マクギリスは馬鹿だ。マクギリスは本気でバエルに世界を従える力があると思っていたのだろうか。彼に関する話題を見てみると、そういった声が多いように感じる。馬鹿、無能、無計画、彼に対しての評価は概ねそのようになるだろう。それはきっとギャラルホルンが支配する鉄血のオルフェンズの世界での評価と同じだろう。それもそうだ、私たちは彼を愚かに思える立場にいるのだから。
マクギリスを愚かに思える立場と言うのは、簡単に言えばガエリオのことだ。由緒正しい生まれ育ちの彼が阿頼耶識を持つ三日月の姿を忌わしく感じたということは、彼の価値観がギャラルホルンのスタンダードそのものだということを示す。道徳や倫理観で物事の手段を選べる私たちの立場は鉄華団のような児童労働者やヒューマンデブリよりもギャラルホルン側のそれに近いのだ。それを考えればそもそもアニメを見ることの出来る私たちの環境は貴族と言っても過言ではなく、そんな価値観を持つ私たちはガエリオに感情移入するように誘導されていたのだ。
前述のように阿頼耶識を忌避し、鉄華団を宇宙ネズミと蔑む。幸せに本物と偽物があるのかと言われ、そんなこともわからないのかとガエリオは言った。わかるのが当たり前だと彼は思っていて、そうではないことを知らなかったのだ。それを考えればマクギリスがガエリオとわかり合えないと考え、決別の道を選んだことも頷ける。ガエリオは視野の狭い人間だ。そして視野が狭いというのは決して珍しいことではない。それこそマクギリスをはじめとした鉄血のオルフェンズの他の登場人物も、私たち現実の人間もそうであるのだから。ともあれ、おそらく視聴者の多くはもっとも境遇の近いガエリオに感情移入していたのだろうから、力を過信したマクギリスが馬鹿だと言う人が多いことも仕方がないと言える。
ではマクギリスが力を過信したのは何故か。理由として考えられるのがカルタ・イシューの存在だ。何故カルタ・イシューなのか、それは彼女がセブンスターズ第一席であり、イシュー家に伝わる陣形を鉄華団相手に用いるように伝統を重んじる性格だったからだ。マクギリスに想いを寄せる彼女は何かと彼に勝負を仕掛けては、彼に遅れを取っていた。幼いマクギリスからすれば彼女は世界で最も強い力を持つ存在として目に映っただろう。そんな彼女がマクギリスに対して勝負を挑み、負ければ悔しがる。力しか知らないマクギリスにとってその事実は、それがどんな形であれ力が世界一の権力者を屈伏させた経験となる。それを何度も続けていればそれを普遍のルールだと思い込むのも仕方がないだろう。
マクギリスの計画はカルタ・イシューを仮想敵に設定している。彼女はセブンスターズ第一席という権力の象徴であり、鉄華団に屈するという形で暴力の有用性をマクギリスに再確認させた。ならばセブンスターズを凌ぐ権力を手に入れることが出来れば、敗北することのない暴力を手に入れることが出来れば。そのふたつを併せ持ったものがギャラルホルンの象徴であり強大な力を持つガンダムフレームのモビルスーツ、バエルだった。しかしセブンスターズの大人たちは迷いはせよバエルに従わず、幼い頃からの経験則が通用しないことが理解出来なかったマクギリスは敗北する事となった。
マクギリスの失敗はカルタ・イシューをセブンスターズの典型だと思ってしまったことだ。だが力しか知らないマクギリスに、権力者の中で唯一彼の理解できる力の世界、勝負でコミュニケーションを取っていたのがカルタだけなのだから、それも仕方がないことかもしれない。幼い子供たちが勝負をする。一見微笑ましく思えるそのやり取りの裏でマクギリスが力への盲目的な信頼を強めていったのだと思うと、やるせない想いが募る。