聖書物語


 みなさんはこの世界がどのように始まったのかを考えてみたことがありますか?きっとあるとおもいます。少年少女たちのほとんどが一度は考えてみたことでしょう。

 花畑に咲いているチューリップ、バラ、コスモス、パンジーなどのきれいな花はどこからできたのでしょうか?

「種からできました」

 そうです。それではその種はどこからできたのでしょうか?

もちろんその種は花からできて、その花はまたほかの種からできましたね。そしてその前に…前に…さあ、どこまで前にさかのぼるのでしょうか…?

あそこに素敵な犬がいますね。あの犬はどこから来たのでしょうか?

「あの犬はうちで小さい時から飼っていた犬ですよ。あの犬は血統種なのですよ。」とみなさんは答えます。

そうですか!それでは皆さんはあの犬のお父さんとおじいさん、もしかしたらひいおじいさんの名前まで知っているかもしれませんね。しかしその前はどうでしょうか?

一つ確かなことはあの犬のおじいさんも小さいころには子犬で、その子犬にもお父さんとおじいさんがいたということです。そしてその前に…前に…さあ、どこまで前にさかのぼるのでしょうか…?

それでは毎朝コケコッコーと鳴いているお隣さんのにわとりはどこから来たのでしょうか?

「卵からうまれました」

そうです。そのにわとりは卵から生まれました。しかしその卵は確かににわとりが産んだのではありませんか?そのにわとりも卵から生まれて、その卵はまたほかのにわとりが産みました。そしてその前に…前に…さあ、どこまで前にさかのぼるのでしょうか…?

つぎに皆さんのことを考えてみましょう。皆さんはどこから産まれましたか?

「お母さんがわたしを産んでくれました。」

そうです。しかし皆さんのお母さんも確かに昔には小さい赤ちゃんでした。そうですよね。お母さん、おばあさん、ひいおばあさん、そしてその前に…前に…さあ、どこまで前にさかのぼるのでしょうか…?

美しい山と青い森のある丘、かがやきながら流れる川の水、海のきれいな砂を考えてみてください。それらは昔から今まで皆さんが今みるそのままそこにあったのでしょうか?そうでないならば、それらにも初めがあったのでしょうか?もし初めがあるならばいつ、どのように始まったのでしょうか?

今まで多くの人はこれを知ろうとしていろんな努力をしてきました。そして事実とは違ういろんな考えをした人も多くいました。

しかし私たちは聖書だけから正しい答えを見つけることができます。この驚くべき本を開いてみると、一番最初めに世界の始まりを教えてくれる創世記という本があります。ここでみなさんはすべての質問に対する答えを見つけることができます。

私はある少女のことが思いつきます。一度わたしはその少女にどの聖句が一番好きなのか聞いてみたことがあります。わたしはその少女が詩篇23篇の「主はわたしのぼくしゃであって」と答えると思いましたが、その少女は「マタイの福音書1章」が一番好きだと答えました。

「イエス様の話が書いてあるから好きなのね」とわたしが言うとその少女が答えました。

「いいえ。そこに面白い名前がたくさんあるからです」

わたしはさっそく聖書をひらいてマタイ1章をひらきました。そこには本当に多くの名前が書いてありました。「アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父・・・」と、とても多くの名前が書いてありました。

それでこの言葉の意味を知っているのかを聞いてみました。すると「意味は分からないけど名前が面白いです」と少女が答えました。

それでわたしはこの聖句の意味はアブラハムに子供があって、イサクに子供があって、ヤコブに子供があったという意味だと教えてあげました。でもその少女はその言葉が何の意味かよくわからないようでした。

それで私は「ヤコブにお父さんがいて、イサクにお父さんがいて、アブラハムにはお父さんがいました」ともう一回教えてあげました。するとその少女はどこまでさかのぼっていくのかを知りたがりました。それで私はルカの福音書のことを教えてあげました。

ルカの福音書334節からにはアブラハムよりもずっと前に住んでいた人たちの名前が書いてあります。アブラハムはテラの息子で、テラはナホルの息子、ナホルはセルグの息子だとルカは聖書に記録しました。本当におかしな名前ですね!でも実際にその名前はみな昔に生きていた人の名前なのです。

そのように記録した後にルカはとうとうエノスはセツの息子で、セツはアダムの息子で、アダムは神様の息子であると書きました。なんと驚くべき話でしょうか!

そこですべては終わります。それ以上さかのぼることができないからです。神様ですべては終わります。

みなさんがさかのぼっていく所もそこです。お母さんとお父さんからさかのぼっていく所もそこです。すべてのこどもたちのお母さんとお父さんそしておばあさんとおじいさんがさかのぼっていく所もそこなのです。この世界の人がみな神様にさかのぼっていくのです。

おさるさんや川に住んでいるちっちゃいオタマジャクシにさかのぼるのではなく、全世界を創造された偉大な神様にさかのぼるのです。そしてそれは聖書の一番はじめに書いてある「はじめに神は」という御言葉とぴったり合うのです。


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