コラム 落語名演音源二八 

 二十席目



    初代桂春団治「いかけや」


    テイチクから発売のカセットテープ「花形落語特撰 初代 桂春団治 いかけや・池田の猪買い・らくだ」(TETR-20014)より


 二十席目にして、上方の伝説にご登場願う。
 無頼芸人の代名詞・初代春団治。

 私の初代春団治のイメージは、怪気炎をあげる故・横山やすしさん。というのも、あるテレビ・ドラマを観たからだ。
 数十年前、吉本興業の会長(副会長?)だった林正之助さんという年配男性の何らかの記念の年に、吉本興業のタレントが勢揃いで歴代の看板芸人を演じ、吉本興業さんの盛衰史を描いたもの。吉本せいさんと正之助の姉弟コンビを、小川真由美さんと沢田研二さんが演じていたと思う。芸人たちでは、エンタツ・アチャコをオール阪神・巨人が演じていたことと、初代春団治を横山やすしさんが演じていたことだけはしっかり覚えている。
 その印象の強さで、「春団治=やすし」のイメージがあるのだ。

 ドラマの中でもやすしさん演じる春団治の行動は、とにかくかっこよかった。特に、吉本興業のマスメディアと劇場の二つの中心をもつ現在の戦略に、初代春団治が大きく貢献しているように描かれていた。
 そのくだりは、たしかこうだ。――金に女に、相変わらずの無法な行動を続ける春団治。
吉本興業になんとか尻ぬぐいをしてもらって芸人稼業を続けていたのだが、ついに吉本姉弟の堪忍袋の緒を切らせる行動を取る。勝手に、禁じられていたラジオ出演を行ったのだ。
 無料で噺の聞けるラジオに出られたら、小屋に来るお客は居なくなってしまう。激怒した吉本姉弟は、春団治の借金を楯に、彼の生活全般を差し押さえする。家の中のいたるものに差し押さえの札を貼られる春団治だが、いっこうに怯むことなく、
「なあ、カネめのものを差し押さえるんなら、この家ごと取られても、痛くもかゆくもない。宝を抑えるなら、ここにそいつを貼らんかい」
 と、自分の口にその札を貼った。
 さて、吉本姉弟の心配をよそに、小屋は観客で溢れる状態。客は口々に、「春団治出せ!」と言う。彼らは、ラジオで聴いた春団治を、生でみたいと押しかけたのだ。
 ラジオは、小屋の敵ではなかった。吉本興業の「メディア戦略」が始まった瞬間だった。
「悔しいけど、勉強させてもろたわ」と姉。
 …これはドラマの中の話だが、現実の吉本興業さんのタレントの売り出し方を見るに、さもありなん、と言う気がする。

 もう一つの「さもありなん」が、横山やすしの春団治。
 無頼型芸人のイメージそのものが、「春団治=やすし」になっている。
 しかし、このカセット音源の春団治は、美しい動きと滑らかな関西弁の早口で鳴らしたやすしさんと違い、縁日のテキ屋さんのようなだみ声で、いっそ「ブルージー」とでも言いたくなるような、乱雑で下世話、かつ生命力の横溢する強かさを感じさせる。
 圧倒的に耳に残る語りだ。

「いかけや」は単純な構造。上方の小知恵の回る悪たれ餓鬼が、「鋳掛け=鍋釜などの修理」の仕事中の職人をからかい続ける、という内容。人の良い鋳掛け屋の職人と、次々に屁理屈を重ねて彼をからかう子ども。私は、人が気持ちよく笑うには、子どもが少ししつこすぎるような気がするのだが、当時はこれも爆笑で受け止められたのだろうか。スタジオ録音なので、よく分からない。
 ただ、はっきり分かるのは、わざとらしいほどキャラクターの声色を真っ二つに分けていることと、かなりの早口で遅滞なく、次のくすぐり次のくすぐりと進んでいくこと。
 このテープだけで推測するに、初代春団治は、どこか懐かしい声とテンポ良くキープされつつ図式的でもあるキャラクターわけで演じることで、まさに「ラジオ」というメディアに合致する個性のある噺家だったのではないだろうか。

「俺の財産なら、俺の芸を持って行かなくちゃ、意味ねえよ!」
 芸人ならずとも、一度は言ってみたい台詞だ。
「仕事」をして生きている以上は。
 

         藤谷蓮次郎
                           二○二二年二月六日