ショートコラム 「美の時 倫の刻」 
      (月)期間限定テーマ=2022年春は「西城秀樹」さん
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 第二十六回 西城秀樹「リトルガール」をめぐって

 2022年5月1日添付の導入動画

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 秀樹さん自身の著作によれば(『ありのままに』廣済堂出版 87頁)、デビューして十年経ったころに所属事務所からの薦めで独立。一九五五年生まれの秀樹さんが二十八歳だったというから、1983年ころの話。
 それまでに、「西城秀樹」の名前は数々のヒット曲とともに日本中に広がり、芸能人としてのキャラクターも十分に世間に浸透していた。さらに70年代末には、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」(1979年2月)の大ヒットで、時代の頂点に立つ人気タレント・歌手として存在していた。
 とはいえ、当コラムでこだわるところの一つに、秀樹さんがトップに立った79年の翌年には、大きく時代が動いたという感触があったと思う。その中で、直接一つ上の世代として隣接していた「新御三家」の世代は、それぞれどう動いたか。
 すなわち、時代の前面に立って「ヒデキ!」と叫ばれていた彼が、より年少の若者たちに囲まれてテレビ画面の中に現れ「秀樹さん」と敬意をこめて呼ばれるのが当然という、世代の推移。
 あるいは、彼を育て上げた芸能プロダクション「芸映」の社長からのススメは、この時代の変化を読んだ上で、より息の長い歌手生活を送らせようという気遣いだったように思える。
 そんなことを考えるのは「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の大ヒットの後の数年間、1980年から「ギャランドゥ」(1983年2月)」くらいまでの秀樹さんのシングル曲が、様々な方向性が試されていて面白く感じるからだ。
  
「リトルガール」は、「ヒデキのドゥワップ」といった感じの曲。
 まだ若く、初心な「きみ」を恋に誘う男の歌。このアバンチュールへの誘いは、余計な観念臭を一切含まない。これは、「恋」「愛(性愛も含めて)」を歌うことに長けたアフリカン・アメリカン系の人々の曲世界を彷彿させる。また、メロディー、アレンジなどの音作りも、きっちりとドゥワップ、ソウル系になっている。今、聴き直して想起するのは、当時「シャネルズ」としてヒット曲を連発していた「ラッツ&スター」の曲だ。おそらく、「ヒデキ・スタッフ」も明確に意識していたことだろう。
 しかし、ラッツ&スターは、バンドであることがその世界観を豊かにしていた。対して、秀樹さんはソロ歌手。主役としてステージを独占しながら、このような黒っぽい音楽をやることは、その「楽しい世界観」において、少し距離が生じるかもしれない。実際、テレビ番組でこの曲を歌うときも、秀樹さんのボーカルを囲むように男声コーラスが聞こえ続けているのだから、低音が入る瞬間などに秀樹さん以外のそのメンバーの顔が映ったりすれば、ぐっとイマジネーションが広がったように思う。みんな揃いのスーツを着て、秀樹さんだけ色違いとか。
 ドゥワップのマナー的にも、そのほうが「楽しい」だろう。そして、この世界では、「楽しい」こそ第一の価値なのだ。

 だが、スーパー・スター「西城秀樹」以外の者を当時のテレビの画面に映すのは難しかったかもしれない。それほど、彼は圧倒的なスターであり、彼だけを求めるファンは、一瞬たりとも彼から目を離したくなかったのではないか。
「集団芸」としてのこの曲の性格と、「スター・ヒデキ」の葛藤を感じる曲。

 しかし、曲としては、秀樹さんのセクシーさから発する余裕も観じられて、チャーミングな一曲だ。
 もっと振り返られる価値のある曲だと思う。

 途中、秀樹さんの語りが入っていますので、熱の入った秀樹ファンの方は注意してください。
 気絶しないようにね。
 
 西城秀樹 「リトルガール」(1981年3月)
    作詞・竜真知子
    作曲・水谷公生
    編曲・水谷公生


            藤谷蓮次郎
                二○二二年四月二十五日