久々の投稿、しかもいつも通り長いので、お時間のない方は、別の投稿でお会いしましょう♪。
令和6年7月19日、10時35分
父が旅立ちました。
11日に病院に搬送され、9日間の入院生活。
その間、一度は退院を視野に入れたお話もあったのですが、
88才という年齢もあり、今年13回忌を迎える、ひと足先に旅立った母の元へと、逢いに出かけて行きました。
22日、23日と通夜葬儀を執り行い、お骨となった父が、久しぶりに家に帰ってきました。
いつもは葬儀で引導を渡す役目を務める自分が、喪主となり、葬儀社の方とやりとりをして、一つの形にまとめて行く作業の内容に触れることが出来て、ある種、新鮮な感動がありました。
お通夜や葬儀の最後に、喪主の挨拶がありますが、
葬儀が終わり、導師である自分が退席した後にご挨拶となることが多いので、あまりじっくりと聞くことはなく、
ご挨拶の中身を考えなくては、と思っていたら、葬儀社の方から、葬儀の流れや、挨拶のヒントなどを纏めた資料を頂いたので、それを参考にしながらお伝えしたい事をまとめました。
生前の父が、施設でどんな様子だったか、
元気な頃に家族で外食をして、その帰りに、長女に車椅子を押してもらいながら、スーパーでお菓子や果物などをカゴに入れ、穏やかな笑顔で楽しそうな父の様子をお話させて頂きました。
今でこそ自分は、
結婚もして、立派に成人して世帯を持った2人の娘と、可愛い孫に恵まれ、
父にとってはひ孫を見せることが出来ましたが、
元々は、宗祖が妻帯していないこと、そして、
『出家』と言いながら、実のところ家庭を持ち、子供を育てる今の僧侶の在り方が、
いい悪いは別として、自分としては腑に落ちなくて、
守るべき家族という存在がなければ、どこへでも行き、野垂れ死したとしてもそれはそれで…、などと考えていたので、
父にも『結婚しないのか?』と尋ねられるたび、
『しない』と、答えていました。
それが、時が経ち、大切にしたいと思う人と出会い、一緒になった今、
こうして父に、孫やひ孫の顔を見せることが出来たことは、父を安心させる事が出来たのかもしれないと思いました。
ちょっと疲れたので、早く横になったのですが、日付が変わる前に目が覚めてしまって、思いつくまま書き始めたこのブログ、
この際なので、父との思い出や、父への想いなどを書き綴ってみようと思います。
次に続く。