きのうの日経新聞に、安倍首相のインタビュー記事が掲載された。
自民党総裁選挙が間近に迫ってのタイミングなので
保守政治家として経済最優先の姿勢を政策発表として
日経新聞との単独インタビューのカタチで発表したものと思われる。
その提起はタイトルでは「首相・働き方「生涯現役」へ3年で改革」というもの。
政権が進めてきた「働き方改革」の第2弾という位置付けとされていた。
 以下、日経の記事より〜
安倍晋三首相(自民党総裁)は3日、日本経済新聞のインタビューで
「働き方改革の第2弾として生涯現役時代の雇用改革を断行したい」と述べた。
自民党総裁選(7日告示―20日投開票)で勝てば任期は2021年9月まで3年延びる。
最初の1年で生涯現役時代にふさわしい雇用制度を構築し「次の2年で
医療・年金など社会保障制度全般にわたる改革を進める」と強調した。
高齢者にも働きやすい環境を整えたうえで、社会保障制度の抜本改革に乗り出すという
2段階で取り組む考えを示した。次の総裁任期中の課題として
「全ての世代が安心できる社会保障制度に向けて3年かけて大改革を行いたい」と語った。
 雇用改革では「65歳以上への継続雇用年齢の引き上げを検討する」と明らかにした。
民間での高齢者雇用拡大の取り組みを後押しする姿勢を示した。
 生涯現役時代を前提とした社会保障改革では、年金制度に関し
「70歳を超えても受給開始年齢を選択できるようにする」と明言。
健康な高齢者を増やして医療保険など財政負担の削減につなげるため
「予防・健康へのインセンティブ措置も強化したい」と述べた。
 首相は働き方改革と社会保障制度改革を「ミックスすべきだ」と指摘し
「投入される労働力が増えれば成長にも資する。税収も入るし社会保険料も
プラスになる」との見方を示した。2つの改革を連動させた取り組みを通じて
「給付と負担のバランスをしっかり考えていきたい」と述べた。〜引用以上。

国民医療は世界最先端といえる社会をわたしたちは持っている。
この結果、まれにみる高齢化社会が実現できた。
しかしそれを大きな「資産」として活用することは、なかなか出来なかった。
むしろひたすら、年金が破綻するのではというマイナスオーラのネタだった。
こうした閉塞状況に対して政治として「生涯現役」というテーマを上げたということ。
政治という社会現象の意味は、すべてが国民の生活の安定、向上だと思う。
国防、外交努力というモノも、結局はこの目的に従属することがら。
したがって、われわれが政治に期待するものはなによりも
社会経済が安定し、個人としての暮らしに将来展望を持てるということに尽きる。
そのための国家運営を政治に期待し一票を投じるのが民主政治の基本。
そうした「政治への付託」のありかを、明瞭に為政者が自覚しているかどうか、
さまざまな政治日程を通してそれを見ることができるけれど、
事実上の明白な「権力闘争」である与党総裁選挙は、ひとつの大きな機会。
そこで、安倍さんは日本社会の構造問題である「高齢化」社会への
提言として、「生涯現役」概念を提起した。
もうひとつの大きなテーマである「少子化」については努力はできても、
結局は個人個人の意志決定の問題であり、政治が表立ってあれこれ言うテーマではない。
こちらは、社会全体の問題であり、政治は過度の干渉はすべきでない。
それに対して高齢化については、いま現実に選挙権も持っている世代が
主体的に関与しうるテーマであって、論議を持つことはきわめて自然。
先進国中でもっとも高齢化社会のありようと先端的に向き合わざるを得ない
日本社会にとって最大のテーマと言える。
・・・大変興味深い政治提言だと思った。まったく自分自身の喫緊のテーマでもある。
今後、この論議が深まっていくことを期待したいと強く思った次第です。

昨日、社内部署ごとのランチミーティング第1回で
WEBスタッフとわたくし手製のにぎり寿司を囲んでおりました。
社員食堂ならぬ「社長食堂」、職住一体以上の職「食」一体であります。

さすがににぎり寿司は、スタッフ18人分を一度に握るのは至難。
18×10カンとすると180コ作るという、シロウトにはに過酷なミッション。
ということで、各部署ごと、4-5人ほどでのスタッフミーティングということに。
でも結果、毎週「社長食堂」が開店することになった(泣笑)。
今月からスタートしたのですが、最初のミッションが「にぎり寿司」。
わたし自身も久しぶり、5−6年ぶりににぎりに挑戦したのですが、
今回痛感させられたのは、とにかくシャリだということ。
WEB時代で、こういった情報はたくさん摂取可能になっている。
「にぎり寿司」とか検索すれば、いろいろ指南してくれるのですが、
とにかく目からウロコなのは、シャリの作り方でした。
研ぎ方、炊き方が決定的だというということに気付かされた。
自分自身も毎日台所に向かっていて、それなりにコメにこだわってはいますが、
やはり寿司は、おいしくコメを食べる料理だということですね。
研ぎ方で、ほんの少量水を入れて、とにかく徹底的に糠落とし、研ぎ落とす。
肉眼では気付かないコメ表面の糠の層を研ぎ落とすと、
コメ本来の食感が浮かび上がってくるというのですね。
で、研ぎ終わった後は、ざるにコメをあげてしばらくは「蒸らしておく」。
必要な水分摂取はコメの場合、最小限の方が酢飯としてはいいのですね。
で、食べる直前に水を8分目程度に抑えて炊きあげる。
炊きあがったら、即座に寿司桶に入れて砂糖と酢で味を調えていく。
一粒一粒が「立ってくる」ようにしゃもじで「切って」いく。
そういうシャリを使って、一気ににぎりに入っていく。
きのうは仕入れたネタを事前に用意しておいたので、都合50カンほどを
約30分程度でにぎり終えることができました。
用意したネタは、
本マグロ赤身、ソイ、サーモン、天然ブリ、締め鯖、タコ、本マグロ中トロ、
イカ、さけの9品でした。
それに4枚目の写真のように具だくさん味噌汁、浅漬けというメニュー。
その他に、男性ばかりなので別に「ちらし寿司」も3人分ほど用意。
ということでしたが、おかげさまで大好評・完食でした(笑)。

で、終わったけれど、まだ去りがたそうな感じだったので、
追加で炊いていたシャリを使って、実演即食でホッキとホタテを握ってみた。
こっちは万一の時用に仕込んでおいた冷凍ものでしたが、
案に相違して、こっちもまた大好評でした。
ホタテはまぁ大丈夫と思っていたのですが、ホッキの方も
「全然やわらかくておいしい」という感想でした。
残念ながら、こちらはわたしの分は残らなかったので自分では食していない(泣)。
ということで、会議の方もたいへん有意義に盛り上がって、
活発な情報交換、学習機会になりました。よかった、よかった。
案ずるより産むは安し。にぎり寿司、大変たのしく作れました。

先月ついついノリで臨時開店した「社長食堂」。
社員のために社長がランチを作る企画であります。
結構内勤職が多い仕事柄、デスクでの仕事がちになるスタッフが多いので
日頃取りにくい野菜を中心に健康食にという思いの企画。
そのうち内心「あんまりおいしくないし・・・」と反対が出てくると期待しているのですが、
この企画にいまのところは、誰も反対する人はいない(泣)。
あ、写真は本日のメニューではありません。
これは先日紹介した中世商業集落・草戸千軒民家での食事展示。
さすがに瀬戸内に面した河口都市であります、
新鮮な海産物が食卓を飾っている。
鯛にタコ、ハマグリとおぼしき吸い物など、さらにメシは五分突きくらいの玄米食。
ちゃんと野菜類の煮物、出汁昆布も添えられて、バランスも最高の豪華メシ。
手前側にはしょうゆならぬ、醤醢の調味料まである。
こんな豪勢な、と思うけれど、案外商家というのはこんな食事もあったかも。
なんといっても列島の海浜河口地域に住み暮らす人々には、
互酬的な相互扶助関係が基本にはあったハズだろうと思われる。
う〜〜ん、食ってみたいと思って止まない食事写真であります。
下の写真は本日の付け合わせ、具だくさん味噌汁の出来上がり。

ということで、本日はわたし、握り寿司に挑戦であります(キッパリ)。
以前、こういう手料理の機会に一度やったことがあり、
社内女性スタッフから歓声が上がっていた。
でも、もう5−6年前のことだし、わたし自身、やり方を思い出せない。
仕方なく、きのうからWEBで「握り寿司」キーワードで検索しておりました。
ネタの方は、本日朝に買い出しに行くアポを魚屋さんに入れている。
で、なんといってもシャリであります。
寿司とか言っても結局はお米がすべての主役であります。
お米の研ぎ方から、相当に神経を使わざるを得ない。
コメの外皮側にある米糠表皮を、まさに「研ぐ」ように落とす必要がある。
おいしい寿司屋さんは、なんといってもこのシャリの炊き方が真骨頂。
でもそこはシロウトとして、なんちゃってで力を抜いて頑張りたい。
でも、米の研ぎ方で味がそこまで違うかどうか、試してもみたくなる。
さてどんな炊きあがりになるか、自分でも楽しみであります。
一方、ネタの方もメインの魚屋さん仕入とは別にスーパーで
あれこれ見入っておりました。そういうネタでも挑戦したくなってくる(笑)。
昨日は長兄がひょっこりと尋ねて来てくれたので
ついつい、手作りラーメンをふるまっておりましたが、
生来、料理とか、わたしはきらいではないようです。
ひとしきり長兄から「オマエは親たちが女の子が欲しくて生まれたんだ」と、
この歳ではじめて聞く両親の思いを知らされた。・・・宿縁か。
そういう三つ子の魂、いや生まれる前からの魂が料理好きにさせたのかも(笑)。

きのうは親族が集まっての法事。
で古いモノを引っ張り出して、遺品とか見ている中にご覧のような
「五つ玉算盤」が出てきた。
いつの時代のモノか定かではないけれど、小樽稲穂町の
「雨傘・履物・軍手」問屋 小一・笹田茂商店という銘が背面に彫られている。
広告宣伝のひとつとして、年末年始などの贈答用として
制作されて顧客相手に頒布されただろうことが偲ばれる。
そういえば叔父のひとりが戦後復員後、小樽で商店を開業し、
商売をしていたこととなにかの関連があるのかもと想像させられた。
この笹田茂商店から商品を「仕入」て、小売り業を開業をしたのだろう。
戦後、食べていこうとなにか仕事をしようと考えたら、起業は当たり前で、
こういった「問屋」というビジネス形式が存在し、中小零細事業が
それこそたくさん生成されていったのだと思う。
その問屋の贈答品が算盤だったのは、BtoBビジネスとして自然か。
「まぁしっかり儲けてくださいね(笑)」というアピール。

総務省統計局によると、平成24年2月時点で全国にある企業数は
412万8215企業。約4割強が法人企業と言われているので、
法人企業数は約170万社。個人事業主が240万社存在する。
この状況に対して、人口減少という津波が襲ってきていると思う。
いまや空前の「人手不足」社会。
全国津々浦々での「起業」という総数が圧倒的に減少している。
考えてみれば当たり前で、既存の交通体系に寄生して発達した
都市型店舗小売りという業態自体、限界にきている。
小売りはやがて大部分がAmazon化する可能性が高い。
社会が右肩上がりで旺盛な購買意欲、
いわば「ないものを満たす」という欲求対応であった時代はとうに過ぎている。
先進国になるということはイコール、「満たされて」いることを意味する。
そういう時代では、需要はなかなか見つけることができにくい。
たぶんいまIT系を除けばふつうの「製造業・卸売業・小売業・サービス業」で
新規に起業するというケースは皆無に近いのではないか。
資本主義というものが、今後どのように未来形をつくっていくのか、
起業数の減少ということがどういうことなのか、
そんな思いで、この五つ玉算盤を見ていました。

人間が「いごこちがいいなぁ」と感じるのには、
実にさまざまな要因、機縁があるだろうと思います。
たぶん現代に至るまでに、住宅というものが進化してきた最大の動機は
この「いごこち」をさまざまに探究してきた結果なのだろうと思う。
住宅雑誌を発行し住宅WEBサイトを運営していると、
必然的にこういった要素に対して感受性が高まっていく。
もちろん、多様なアプローチがあるのですが、
ときどき住まいの仕掛けとして住宅事例のなかで見掛けるのが
この「ハンモック」であります。

すぐ下に、お猿さんの「寝床」写真を載せておきました(笑)。
わたしの想像ですが、たぶんハンモックにいごこちの良さを感じる
その根源的な体感は、これくらいのDNA的記憶体験に根ざしているという妄想。
それにしてもこの写真のお猿さん(オランウータン?)はまことにいい表情。
木に揺られて寝る類人猿のDNA的やすらぎ。
夢を見るというのは、脳の相当の発達がなければ叶わない営為とされますが、
この寝顔からは、どうも楽しい夢を見ているようにしか見えない。
この「いごこち」を考えてみると、ハンモックのいごこちに通じている感じがする。
まぁ、あんまり論理的ではありません(笑)。
ロジカルには、ハンモックのもたらす「ゆらぎ」が、
自然の木の揺らぎにも通じているように思えるし、
自然の中で感じる空気の流動感が、ハンモックを揺することで
同様の体感効果を擬似的に感じられるのではないか。
それ以上に、自分の体重と支えてくれている木との相関的なゆらぎも、
あるやすらぎの根源の部分を感じさせているようにも思われる。

一方でインテリアとして考えると、このハンモックはなかなかあいまいなもの。
というのは、ハンモックは寝具の一種であって、
リビングルームに装置的にあるということに、やや違和感は起こる。
たとえ家族であっても、こういう無防備な寝ている瞬間を
見られ続けることには、双方でいごこちの悪さがあるのではないか。
リビングが寝室の延長になってしまうことの抵抗感といえる。
このリビングに来客があった場合を想定すれば、場違い感は否めない。
しかし一方で最近の「グランピング」というブームもある。
日常生活をもっとワイルドに楽しみたい、みたいな心理をそこに感じる。
そういう暮らしイメージからすると、このハンモックはその象徴かも。
あるお宅のリビングの光景から、思わぬ変化球を送られたような気分でした。

写真は6年前に探訪する機会があった、草戸千軒遺跡の復元住宅。
広島県福山市にある博物館に展示されている。
住宅取材を基本的な行動様式として見続けてくると、
必然的に人間の暮らしようとか、感受性の推移とかを知りたくなり、
古建築、古民家というようなものに興味が向かっていく。
普段から空間を取材してくると、時間を超えて「聞き取り」たくなってくる。

この草戸千軒、というのは、鎌倉から室町にかけて栄えた集落。
瀬戸内海の芦田川河口の港町として栄えた。遺跡の発掘調査から、
時期によって町の規模は変遷しているが草戸千軒町は近隣にあった
長和荘などの荘園や地頭、杉原氏や備後国人で一帯の領主であった
渡辺氏の保護の元、他の地方との物流の交流拠点として繁栄しており、
数多くの商工業者がいたと見られ、遠くは朝鮮半島や
中国大陸とも交易していたとみられている。〜以上、Wikipediaの記述。
瀬戸内海に面した河口で、周辺地域から物資が集まってきて
海からは他地域、遠くアジア地域からの物資も届く。
交易ということにほぼ専業化した人々の暮らしようがあったのだと思う。
なんとか千軒という呼称はこの瀬戸内海地域ではよく付けられる地名。
たくさん家があるというような意味合いなのだろうと思われる。
今日の都市のように多くの家々が立ち並び、人口が膾炙した。
復元された住宅群には、商家・小工業者・職人などの暮らし痕跡が刻印されている。
こういった職業階層から、有力資本家や交易業者が出現し、
江戸期には大阪を中心とした資本蓄積に至り、
やがて明治の革命のスポンサーになっていく。

住宅を見ていて気付くのは、構造材には曲がり材が随所に使われていること。
ほとんどまっすぐな材は見掛けない。
土台くらいしか、まっすぐなままという木材はほとんどなかった。
常識的に考えれば、こういう曲がり材は、価格的に合理性があったに違いないと
そんな理由がアタマに浮かんでくる。
木舞と土塗り壁という技術は、こういう曲がり材でも家が作れるようにするために
その補強的な意味合いから発達したようにも思う。
復元の工事にあたって、現代の職人さんたちは苦労したに違いない。
出来上がっている空間には、まことに融通無碍という印象が漂っていて、
なんとも独特の自由な空気感が流れている。
素材に合わせていくタイプの技術が育っていっただろうと想像も膨らむ。
わが家のご先祖さまもこういう都市の空気のなかから
生き延びてきたと伝承されています。こういう空気、なんか楽しい(笑)。

一昨日、外出してクルマで札幌市内から郊外へ向かったとき、
道端に果樹園農家の路面店があった。
で、北海道ではあんまりみかけないキレイな花を付けた木が目に付いた。
とっさに「あ、ハナミズキ」と思ってクルマを停めてみた。
悪いので、一応プラムを購入してから、花の名を尋ねて確認してみた。
「あのこれ、ハナミズキですよね?」
とはいっても、自慢ではないけれど詳しいわけではもちろんない(笑)。
ただ、北海道ではほとんどハナミズキを見ることがなく、
多数派はヤマボウシ。在来種はヤマボウシでハナミズキは大正期以降の外来種。
というような知識はなぜか、持っている。
ヤマボウシは白い花が基本でときどきピンクの花弁個体もある程度。
人間の記憶というのはあいまいなもので、
外観的印象、色合い、雰囲気くらいしか木花のことを憶えていない。
北海道ではほとんど見ない木花なので、
本州地域に行ったときには、その印象が強烈に残る。
ハナミズキ、というなんとも語感のいい名前も美しくこころにリフレインする。
で、そういう心理に珍しきものを見たという興奮が湧き上がってくるのです。
こういう心理は本州のみなさんには理解出来ないでしょうね(笑)。

で、お店の方もほとんどの方は毎日見ているハズのこの木の名を
知らなかった(泣)。重ねて「ハナミズキですよね?」と問うても明瞭な答は返ってこない。
で、女性の方は奥の方で作業していた男性に聞いてくれて、ようやく、
「ネムノキです、これは」と答えていただけた。
おお、であります。ハナミズキも北海道では珍しいけれど、
この「ネムノキ」というのも、ほとんど見掛けることがない。
あとで調べたら熱帯原産でそのなかでは一番耐寒性が高い植物とか。
やはり印象的な風姿なので、写真に撮らせてもらって、
帰り道途中ではクルマの中で「ネムノキ、ネムノキ」とつぶやきながら帰った。
ちゃんとメモを取るなり、iPhoneに記憶させるなりすればよかった・・・。
で、クルマで15分ほどの道のりを帰着したけれど、
あっと、気付いたときにはこの木花の名前を思い出せなくなっていた(泣)。
健忘症なのか、認知が進んできたのか、ダメであります。
ということで、ここでようやくWEBを思いついて
こういう状態になった心理そのまま「この花の名は?」と検索してみた。
一発で、そういうサイトが見つかった(笑)。
健忘症ばかりではなく、そういう人が多いだろうことを身をもって知る。
で、写真をアップして、教えてもらうのを待つこと30分。
「ネムノキですね」という簡潔なお答え。
行間に、こんな木の名前も知らないの?みたいな底意を感じたのは
わたしの劣等意識のせいでしょうか?
年を重ねてきて、植物の名をはじめて知る体験って、
たいへんありがたいことだと深く感謝しております。ふ〜む、美しい。

先日の住宅見学、アース21旭川例会からのもの。
この住宅は本業が左官業であるプラスター高野さんが建設も手掛けた住宅。
写真のように随所に職人仕事が目立っておりました。

左官業という職種はいまの住宅建築では
だんだんとその領域が狭くなってきている分野だと思います。
外壁仕上げはいまや基本的にはサイディングに替わってきていて、
一世を風靡した「モルタル」仕上げは激減した。
また、室内の壁仕上げも基本はクロス仕上げになっている。
お風呂もほとんどがユニットバスになって、タイル風呂はまったく見られなくなった。
本州西部地域などでは、本格的な竹小舞+土塗り壁という需要が
まだまだ生き残っていますが、現代的な家づくりでは仕事が減っている。
そういった業界全体の風潮の中で、
それも高断熱高気密住宅の最発展地域である北海道旭川地区で
職人仕事を復興すべく、最先端技術のなかで頑張っているのが高野さん。
モルタル壁の復興や、室内仕上げでも塗り壁仕上げが、
旭川でも最先端の高断熱住宅でこそむしろ増えてきている。
そういう職人仕事が生き残っていくために、努力されていると思います。
旧来型の職種として、殻に閉じこもるのではなく、
むしろ積極的に業界進化の過程の先端に参画し、その胎動の中で
自らの事業領域発展の方向を発見しようという姿勢には共感できます。
本州の伝統職人さんたちが既存の技術伝承世界の中だけに閉じこもって
革新を拒む姿勢をとっているなかで、住宅技術革新が必然である寒冷地域で
発展の方向で自分自身も革新しようという姿勢は正しいと思います。

今回の住宅では、写真のような手業をみることができた。
一見、タイル仕上げの上から塗装したのかと思った台所の壁面。
こちらでは、塗り壁に目地を型押しして変化を作ったということ。
どうしても平滑でのっぺらぼうになりやすいクロス仕上げのなかで、
こういう手業の平面が、そこに暮らす人にどのように精神的投影を与えるか、
たとえば微妙な凹凸感が、そこにあたる光を屈折させたり変化をつくることで
繊細な気付きを与えるきっかけになっていくと思う。
同様に、外壁のコーナー部分にも手業でしか作れない陰影、凹凸感を
造作していた。
たぶん長い年月を経ると、そこに時間がいろいろな変化を加える。
その光景が、住み暮らす周辺のひとに独特の印象をもたらす。
さらに、室内の階段コーナー柱にも、手業での土塗りを施している。
たぶん相当に手での接触頻度が高い部位で、
ざらついた質感をもたらすに違いない手ざわりを感じて欲しい、
そんな作り手の思いをそこに感じさせられました。
毎日の接触痕跡が、やがて家族の記憶に潜在していく、
そんなイメージを持った次第です。

アース21旭川例会見学の住宅事例から、こちらは創樹さんの建てた家。
きのうは、人口減少期型の平屋・大空間・個室減タイプでした。
平成のニッポンでは女性の社会参加が促進され、たぶん、
専業主婦を強く意識した家づくりというのは、少なくなっているかもしれない。
いわゆる「奥さん」というコトバはどうも実態とそぐわなくなっている。
2016年の女性(15~64歳)の就業率は前年比1.4ポイント上昇の66.0%となり、
1968年の調査開始以来、過去最高を更新した。
その上、いわゆる地域偏差もあり、北海道のような地域では
この傾向はもっと強いかも知れないと実感しています。
とくに家を新築するという世代に関して言えば、
多数派がそういう「共働き」になっていることは想像に難くない。
「サザエさん」が視聴率的に苦戦が顕著になってきたことは、
いまの時代の現実の家庭の姿と乖離してきたということかも。
で、住宅の間取り的にも、省家事型の間取りが優勢ではないでしょうか?

そんななかで、いわゆる対極的な「家族関係保守」タイプもある。
むしろたいへん新鮮なものをそこに感じていた次第です。
こちらの家では、玄関が多目的的に広く取られている。
さらに2階の個室群に上がっていく階段がそこにいきなり設置されている。
2階は家族分の各個室が4つあって、個人主義的間取り。
しかし、この階段玄関(?)はスケルトンで家族の帰りを迎える
「母・主婦の視線の抜け」がしっかりと軸線になっている。
階段・玄関に面してスチール格子が装置され、そこにはガラスも嵌められていない。
その位置は「家事コーナー」になっていて、奥さまのパソコンなどもある。
たぶん普段の彼女の中心的「居場所」だと想像できる。
で、そこから奥に向かってキッチン・ダイニングが配置されている。
帰ってきた子どもさんやご主人は、そういう奥さんの目線で出迎えられて
まっすぐに「食の空間」に導かれていくようです。
この間には建具とかは一切ないので、たとえばその日の晩ごはんの
メイン料理がなんであるかもその匂いで伝わってくる仕掛け。
「ただいま〜、あ〜お腹空いた〜」
「おかえり〜」
「あ、きょうはカレーなんだね?」
みたいな会話が想像できる家族関係が「くらしデザイン」されている。
こういう家庭をしっかりと維持したいという意志をそこに感じます。
もちろんこういうライフデザインは、高断熱高気密で
家中が同じ温熱環境が自然に実現されているからこそ、でもあります。

久しぶりにこういう間取り設計の家を見たという感覚。
考えてみれば多数派2/3が「共働き」になったとしても、
現状でも1/3はこういったライフスタイルが維持されている家庭もある。
まことに多様性のある社会になって来ているということ。
こういう社会では、プロトタイプ的「中央値」志向は難しさが伴いますね。

写真は先日の旭川地域での住宅事例・芦野組さんの施工物件から。
今回の見学では、間取り的に対照的な事例が見られていた。
ひとつはこの家が典型的ですが、平屋で間取り的には個室数が少なく、
主要居室である居間・台所・食堂が大空間志向の家が多いタイプ。
注文住宅の最近の間取りの主要な傾向をそのまま表現している。
一方でモデルハウス的な住宅事例では、2階建てで
2階に個室群をたくさん配置してあるという従来型が多数派。
まぁ、どちらかといえばファミリー層を想定した間取りということが鮮明。
この2つの傾向が両極化という様相でいま、家づくりがあると感じます。

考えてみればいまの日本の「家族」のカタチが
そのまま間取り選択の傾向を反映しているということでしょうね。
団塊ジュニア世代までの家づくりがほぼ終焉してきて、
戸建て注文住宅を依頼する層が2極化していることが、
こういう結果になってきているということでしょう。
9月発売のReplan北海道の特集も「平屋の間取り」特集ですが、
より特徴的な注文住宅の傾向として、表題のような志向が顕著。
平屋が大きな流れとして顕在化してきた7−8年前くらいから、
小家族化傾向が顕著になってきていた。
また、子どもが2人いたとしても、そのためにわざわざ個室を持たせることに
懐疑的な考え方が増えてきていると実感します。
それは高齢化とも関連していて、個室が必要な子育て期間は
たかだか10年程度であり、むしろ子育て後は使われない個室が
ただただ物置になっていくことに否定的なひとが増えてきた傾向がある。
大体50-60代で子育て期間が終わり、高齢化で子育て後の人生が
そこから先、人生が80-90年と伸びるようになり、
そういう20-30年の居住環境として、平屋環境の方がより永続的だと
考えられるようになって来たことが大きい。
そういった心理の背中を押すように、子育て期でも個室では勉強に集中できず、
むしろ「成績のいい子」にはリビングの一隅といった環境の方が適合している
という社会的教育効果アナウンスが行き届き始めた。
(これが真実かどうか、都市伝説かも知れないけれど。)
こういう変化はしかし、大手メーカーなどの大多数向け間取りとしての
「モデルハウス」的な作りようではメジャーにはなりえない。
一般的多数派対応のそれらではこれまで同様の「無難な間取り」として
個室群をそなえたモデルハウスが建てられる傾向にある。
建て売り的な作り方と、注文住宅的作り方の大きな傾向分化でしょうか。
こういう傾向は既存住宅流通でのニーズとウオンツの
ミスマッチ的なことにも繋がっていく可能性が高いですね。要注目。