで
頑張っていないひとなんていないと思います。
だから、変に特別な日ってしないで
この3月11日が
強く生きていこう、また頑張ろうって
思い直す日になればいいなって思います。

毎日恥ずかしくない生き方が出来るように。

東日本大震災で被害に遭われた方々、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。一日も早く本当の復興をお祈り申し上げます。

2018.3.11 Representation一同


A
あの日、私は小学校の体育館で卒業証書授与の練習をしていた。周りの子たちのざわめきと、椅子の下に潜れという先生の指示で、ようやく地面が揺れていることに気がついた。使い古したパイプ椅子に必死にしがみつきながら、長い長い揺れに耐え続ける。いつまでも揺れ続ける地面に段々と気分が悪くなっていった。それでも、パイプ椅子にしがみついていた手は決して離さなかった。天井からバトミントンの羽根がいくつも落ちてきたのを「雪みたい」と誰かが言っていた。
いつもとは違う異質な雰囲気に、不謹慎とは思いつつ、心のどこかでなんだかワクワクしていた。

B
あの日、僕は溜池山王にあるカフェにいた。
ボロネーゼスパゲティをたいらげてコーヒーを飲み
会計をしようとレジの前に立った。
ドドドっと地面から音がして
目線を落とした瞬間に
うしろに並んでいたOLさんが叫び声をあげた。
驚いて振り返ると
まわりの席のおじさんたちも一斉に声をあげていた。
もう一度振り返ってレジを見る。
カタカナでコウと書かれたネームプレートの店員さんがしゃがみ込んで耳をおさえていた。
揺れがどうというよりも
まわりの叫び声に圧倒されて
ひとまず外に出ることにした。

道には同じように店を出てきた人で溢れていた。
携帯のワンセグを見ていたおじさんが
「フジテレビが倒れた」とつぶやき、
とんでもないことになってることを知った。

店に戻ると重たいレジが床に落ちていた。
散乱した小銭と割れたお皿とコーヒーが目についた。

お店にいたおばさんが
ワンセグを見ていた。彼女も同じように
「フジテレビが倒れた」とつぶやく。

今思えば
フジテレビが倒れてるなんてことはなくて
不確かな情報やデマは
あんなふうに高速で伝播していくんだと、そんなふうに思う。

A
校舎内立ち入り禁止。不安と寒さから体の震えが止まらなかった。先生がとってきてくれたコートに身を包み、母の迎えを、ただただ待ちわびていた。今日のドラマ放送されるのかな。校庭の真ん中でそんな呑気なことを考えていた。でも、終わりの見えない長い時間が段々と不安を大きくさせた。風邪で家にいたお姉ちゃん、いつものように仕事に向かったお母さん。
いま、どうしてるのかな。

B
溜池山王から自宅までの約12キロを歩く。
途中、壊れた信号機や真っ暗な飲食店を見て怖くなった。
その中でいつものように営業していたコンビニ。それが逆に怖かった。
目に見えるもの、知っているものだけを心配して
500キロ離れた東北でなにが起こってるのかなんて
1ミリも想像していなかった。

A
家までの道を上履きのまま歩く。いつもの通学路が特別に思えた。
家に帰りテレビをつける。
思っていたよりも深刻な出来事だった。市役所の室内の映像、耳にこびりついて離れないCM、津波警報。津波って怖いのかな。これから私たちどうなるのかな。日本、終わっちゃうのかな。パンクしそうなほど沢山の情報を目の当たりにして、私はこの出来事の恐ろしさを、ようやく頭で理解した。

でも、ただただ流れてくる情報を理解することで精一杯だった。当時の私ができたのはそれだけだった。

B
東北でなにが起きてるか知ったのは
家についた夜中のことだった。
映画みたいな
不思議な映像は
どうにもピンと来なかった。
余震が続くなか、眠りにつこうを目を瞑る。
けれど日が経つにつれて
自分の無力さを思い知り、
ただ家にこもっていた。
真っ先に被災地へ救援物資を届けた芸能人のニュースも
ユーストリームでライブを行っていたアーティストの歌も
どれも心に残ることはなかった。

いろんな言い訳をつけて
家にこもる自分が嫌で
いつもは飲まない安いウィスキーを呑んだ。
何もできやしないと決めつけて。

A
もうすぐ3/11がやってくる。
何かしたくても何も出来なかったあの時から7年。私は大学生になった。
実際に東北に行って、自分の目で見た震災の爪痕、今まで全く知らなかったベルトコンベアの存在。りんご農家のおばあちゃん。福島で見た山積みの除染袋。
画面を通してでしか知ることの出来なかった事実。数多くの大人たちのフィルターを通り抜け、嘘か本当かすらもわからくなった事実。私は、惑わされることなく、正しく生きているのか、、、不安になることもある。
けど、、、イマの自分たちに出来ることを精一杯やってみるということは、必ず未来につながると信じてる。

B
もうすぐ3/11がやってくる。
あれから7年。
僕らは被災地支援のチームを立ち上げた。
理由はない。
タイミングだから、というかんじだ。

これでいいんだと思う。
理由とか意味とか
結局タイミングによって変わることは
いままでだって山ほどあった。
現実はそこまでドラマチックじゃない。
だけど
そのタイミングにきたとき
行動を起こせるかどうかは

いままでの自分の行いによるんだと思う。

偉そうに言うつもりはない。

ただ、
人間は忘れる生き物で

それを仕方ないと言うのは

やっぱり僕は嫌だ。