今日は障害児者やその家族に向けられる
”好奇の目”
についてお話ししていきたいと思います。


自閉症の息子れおの
特性が目立ちはじめ、
定型発達の子と差がどんどん開いていく頃、
私達夫婦は周囲の目をかなり気にしていました。


恥ずかしい気持ちや、同情・哀れみの目で見られていないか。
などなど、、、


れおは声も大きかった上に、
発する言葉(喃語のような)が体の大きさに対してギャップがかなりありましたので、
周囲の視線はビンビン感じていました。


とはいえ、
大多数の方はすぐに障害のある子だと察し、
私達が気にしないように、
視線を送らないようにしてくださったり、
気にしていない素振りをしてくださいます。


しかし、たまにガン見されることがあります。
あまりにも見てくるので、
私がその方に視線を送ると、
その時は視線を逸らすのですが、
どうしても気になってしまうんでしょうね。
ソワソワしていて見たくて見たくて仕方がないオーラが凄くでてます😅
気持ちはわからないでもないんですけどね。


皆さんはどうされていますか?

私は出かけた際の障害のある方への視線は極力送らないというのが染み付いてます。

海外には障害児者に対して寛容で
フランクな国もあるようですが、
日本の文化的にそれは結構ハードルが高いようにも感じます。



何故こんなことを書いているのかというと、

少し前になりますが、
れおのトランプがだいぶへたってきてしまい、
新しいものを買いに
家族でドンキホーテに行きました。

ご存知の方も多いかと思いますが、
ドンキは場所によって通路が凄く狭いところがあります。
れおと夫が玩具売場のその狭い通路でトランプを選んでいると
(私とこうは別の売場にいました)
小学校高学年くらいの男の子二人組の一人が、
れおとぶつかってしまったそうです。
理由は小学生のよそ見です。

ですが、
れおはぶつかってしまったことに対して、
反射的にお辞儀をして謝っていたみたいなのです。

場面的に、私達であれば軽く会釈をして、「すいません」で済む場面ですが、
れおの場合のお辞儀は、
それこそどこかに謝罪に行った時にするような深いお辞儀と、
謝るといっても、すいませんやごめんなさいがハッキリ発音できるわけでもありません。

それでも夫は嬉しくて、れおを褒めていたそうです。

しかし、

そうやってれおの頭を撫でながら、
小学生達のほうを振り向くと、

そこには今までに向けられたことのない様な冷たい視線と、
小さい声で「キモっ」と言われたそうです。

小学生とはいえ、見た目は高学年、
悪ふざけでよそ見をしてぶつかってきた本人が謝りもせず、
挙句そのような態度をとられたことに夫は相当頭にきたらしく、

「大人になってから初めてあんな怖い顔したかも😅ちょっと大人気なかったかな。」

と言ってました。

夫の顔を見て小学生達はそそくさと行ってしまったそうですが。

その時に夫は、
「俺たち支援級も考えて見学とか行ったりしたけどさ、支援学校にして良かったとつくづく思った。正直あの中にれおは入れられない。
あの瞬間は頭にきちゃったけど、あの子達が悪いというよりも、あの反応が小学生の現実だと思うし、今の学校教育の中でどれだけ障害者に対して触れられてるんだろうね」
とも言ってました。


私が小学生の頃は、ほぼ触れられていなかったように思います。


私達夫婦が支援級も検討する上で一番気になっていたのがまさにこの部分でもあります。

定型の子達からのいじめや、からかわれたりしないだろうか?

合理的配慮はどこまで求めてよいものだろうか?

そして普段から障害児者と接点もなく、
見た目も普通な発達障害というものを、
小学生に理解させることも、とても難しいでしょう。


今は、れお自身も定型の子達と関わる機会はほぼありませんし、その逆もまた然りだと思います。


昔に比べれば社会からの理解は深まってはいるのだと思いながらも、
まだまだ壁は高いなぁともその時に感じました。


もちろん、
障害児に優しい子たちが沢山いることも知っています。
保育園の頃も、お友達はれおに優しく接してくれました。

ただ、一度だけ保育園のお迎えの時に
グサッとくる一言をクラスの子に言われたことがあります。

まぁ子供は正直ですからね😅


もっと理解が深まり、
住みやすい環境になることを
願っています。


【追加】
支援級がダメというわけではもちろんありません。支援級には、支援級の良いところが沢山あります。
お子さんが楽しく通える場所が一番です。
れおが支援学校を選んだ理由は、また後でくわしくお話ししたいと思います。


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