AVってある意味男女平等なのではないかと最近思う。AVは男女問わず生殖器にモザイクをかける。逆に言うと生殖器以外にはモザイクはつけない。おっぱいにも雄っぱいにもモザイクはつけない。何度このふたつのおっぱいに救われただろうか。
ある日モザイクの先が気になった。1度気になり始めるとその事ばかり考えてしまう。思春期の運命だろうか。そしていくつもの小さなバツボタンを突破した末にたどり着いた「無修正」という名のユートピア。
時に河合塾の現代文でこんな文章を読んだ。ユートピアとディストピアは紙一重である。ともすればどちらにもなりうる。確かにそうだと思った。よく大きすぎる目標がかなってしまうと人間はダメになってしまうという。無修正という夢がかなった今、そこにエロスは存在するのか?無修正という名のユートピアにたどり着いた瞬間、それは姿を変えディストピアとなってしまうというある種の矛盾を孕んでいるのだ。
18歳無職のOは言った。「何言ってるですか。全裸よりも裸エプロンの方がエロいですよ笑。エプロンからはみ出した横乳、長さが足りず見えそうな下半身。エプロンという布1枚あるだけでその存在全てがエロスとなりうるんです。」
モザイクとエプロン、見えそうで見えない、届きそうで届かない。その狭間をたゆたっている。ゆらりゆらり、ゆらゆらり。
あえて見せない、もしくは見えそうで見えないという状況こそがエロスの本質ではないのだろうか。だからこそいつの時代もマイクロビキニやTバックは世の男性を虜にしてきたのではないだろうか。
モザイクの先には何があるのだろう。少年のあの日に夢見たユートピアをユートピアたらしめるのは他のなにものでもなくモザイクそのものだったのでは無いだろうか。
無修正とは本当にユートピアなのだろうか。