こういう事を書くとまず見当違いな事を言われる事もあるから
最初に断っておくけれど
この先の記載を、『なんでわざわざ公開したのか』って言ったら
それは、『私はそういう人間なんだと記しておく必要があったから』
という以外に、答えは無い。

 

 

今、読んでくれている人やイイネをしてくれる人や

私の周りにいる人たちには、実は宛てていない。

私のこの経験が、必要そうな人たちに宛てて書いている。


人に優しくして欲しいと思っているからではなく。
人に解って欲しいと思っているからでもなく。
遠まわしに、あなた達に不満があるんだと言ってるわけでもない。


そういう意味で、興味のある人だけ読んで欲しい。
前のお手紙のフリでもう解ってる人も多いと思うけど
結構ディープな話なのでね(笑)




自分の意志で好きなように話せる世界ではなく
他者のコントロール下によって生かされる世界で
早々に自分の人生を諦めた私は
小学生の時にはもう死にたかった。


「何で学校に行かなきゃいけないの」と訊くと
「みんなが行っているから」という
薄っぺらい言葉しか返してこない大人達は
反吐が出そうなくらい嫌いだったし
将来的に自分もこうなっていくのかと思うと
余計に生きる意味なんてどこにも無いと思った。


良し悪しを自分で考える事が無く
ただみんながそうだからという方向に流されていく人たちが
将来を担う子供たちの監督責任を持ち(親でも教師でもね)
その人達に従属させられる人生が、私にとっては本当に絶望的だった。


今も、生きる事はそもそも好きじゃない。
浅く、薄っぺらい侭で終わる人生しか生きないのならば
その生にどんな意味があるだろう。


私は、この世界で生きる上に置いて

(ここで言う世界は、私が身を置かねばならず、見える範囲でしか知り得ない世界の話だ)
元から根が「死にたい」側の人間なんだなと理解した。
これは、肌が白いとか、目が青いとか、陽気とか大人しいとか
そういった性質のようなもので
良いも悪いもなく、ただそういう人間だというだけなのだ。


今までは、そうは言っても生きているのだから
無理に死ぬ理由が無い限りは生きていようと思っていたし
それが正しい事だと思い込もうとしていた。


それでも、もしも。


倫理観念や常識とか何も関係が無く
生きたいか死にたいかをそもそも選べるのであれば
どちらを選びたいのか、と自分に問うた。


答えは決まっていた。