コラム 落語名演音源二八 



 十二席目

    古今亭志ん朝「崇徳院」
    ソニー・レコーズより発売のCD「落語名人会27 古今亭志ん朝 崇徳院・御慶」(SRCL-3363)

    
「志ん朝旦那」こと、珍しく活躍したサラブレットこと、古今亭志ん朝。彼がもう少し長く生きていれば、落語界の勢力図も大きく変わったように思う。それが良い方になのか、悪い方になのかは、分からないが。
 ただ、今の落語界の隆盛を見る限り、あの「落語協会分裂騒動」の準主役となった世代、「談志ー円楽ー志ん朝ー円鏡」がみな鬼籍に入り、彼らの謦咳に接することがほとんど、あるいは全くなかった世代が今の落語界を華やかに彩っているのを見ると、何か感慨深いものはある。
 あの四天王世代こそが、落語界の前線の位置を書き換えてしまった人々であり、その塗り替えの最中をともに過ごした世代にとってはあまりに大きな存在であり、彼らが時代の重しとして機能した部分もあったのではないか。今の若手落語家たちは、やっと彼らの影響を「それぞれに」吸収したり、はき出したりする余裕が出来てきたということのように思う。

 その世代のなかでも、最も敵の少ない存在が、この人・志ん朝。
 父であり、昭和落語の名人(私は、「達人」または「仙人」と呼んだほうがぴったり来ると思うのだが)である五代古今亭志ん生。そして、父と異なり、堅実な芸風で鳴らした兄・十代目金原亭馬生という二人の落語家のいる家から、落語家になった人物。少年期の彼は、外交官や歌舞伎役者を目指していたというが、それを諦めての入門だった。
 落語家修業を始めた途端に頭角を現し、父・志ん生の顔もあって、とんとん拍子に出世。異例の速さで真打ちになった。身近な先輩であり、懇意にしていた円楽、談志を追い抜いての真打ち抜擢であり、このような「エリート街道をばく進」のキャリアが、本人の自意識に小さくはない引け目を与えた。いずれ起こる「落語協会分裂騒動」は、六代円生という名人に彼が心酔していたためもあるが、自らの恵まれたキャリアへの不安定な自尊心が引き起こした面も否定できず、多くの人に望まれながら協会会長職に就かないまま亡くなる結果となった。

 とはいえ、私もやはり、噺の華やかさ、流麗さ、スピード感、色気と可愛らしさという意味では、古今亭志ん朝という落語家はやはり唯一無二の存在だと思う。
 若い頃の彼の高座を見た人の多くは、若手の頃から彼は上手かったという。きっとそうだったと思う。スピード感という意味では談志と双璧だが、談志には少し生臭い、暴力的なところがある(とはいえ、談志派の私は、それが談志の凄さだと思っているのだが)。志ん朝には、それがない。どんな噺をしていても、清潔感が際立つ。
 傷に感じることがあるのは、彼の高座には、説明的な台詞が長くなることがあったことだ。それは彼が、落語を聞き慣れない客をも楽しませようとしていたからだろう。この録音は志ん朝の独演会のものだから、つまり志ん朝落語を好きな人たちが集まっているので、その手のサービスが少なく、聴きやすい。
 
 ある大家の若旦那、不意に煩いつき、床から出られなくなる。家の者の心配をよそに、日々やせ衰えていく若旦那。医者にかけても、どこも悪くないと言われるばかり。思い悩んだ親父殿に呼ばれた若旦那お気に入りの出入りの男。嫌がる若旦那の口を無理矢理割らせてみれば、町で見かけた女性に一目惚れしての恋煩い。「なんだ、それなら…」と一瞬安堵した一同だったが、この広いお江戸でどうやって誰だか分からない女性を探し出せばいいのか…。頼りは、若旦那がその娘さんからもらった、末の夫婦を誓う崇徳院様のお歌の短冊だけ・・・。
 自らも「旦那」と呼ばれた志ん朝の語りは、この初心な恋心を描くのにうってつけだ。
特に、「恋煩い」と告白するまでの若旦那のじれったさが出色。
 私がこの噺を聞いたのは、他に三代三木助がいるが、志ん朝や三木助のように、男女の世界を描きながら清潔感を保てることが、この噺の語り手には必須なのかもしれない。

 志ん朝は、「志ん生のせがれ」という肩書きがなくても大成した人だと思う。まあ、時間は少しかかったかもしれないが。
 聞いていて心から楽しめる噺家だ。

 なお、同じCDシリーズに入っている「雛鍔」も出色の出来です。
 
             藤谷蓮次郎
                           二○二二年一月二十一日