ショートコラム 「美の時 倫の刻」 
      (火・木・土)連載
 

 第五回 田原俊彦氏の「ハッとして! GOOD」の画期

2022年3月21日添付の導入動画

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 かなり寒く、永く感じた冬の後、不意に温かい(むしろ、「暑い」とさえ言うべきか)日が訪れた。
 わずか一日の違い。その隣り合った二日間で、きっぱりと季節が分かれてしまったような…。
 こんな日を、「新風が吹く」という言うのか。
 日本の芸能界、歌謡界にとっては、田原俊彦氏の登場こそ、「新風が吹いた」出来事だった。

 一九八十年。当時のテレビメディアでよく映る美形の青年達。すでに三十代に入ったジュリー氏。二十代半ばに達していた新御三家(五郎、秀樹、ひろみの三氏)など。彼らは皆、キラキラした「アイドル」の時代を過ぎ、それぞれ「大人のタレント」としての方向性を模索していた。
 そこに、この輝く笑顔の少年(実質のデビュー作となったドラマのオーディションを受けるために、デビュー当時は実年齢より若く偽っていたらしいが)が、全身を休みなく大きく動かしながら途切れ途切れの声を響かせてヒットチャート番組に現れた衝撃を、当時小学生だった私は今も忘れない。
 その歌声のあからさまな下手さも含めて、それまで見たことのない人物が目の前に現れ、私よりちょっと年上のお姉さんたちから同級生達まで、数多くの女の子たちを熱狂させていた。 
 田原俊彦、登場。
 新しい風が吹いているのを、私はただ呆然と受け入れていた。
 そして時代は、多くの男性の若いタレント達に「ジャニーズ事務所」というブランド名を刻み込んだ。

 歌唱力はともかくとして、彼が歌う曲は、実によく出来た歌謡曲だった。それは、「田原俊彦」という存在のイメージを聴く者がどんどん膨らますことを可能にする機動力を備えていた。
 最初の「哀愁でいと」こそ、少しマイナーな色合いのダンス・ミュージック(洋楽の日本語カバー)だったが、続く二曲目の「ハッとして! GOOD」からは、「トシちゃん」を少女たちそれぞれの胸に息づかせるべく、「清潔で明るく、しかしちょっとだけ寂しがり屋」を描く「キュン曲」が続いた。
「ハッとして! GOOD」こそ、その出発点だったと私は思う。

 好きな女の子に、君だけのための「プリンスになるよ」などと言える存在は、やはり八十年代のファンタジーの賜物だったと思う。

 田原俊彦氏の曲も、これから度々取り上げます。

 田原俊彦
  「ハッとして! Good」(1980年9月)
   作詞・作曲 宮下智
   編曲・船山基紀 

 

               藤谷蓮次郎
                二○二二年三月十五日