ショートコラム 「美の時 倫の刻」 
      (火・木・土)連載
 

 第九回 渋谷哲平「よ・し・な・ヨ フィージー」をめぐって

 一九八十年に、アイドルの潮目が変わった。
 田原俊彦、松田聖子をトップランナーに、続々と現れるキラキラした若者たち。
 しかし、彼らに追いやられるように、一つ前の世代となった、さして年齢の変わらぬ人々がいた。NHKの「レッツゴー・ヤング」などの歌番組を中心に、メインの歌手のバックを務める踊り手であり、ありきたりのコントの脇役であり、企画ものの歌で少しずつのパートを与えられるような存在…。つまり、若いが故の群衆性を身に纏った人たち。
 アイドルという存在が、一般の歌手よりは少し下の立場として扱われた時代。
 その制度性を食い破るようにして時代を変えていったのが、この80年代初期のデビュー組。山口百恵が引退し、キャンディーズ、ピンクレディがいなくなった日本の芸能界は、旧来の制度を残しながらも、そこから溢れ出す人々を中心に展開し始めたのだ。

 では、旧来の制度側のイメージを強く纏った側はどうか?
 渋谷哲平氏は、私が小学生のころから、その旧制度側の中心人物の一人だったと思う。
 丸顔の、愛嬌のあるお兄さん。誠実なイメージが強く、同級生の女の子たちにも人気があった。
 彼に私が注目したのは、「カリフォルニアを夢みて」というシングルからだ。
 というのは、彼自身にではなく、アメリカ、それも西海岸への憧れがあったからだ。当時の私にとって、「カリフォルニア」はそのまま全土がレモンの産地のイメージだった。
 ここに紹介する「よ・し・な・ヨ フィージー」は、「カリフォルニアを夢みて」の次のシングル。若い男と女の恋の鞘当てが歌われる、キーボード中心のオールド・ポップス。男声コーラスが入りますが、あまりテクニカルではなく、時代を感じさせる。田原俊彦以降のアイドルにはありえない、少ししたたかな女性像を感じさせる。女言葉の詞もあって、楽しい。
 私は渋谷氏のシングルの中では、これが一番好きです。
 なお、この次の「恋のサマーガール」は、ギターサウンドのロックンロール歌謡です。

 「よ・し・な・ヨ フィージー」。
 良い曲です。80年という時期が微妙だったかな。


 渋谷哲平「よ・し・な・ヨ フィージー」(1980年4月)
  作詞・茂村泰彦・浅川佐記子
  作曲・茂村泰彦
  編曲・茂村泰彦


                 藤谷蓮次郎
                二○二二年三月二十二日